このような用途で生き延びる旧型電車は、当時ここ以外でも幕張・大船・国府津など何箇所かで見ることができました。
クモハ32002 79.3.14 高槻電車区 |
クモハ32002 79.3.14 高槻電車区 |
いかにも関西型国電の風貌です。
クモハ32002 79.3.14 高槻電車区 |
クモハ32は2扉のクモハ42を切迫した戦時輸送対応で4扉化した改造車ですが、最後の活躍はドアが片側一個あれば充分な仕事だったのも皮肉です。
何故か貫通扉にステンレス製と思しき装飾がなされていました。
もしかしたら電車区の誰かが洒落っ気を出して付けたのかもしれませんね。
クモニ13009 79.3.14 高槻電車区 |
クモニ13015 79.3.14 高槻電車区 |
正面のHゴム改造方法が違ったり、『荷』の表記の有無など、ちょっとした違いがありました。
クエ9400 79.3.14 高槻電車区 |
明石区には同じ鶴見出身のクエ9401が、引込み線の東端で年中日向ぼっこしていましたね。
ReplyDelete当時高槻・明石とも緩行線103系の根城でしたが、首都圏配置車両とはどこか違う仕様に興味津々でした。
chitetsuさん、こんばんは。
ReplyDelete高槻電車区に73系でない2種類の4ドア電車がいたなんて奇遇ですね。
職員輸送といえば、鶴見駅の海側貨物線に停まっているクモハ12を見かけたことがありました。行先は新鶴見かな?
12号線さん
ReplyDelete明石電車区のクエ9401、結局私は車窓からみるだけで終わってしまいました。
見に行かなかったのが悔やまれます。
京阪神緩行線の103系、首都圏とはちょっと雰囲気が違いましたね。
103系本来の用途とは違う高速運転の唸りを立てて走る姿が印象に残っています。
元・いきもの部長さん
ReplyDeleteこんにちは。
高槻のクモハ32、姿変われど生まれた時と同じ場所でのんびりと余生を過ごせたのは幸せだったのではないでしょうか。
鶴見のクモハ12はおおきなステップがついていましたね。
昼間は新鶴見の機関区で電機に囲まれて日向ぼっこをしていました。
鶴見と新鶴見の間で何回か写真を撮ったことがあります。