東急の湯たんぽ、こと5200系は国鉄サロ153形と同時期の1958年に誕生した日本最初のステンレス製電車です。
車体の外観は5000系を踏襲してステンレス化したデザインとなっておりますが、実は5000系より車体全長は50センチ短いそうです。下回りは基本5000系と同じでしたが、独特なモノコック構造を採用した5000系とは異なり、骨組みが普通鋼の通常の構造にステンレスを貼ったセミステンレス(スキンステンレス)であったために、外の皮がステンレスで、車体長も短いにも拘わらず重量は5000系よりむしろ重くなるという皮肉な結果になりました。
デハ5201 79.9.6 自由が丘 |
まさに自由が丘を出てゆく湯たんぽ。
青ガエル二連と組んだ6連で走っていた記憶があります。
この当時は東横線と大井町線を行ったり来たりした時期でした。
デハ5201 79.9.28 多摩川園 |
この当時は南武線、横浜線のブドウ色電車を見に行くのに東横線を良く利用しました。
多摩川園の駅はこの当時は今以上にカーブをしており、古めかしい構造をした駅でした。
デハ5007(左)、デハ5201(右) 79.5.11 |
この時は大井町線での活躍をしていました。
この後、一時的に東横線に復帰していたことが分かります。
大井町線の自由が丘電留線で夕方の出番を待つ湯たんぽと青ガエル。
カエルグループのご対面です。
デハ5202 82.7.24 大岡山 |
もう二度と東横線には戻ることは無くなった頃です。
デハ5117 82.7.24 大岡山 |
確かに性能も窓配置も一緒かもしれませんが、苦し紛れの対応と言わざるを得ませんね。
デハ5251 82.7.24 大岡山 |
デハ5211 82.7.24 大岡山 |
この車両は引退後部品取り車として上田に引き取られました。
その後、湯たんぽは青ガエルと一緒に信州の上田交通に嫁ぎました。
クハ5251 87.3.14 上田 |
車番の『5251』は奇しくも丸窓電車と同じ車番となっています。
クハ5251 87.3.14 上田 |
上田の駅ではこんな顔合わせも見られました。
当たり前にしか見えなかったデカ目の急行型電車も今となっては懐かしい存在です。
モハ5201 89.6.17 上田原 |
1986年に昇圧されてから3年を経過したこの時でも、使われなくなった上田原車庫にはまだ600V時代の電車がそのまま残っていました。
その後湯たんぽは1993年に7200系に押し出されて廃車、一両が東急車輛に里帰りをして、TOTOのウオシュレットや同じ東急の7000系と共に、機械遺産に認定されました。
13 comments:
chitetsuさん、続おはようございます。
子供時代、鉄友と5200系はメカカエルと呼んでました。
この言葉はメカゴジラから来てるのですが、
コジラ・メカゴジラ、5000系・5200系と何となく、
語呂合わせが似てるだけで呼んでました。
鉄友は5000系のことをピョン吉と呼んでましたが、
自分は心の中でピョン吉は黄色のカエル、
緑のカエルでは無いでしょ、と思ってましたけど。
マシュさん
メカカエルですか。
色々な渾名があるものですね。
最近の渾名では大井町線の『カマキリ君』がビンゴな気がします。
電車の渾名特集なんてやると面白いのかもしれません。
普通鋼とセミステンレスの両方を制作した例として、他に阪神5201形や岳南1100形がありますね。
前者でステンレス車が0.3トン軽いとの項、いかに青蛙が軽量化に苦心したかうかがえるものです。
私の周辺の鉄友は5200を白ガエルと呼んでました。
大井町線の白ガエル4連+青ガエル1両の5連が記憶に残ってますね~。
しかしこのころの東急(東急車両)はなかなか意欲的でしたね。
走るんですばかり造ってちやぁあかんでぇ。
追伸。電車の渾名特集、グッドアイデアです!是非記事にUpしてくださいまし。
12号線さん
こんにちは。
そう言えば阪神や岳南の電車も同じようなことをやっていましたね。
青ガエルは軽量化に腐心した分、あとのメンテナンスが大変だったようです。
余談ですが、客引き戸も点検で外した後に同じ場所に戻さないと引っかかったりしてうまく動かないと譲り受けた長電の工場の方がぼやいていました。
Cedarさん
白ガエルとも呼ばれていたのですね。
納得の渾名です。
大井町線の青白混結編成は強烈でした。
走るんです、どうにかならないものでしょうか?
渾名特集、Cedarさんお先にいかがですか?
メカカエル、白ガエル・・・・
うーん、すばらしいネーミングですねえ!
わたしも苦し紛れのデハ5100組み込み5連が記憶に深いです。
東横線時代の青がえる2連増結もよかったです。
あと20日で東横線は走るンですだけになります・・・
クソっ!
イヌるんですさ~ん・・・
色んな渾名があるんだなあと今回思いました。
自分は湯たんぽしか知りませんでしたが、言われるとなるほどなネーミングですね。
大井町線の湯たんぽ5連は印象的でした。
Cedarです。
それでは渾名特集、やってみます。©Chitetsuさんで、あれ?この場合は®かな?
皆さんの書き込みを拝見すると、5200はいろんなニックネームあって、面白いですね。
さて、小さい頃、西武沿線育ちの小生にとって、東急は本当に不思議な存在でした。
◎西武の車両は武骨で角ばっているのに対し、東急5000や5200は丸こくって、別世界の電車。
◎西武の切符は1枚毎に売っていたが、東急線の切符は回数券タイプの冊子を出札の駅員がちぎって売ってました。
◎ウロ覚えですが、当時の東急は各駅停車の行先表示板でも赤い色が使われていたように記憶してます。西武線のサボで赤は準急か急行しか使わない色でしたし。
◎マスコンの操作も西武は国鉄と同じに手前から左前方に回すのに対し、東急は右奥から手前に引いてくるタイプでしたよね。
どうでもいい話なんんですが、chitesuさんの写真を見て、こんなことを思い出してしましました。
Cedarさん
綽名特集、よろしくお願いします。
いざとなるとペコちゃんとかカステラ電車とかマッコウクジラ・・・程度しか自分は思い浮かばなくて・・・。
©なんておこがましいかもです(笑)。
maru-haさん
西武線と東急は色々な点で別世界の電車だった気がします。
ある意味どちらも自前工場製ですが、東急の方が明らかにチャレンジャーでしたね。
切符のこと・・・これは全然記憶無しですね、方向板の色のこともどうだったか思い出せませんです。
マスコンの操作方法は国鉄形踏襲の社とそうでない社に大きく分かれていましたね。
手前に引くタイプの方が個人的には理に叶っている気がして好きです。
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