Sunday, September 1, 2013

京阪電車 森小路 1981年

1981年の暮れも押し迫った12月30日の朝、私は京阪電車森小路駅にいました。

1981年最後の電車巡業も一畑電車(こちら⇒一畑電車初めての訪問)⇒関西私鉄の旅で、今回の親子旅とそっくりな行動をしていました。
親子旅絵日記で京阪電車をスキャン(こちら⇒夏休み絵日記)する時に当時のネガを眺めていたら懐かしくなって、その時に森小路駅で撮った京阪電車も折角なのでスキャン。
ランダムに並べてみました。

1983年12月の昇圧前の京阪電車は本線であっても旧性能電車と新鋭車が入り乱れて走る、楽しい時代でした。
昇圧を控えていた分、旧型車が生き残って最後の活躍をするチャンスがあった、ということでしょう。
旧型車も急行線を優等列車でガンガン飛ばしていました。

618 81.12.30 森小路
先ずは準急に充当された600系。
高い収容力を買われて(いたらしい)、結構準急車には充当されていました。
このヘッドライトケーシング、小田急と同規格にしか見えませんが真相やいかに?


1754 81.12.30 森小路
次は1700系。
準急で上ってきた後の、入庫回送です(折角の上り準急は、撮影トチっています)。
側面の両開き扉は残念ですが、大きなライトが魅力的です。

2263(左)、606(右) 81.12.30 森小路
2200系急行と600系普通。
現在の2200系の残念な姿と比較してください(こちら⇒絵日記の最後のほう)。

1055(左)、1916(右) 81.12.30 森小路
1000系1055と1900系1916。
1000系も元は旧型車ですね。

2463(左)、1930(右) 81.12.30 森小路
22002400系と1900系。
京阪らしいショットと思います。

5604(左)、2258(右) 81.12.30 森小路
誕生後11年目の5000系と又もや2200系。
関西の電車は方向幕化には関東に遅れを取りましたが、趣味的には方向幕より方向板掲示の方がずっと良いですね。

3002 81.12.30 森小路
特急は、当然3000系です。
右手の普通車は?

3002と3004 81.12.30 森小路
ちょっとアップにしてみました。
こちらも3000系です。
地元の方から見ると当たり前なのかもしれませんが、3000系の普通車運用というのは結構あったのでしょうか?
自分はこれ見てびっくりしました。

3004 81.12.30 森小路
普通、淀屋橋行き3000系。
デラックスな普通車です。

3503 81.12.30 森小路
当然これは、反対側も撮りました。
何か得した気になった一本でした。

635 81.12.30 野江
最後はオマケ画像です。
戸袋窓付両開き扉という関西には少ないデザインで、両数的にも異端な630形。
一時はスーパーカー試験にも供されました。




14 comments:

  1. ちてつはん、おはようございます。
    つい先日、樟葉まで乗車した際、8000系が「区間急行」運用ですれちがい腰が抜けそうになりましたが3000系の各駅運用はもっと抜けますな!
    でも曜日、時間帯によっては今昔問わず特急車の下等列車運用があるんですねー。
    あ。「京阪らしいショット」、車番2463って書いてるのに本文2200系になっとるで~

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  2. この時代までが関西私鉄がいちばん良かった頃です!
    中でも京阪はこの堂々たる複々線と列車密度で600Vだったのですから、インタアーバン好きにはたまらないですね。
    と、書いてるうちに拙ブログ、次の地味電のアイデアが浮かびました、ありがたや~!

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  3. おいぬはん殿
    いつの時代も優等列車の間合い運用はあるのでしょうね。
    こんな電車に会えるとプチ嬉しいです〜。
    ご指摘の2400は2200系のお仲間と思ってました(汗)。
    やっぱりカルダン電車はどうも弱いのう〜。
    あとで秘かに直しときます。

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  4. Cedarさん
    1980年ごろまでが関西私鉄の良き時代だったのでしょうね。
    こんなにたくさんの電車が600Vで走っていたのは、自分にとってもビックリでした。
    地味電、もしかして京阪の更新車??

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  5. 今年3月の3000系引退が事実上の京阪初撮影だった私には、なんともうらやましい写真ばかりです。
    それ以前、1975年ころ、修学旅行のバスから、当時の地上線の五条あたりで撮影はしていますが、まともな写真ではありません。
    3000系の普通列車、貴重ですね。
    今年行ってびっくりしたのは、車体よりも台車のまくらばねのほうが飛び出していることでした。

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  6. こんばんわ。

    京阪は、やはりこの色、この顔ですね。昇圧を控えていたとは言え、これほどの頻度で吊掛車に乗れる大手私鉄は貴重で、たまに乗るのが楽しみでした。

    昭和57年までは、阪急でも千里線の吊掛車が梅田駅に乗り入れてましたが、今から思えば、この頃が、関西において、本線で吊掛車に乗れる最後の時期だった様です。

    追記:8月17日は、難波で鉄コレ購入後、暑さにバテてそのまま新大阪に向かいました… 

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  7. こんばんは、さとうです。
     私は阪急京都線沿線住民だったので京阪電車のことはよくわかりませんが、阪急だって早朝や深夜の間合いで2扉時代の2800や6300が普通電車で走っていたことがあるので、京阪のテレビカーが普通電車で走っていたなんて事もあったでしょうね。そのころはちょっと事情があって阪急電車で小学校に通っていたので、通勤特急の間合いで走っていた6300の急行に乗りたくて親に叱られたことがあります。何せ行き先が上新庄で、急行止まらない上に学校に遅刻するんで。

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  8. つのすけさん
    600V時代の京阪電車は今考えると随分とバラエティに富んでいました。
    でも何故か五条、四条などの京都の鴨川べりを撮っていないのが悔やまれます。

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  9. nnishi1968さん
    おっしゃる様に1980年前後が関西私鉄の吊り掛け車の最後の活躍を見れる時期でした。
    自分は出遅れてこの時期が初めての関西私鉄が多く、近鉄2200を始め、会えなかった電車が多いのが悔しいです。

    PS:やはり暑くて早々に退散されたのですね(^O^)。

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  10. さとう利明さん
    やはり阪急でもそんな電車はあったんですね。
    まあ、国鉄の特急にも普通列車があるのですから、そうなんでしょうね。
    でも、そんなお得列車に乗りたい心情、良くわかります。

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  11. これはたぶん、寝屋川車庫からの送り込みを回送にしないで普通で運用したヤツでしょう。
    寝屋川市の一個大阪よりの萱島からですよね?

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  12. 赤影さん
    なるほど。
    納得です。
    早朝でしたし、定期の送り込みの普通運用だったのでしょうね。
    確かに始発は萱島です。

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  13. 配給電車さん経由か、Cedarさん経由か忘れましたが、こちらでははじめましてです。

    特急の運転間隔を20分から15分になる時に、萱島から出庫する電車です。
    8000の時代ですが、よく見ました。

    2003年に特急が昼間10分間隔になってからは、夕方に萱島へ入庫していく運用がありました。しばらく前に消えましたが。

    あ、過去の記事にコメントして大丈夫ですか?

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  14. なにわさん
    はじめまして、ようこそお越しくださりました。Cedarさんのブログのコメントで拝見しておりました。
    コメントの書き込み、古いものでも全然結構です~。
    特急運用送り込み電車を回送にしないで普通車で運用していたのですね。
    結構回送車が急行線を走っていたので、どんな理由かと当時は思いましたが納得です。
    お得な電車ですね。

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