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Tuesday, April 23, 2013

北恵那電車 下付知の今

下呂から中津川に向かう途中で付知峡の案内表示があり、北恵那電車のことを急に思い出しました。
そこで、以前も訪れた下付知の駅の跡を覗いてみました。

北恵那電車は1978年に廃止になるまでも既に朝晩しか電車が走っていない青息吐息の運行状況で、いつ無くなってもおかしくない状況でした。

モ561(左)、デ2(右) 76.12.21 中津町
こちらは、一回だけ訪問した時の中津町駅の風景です。

モ561 76.12.21 中津町
中津町駅で夕方の電車まで昼寝中のモ561。
この時も、時間の関係から乗車叶わず、結局は下付知を電車で訪れることなく終焉を迎えてしまいました。

下付知駅跡と北恵那交通バス停
13.4.20 下付知

廃止7年後に訪れた記憶を頼りに向かいましたが、既にすっかり忘れていて記憶なんて全く残っていませんでした(泣)。
バス停を頼りに、下付知駅跡に到着しました。
・・・しかし、何もありません。

13.4.20 下付知
以前の建物で唯一残っていたのはこの建物だけでした。
林業事務所ですが、もしかするとここからさらに奥へ行っていた付知森林鉄道時代からのものかもしれません。

85.5.6 下付知
ここからは1985年、廃止7年後の訪問時の記録です。
こちらが下付知駅舎です。
後で調べてみると2002年1月までは健在だったようです。
今回撮影したバス停とほぼ同じ場所からの撮影だったと思います。

85.5.6 下付知
駅舎の中を覗いてみると、電車の時刻表が残っていました。
昼間は全ての電車がバス代行になっています。
このパターンで長生きできたケースは皆無ですね。

85.5.6 下付知

駅舎のホーム側です。
眠い写真でスミマセン。
架線柱が一本だけ残っていました。

85.5.6 下付知

構内の終点側に歩いてゆきました。
写真中央の建物が上の駅舎です。

85.5.6 下付知

振り返ると、電車の廃車体が健在でした!
恐らく戦争中に木造車体を新造したハフ30形ではないかと思います。
木造・切り妻の戦中派。
熊本電鉄にも似たような車両がありました。
資材難の時代の生き証人と言えましょう。

85.5.6 下付知

こちらがサイドビューです。
この時は、この車両が見れて大変興奮したのを覚えています。
あれから既に約30年・・・
何も無くなっていても当然なだけの歳月が流れていました。



3 comments:

い said...

すばらしい記録です。当時の年齢からすると、彼地を訪れるとはご立派過ぎますね。

chitetsu said...

お褒め頂きありがとうございます。
それにしても、結局電車に乗ることなく無くなってしまったのが残念です。

Anonymous said...

下付知の駅舎は確かに、十数年前までは残っていましたよ。私も宅配の仕事の時によく見かけました。文化遺産として壊さずに保存しておけばよかったのにね。