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Monday, February 18, 2013

京成関屋と東武線

京成関屋の駅を知ったのは昔のTMS誌で紹介された模型で再現された京成と東武の立体交差シーンでした。
小学生の自分には京成と東武が交差していること自体が不思議で、どんなところか見に行きたくなったものでした。

そんな京成関屋を訪問したのは1981年の梅雨のことでした。

モハ3264 81.6.14 京成関屋
最初にやって来たのは赤電です。
冷房化もされておらず、正面のお顔の変な整形手術も受けていない時代です。
行き先毎にデザインが違う京成お得意のパタパタ式のサボが健在です。

クハ2105 81.6.14 京成関屋
京成関屋で撮った元・青電のクハ2105。
元を辿れば戦災国電の叩き直しがルーツの電車です。
青電からお色直しをして最後の活躍をしていました。

モハ216 81.6.14 京成関屋
中間車のモハ216。
動き出すまで吊り掛け電車だと思っていて、ガッカリしたのを覚えています。
そのためか、京成電車の写真はこの三枚だけで終了、以後何十年もスナップ写真以外は全くのご無沙汰となりました。

モハ3353 11.8.30 京成関屋
再び関屋を訪問したのはリバイバルで青電塗装が復活した2011年まで30年のご無沙汰となってしまいました。
運良くようやく会えた青電塗装になったモハ3353。
今日で引退ですね。

モハ3324 11.8.30 京成関屋
同じくリバイバルで赤電塗装になったモハ3324がすれ違うようにやって来ました。

ED4022 81.6.14 千住貨物線
時代は再び30年前に戻ります。
その京成電車とは関屋の手前でも東武線と立体交差していました。
こちらが東武本線から分岐して京成電車を潜るところを走る戦時型機関車ED4022。
ヤードの貨車を迎えに行くところを偶然撮ることができました。

ED4022 81.6.14 千住貨物線
単機で貨車を迎えに行った電機は直ぐに戻って来ました。

クハ828 81.6.14 牛田ー北千住
そんな入換作業が行われている脇をこんな電車がしょっちゅう通過していました。
今考えると、撮りたいものがふんだんにあった時代でした。

12 comments:

犬向幕改造車 said...

chitetsu殿おはようございます。
毎朝失礼します。
昨日のCedarさんのコメントであーなるほどーだったのですが、登場時はこの顔だったのですね。
我が阪神電車そっくりやないかー!と中学生のころけっこう親密に感じたものです。
今見ると両開きも片開きもサイドビューまで阪神そのものですね(爆)。
せっかくおでこ両サイドのヘッドライトですからこれまた阪神同様、方向幕用にはおでこの真ん中が開いてるのになんでわざわざ腰に移したのかやっぱり理由がよくわかりません(爆)。
まあ、阪神も阪神ですが(核)。
阪急も阪急(大核爆)
「方向幕」ってもんが電車の顔をブチ壊し始めたのかもしれませんなあ!

chitetsu said...

犬向幕殿
3000の二灯車の京成の電車って、阪神に通じるものがありますね。
個人的には西の阪神、東の京成は新性能化が早くどこか共通する部分を感じました(走りっぷりや沿線環境は京急の方がよっぽど似てるかもですが)。
方向幕は電車の表情を崩す原因になってると私も思います。

Cedar said...

横入りCedarです。阪神赤胴と京成赤電、走りっぷり以外はほんとに似てましたね。オデコライトのまま方向幕つけると、ライトの光で見にくいのがライト位置変更の理由だったとか?

