今なら飛行機でビュツとひとっ飛びということになりますが、貧乏学生時代の一畑電車は東京からは物理的にだけでなくアクセス的にも余りに遠く、アクセスも悪いので関西電車訪問の後に、思い切って行った記憶があります。
当時は飛行機で行く、なんて選択肢は当然ながら全く眼中にないどころか、寝台特急出雲という選択肢も予算的に考えられませんでしたので尚更です。
関西私鉄訪問の後、普通夜行『山陰』の硬いボックスシートで爆睡しながら出雲市に向かいました。
出雲市が近づいて降りる準備をする頃、車窓右手に架線が張られた線路が寄り添ってきました。
このあたりを見る時の高揚感は今よりもずっとあった気がしますね。
駅前にある電鉄出雲市に向かう時のドキドキ感・・地方私鉄訪問が始まる楽しいひと時です。
その電鉄出雲市から電車に乗って最初に降り立ったのは一畑電車のジャンクション、川跡の駅でした。
デハ6 81.12.27 川跡 |
昭和初期のいかつい面構えが魅力的です。
側面はワンマン化改造で原型を崩してはいるものの、現役を退いた今も綺麗な姿で後輩の姿を見つめていられる幸せな電車です。
デハ23 81.12.27 川跡 |
手動扉を車掌さんが閉めながら発車してゆくシーンにタイムスリップ感を感じました。
私が見た中で電車で手動扉で生き残っていたのはこの電車以外では長野電鉄のデッカーと近鉄のナロー電車ぐらいでした。
結局この電車は最後まで手動扉で一生を終えましたが、ある意味田舎電車の原点のようなものを見た気がします。
クハ103 81.12.27 川跡 |
こちらも手動扉車です。
このミスマッチなコンビに魅せられて、この後何回も訪問することとなりました。
クハ103 81.12.27 川跡 |
冬景色をゆく。
右手に大社線がチラッと見えます。
クハ162 81.12.27 川跡 |
こちらも西武鉄道からの頂きものです。
8 comments:
chitetsuさん、引き続き書きます。
一畑の車両では元西武200形のデハ60、クハ160、
非貫通3枚窓が好きですね。
第二の人生が2扉セミクロス化のグレードアップ?
地方に飛ばされたとは言え、車両も大満足でしょう。
マシュさん
引き続き、どうもです。
西武から来た60,70系は綺麗な改造でグレードアップして元気に走っていました。
同僚で他社に嫁いだ仲間に比べると、第二の人生としては恵まれた一生であったかなと思います。
一畑は東京から最も遠い電車でしたね。私が行ったのは、Chitetsuさんの8年前でした。
それだけに印象深かった、お写真にも写ってる架線鉄柱、古いが綺麗に整備された電車。60.70系の特急は中央座席が指定席で料金30円だったこと。川跡駅のおばさん駅員の乗り換えアナウンスが屋敷林の点在する田んぼに響いていたのも。
Cedarさん
一畑電車は本当に行くのに遠さを感じさせる鉄道でした。
Cedarさんが行かれたときは廃止問題が浮上していた頃でしょうか?
独特の線の細い架線柱、私も気になりました。
特急電車があったというのもいい時代の名残ですね。
川跡の駅のおばさんのアナウンス・・・
私も印象に残っています。
・・・懐かしいです。
一畑電車、私も行きました。社形を知らない世代なので、旧60系、70系が元西武と言われてもピンときません。
でも西武時代に比べて、標識灯も埋め込まれたスマートな姿で、クロスシート改造されて特急などで走っている姿は気に入りました。
自分に馴染みのある451系や551系が一畑に譲渡された姿よりも高級感を感じます。
私が訪れたときはすでに20形や101形は居ませんでした。
このころの川跡駅には(当時は珍しかった)オバちゃん駅員が居て、列車が着くたびに「カァ・ワァ・トーー」と非常によく響く声でアナウンスしてたのを覚えてます。ちょうど本線と支線が分岐するあたり写真撮っていても、聞こえたのを覚えてます。(記念に駅補充券も売ってもらったので、なおさら覚えてます)
さて、chitetsuさんのコメントにもありましたけど、車掌がドアを開けっ放しのまま、駅出発を行い、走りながらドアを締めるというのを見たのはビックリでしましたね。
懐かしい写真ありがとうございました。
ところで、カラー写真はKRですか??
つのすけさん
旧60系と70系は西武時代よりもスマートになって好きな電車でした。
その後転入した451系や551系は西武時代より格好悪くなった気がして今ひとつ馴染めませんでした。
mari-haどの
川跡のおばちゃんのアナウンスはみなさん耳に残っているようですね。
掲載した写真を撮った場所でもアナウンスが聞こえました。
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