三等急電 said...

chitetsuさん、こんばんは。

京成は、やはり子供の頃から馴染んだこの顔がいいですね。
京成と東武の立体交差シーンは子供の頃に何度か京成電車の車窓から見たことがありましたが、京成関屋を訪問したのは9年前の今頃でした。
ただし、当時僅かに残っていた有人手動踏切訪問が目的で、竹ノ塚、北千住(東武)を訪ねた後に高砂へ向かう乗り換えで利用したものです。
それにしても、モハ210形は残念でしたね。全金車体へ更新と同時に中間車化とカルダン化が行われ、余った足回りは無蓋電車や新京成のセミ新車に再利用されました。
それから、クハ2100形は昭和27~8年に新製され、3300形まで続く京成スタイルの先駆けになった車両です。
しかし、モハ210用のTcには、クハ2100形だけでは1両足りず、戦災国電由来のクハ2008も組み込まれました。
京成車の全金化は早く、63系風の行商専用車を除き、1960年代中に完了しました。
大手私鉄では阪神の次、関東では最初だと思われます。(一般営業車で路面電車以外)
大きな声で言えませんが、80年代に入っても床が木の電車が都心ターミナルまで入ってくる東武とは大違いでした。

chitetsu said...

Cedarさん
さすが元地元、お詳しいですね。
おデコだと眩しくて見えないというのは103系などで経験したことがあります。
そう考えると近鉄の方向幕も見えにくいのかも。

chitetsu said...

元・いきもの部長さん
コメントありがとうございました。
京成電車はあまり良く解らないので勉強になりました。
戦災復旧車は一両だけだったのですね。
京成電車の体質改善は他社より早かったですね。
その辺りがあまり評価されていないのも京成らしいですね。

Cedar said...

京成が体質改善が早かったのは、日本最初に都営地下鉄と乗り入れたからです。青電の全金属化も押上駅に折り返し列車に使うためでした。
例のロクサン風も、3両のうち1両は担ぎ屋電車で押上まで行くため、全金属化されてました。阪神も限界拡張で一気に電車取り替えましたし。
~そんな事情も両社似通ってましたね。

chitetsu said...

Cedarさん
コメントありがとうございます。
地下鉄乗り入れだけじゃなく押上地下化が体質改善に寄与したとは思ってみませんでした。
京王線の地下ホームに床が木の電車が平気で入線していたのは昔から『これってイイの?』とは思っていましたが、こっちが大丈夫だったのは企業姿勢でしょうか?

Cedar said...

たびたび失礼します。
京王新宿駅は京成上野駅や阪神梅田駅と同じく「トンネル」で「地下鉄」ではないので全金属車以外も乗り入れ可能だったのです。厳密な法的基準はよくわからないですが…。
りんかい線に前面非常扉の無い205系(古い!)が走れるのと同じです。

chitetsu said...

Cedarさん
ご教授、ありがとうございます。
やはり京王新宿は『トンネル』扱いなのですね。
行き止まりなのでその理屈が通るのかなあ?と思っていましたが大丈夫なんですね。
そう言えばりんかい線の205系も言われるまで非貫通なのに疑問を感じていませんでした。

SME said...

こんばんは。
今日は船橋に出掛けてきましたが、本日「赤電カラー引退運転」の日で、撮り鉄集団でごった返していました(^^;)。
 リアルタイムで青電アルミカー(開運号くずれ)やパタパタ前サボ世代には色が非常に懐かしく・・。
 今日は車掌含め、社員さんも赤電の話題でした。
 その赤電保有会社の年配の社員さんの車内での会話より
『しかし、ココの会社は(さよなら運転)やるならパタパタ前サボと、特急サボを何で付けねぇんだかよぉ・・・ホントに味気ねぇ会社だなぁ』 と、農家の親父さん口調で話していました(笑)。
 個人的には新京成の200形や100形が引退した時がショックでした。M車の停止位置だけやたらとバラストが機械油で黒ずんでいる所とか・・・。

chitetsu said...

SMEさん
こんばんは。
本日は成田まで赤電が特急で走ったのですよね。
私も先日最後の姿を金町線に見に行きました。
身内の人の会話、なるほどというか、あそこまでいじられちゃうと京阪3000のように逆戻りはもうできなかったのでしょうね。
いじられるたびに不細工になる典型的な車両だった気がします。