Tuesday, December 4, 2012

北陸鉄道6010系~実車と鉄コレ

鉄コレ16弾レビュー第3弾は北陸鉄道(大井川鉄道)の6010系電車です。

大井川バージョンのしらさぎ号
6000系は北陸鉄道仕様ですが、6010系は大井川鉄道仕様のワンマン車になっています。

前面部分のアップ
前面部分のアップです。
正面の印象把握も良い感じです。
コルゲートもよく再現されていますね。

ロマンスカー顔合わせ
6010系と6000系のツーショット。
個人的には6000系のほうが好きです。

前回の北陸鉄道の意欲的新車6000系に続いて乗客数が増加傾向にあった加南線のロマンスカー増備車『しらさぎ』号です。
転換クロスシートが並んだ車体の基本デザイインは『くたに』号と同じながら、車体はアルミ合金製に進化、逆に下回りは吊り掛け駆動に退化しています。

このあたりの経緯をウィキペディアから引用しますと、
以下引用『・・北陸鉄道初のカルダン駆動車となった同系と異なり、予算節減を目的に既存の15m級車から台車、電装品および空制機器等を流用しており、それらの流用機器の仕様から6000系と同仕様の鋼製車体では重量過大とされたため、収容力と走行性能を両立すべく新開発の、日本の高速電車では2番目のアルミ合金製軽量車体が採用された』

とのことです。
なるほどですね。
私は単なるアルミの試作車を『試作だから安くしろ』とかの交渉をして日車からサンプル的に受け入れた形だと思っていましたが、脆弱な軌道条件と低予算をクリアする目的があったのですね。

そして、アルミ車体導入のくだりを再び引用しますと、
『本系列の計画段階では、日本では鉄道車両向け軽合金製車体の研究は黎明期にあり、本格的な高速電気鉄道用旅客車としてはようやく1962年に西ドイツのWMD社と提携した川崎車両が、そのライセンスの下で製作する全アルミ合金製車両の1号車として、山陽電鉄向けに2000系3両1編成を納入したばかりであった。
このような状況下で、本系列の製造を担当した日本車輌製造本店は独自の道を模索し、車体はアルミニウム合金の押し出し型材を台枠・柱・長桁などに使用し、これらを溶接して組み上げた骨格に、表面をアルマイト加工した短冊状の波形押し出し型材を外板として使用するという独特の工法を開発しており、本系列はその初の実用化例となった。
この工法は製造に非常に手間がかかるためか後続が現れず本系列限りとなったが、軽合金を構造材として使用したことによる軽量化の恩恵は絶大であり、ここで得られた貴重な知見と実績はその後日本車輌製造が国鉄301系電車の製造担当メーカーとして川崎車輌と共に指名されるきっかけともなった。
事実、機器による重量差の出にくいクハは6000系と比較して本系列の方が2t軽量化されており、台車の重量差を考慮すると、その差は更に拡大する。つまり、1ランク下の15m級車から流用した旧型台車や低出力な主電動機で18m級車体を支える、という当初の設計目標は見事に果たされていたことになる』

フムフム、理に叶っていますね。
発注者側の意図と製造者側の意図がうまくWin-Winの関係になったということでしょう。

クハ6061 83.11.20 崎平
崎平駅付近を走る6010系電車。
茶畑にアルミ車体が映えます。

モハ6011 90.11.17 金谷
二回目の出会いは金谷駅でした。
下り急行の乗客として下泉まで『しらさぎ』号に乗車しました。
車内の蛍光灯は近年流行りの節電モードの先陣を切ったような節電ぶりです。
開放的な車内の連結面になんと自販機が置かれていてちょっとびっくりしました。
外観の美しさの割にビビリ音が随分とする乗り心地だったのが印象に残っています。

クハ6061 90.11.17 下泉
下泉で下車、交換待ちの時間のあいだに場所を移動できて、駅を出てゆく姿を捉えることができました。

クハ6061 90.11.17 下泉ー田野口
振り向いてもう一枚のショット。
吊り掛けサウンドを響かせながらトンネルの中に吸い込まれてゆきました。

クハ6061 90.11.17 下泉ー塩郷
戻ってくる電車は茶畑の向こうに大井川を見る場所で待ちました。
その後の訪問でも何度か元気な姿を見たあと、天寿を全うして引退の時がやってきました。
先輩の6000系は寂しい末路を迎えてしまいましたが、6010系は幸いにも2005年に里帰りが実現しました。

モハ6011 12.4.19 山中温泉ゆけむり健康村
里帰り保存された姿は今年の春に見にゆくことができました。
保存の経緯は市町村合併に伴い消滅することが決定した山中町が「地元の記念品として町内に展示保存したい」との申し入れがあったということです。
全国町村合併がこの電車の里帰りのきっかけになったというのもどこか皮肉な感じもしますね。
保存後大井川時代の外観から北陸鉄道時代に部分復元をされているとのことです。

モハ6011 12.4.19 山中温泉ゆけむり健康村
運転台は大井川時代のワンマン機器類がそのまま残っていました。

モハ6011 12.4.19 山中温泉ゆけむり健康村
編成全体が見通せる車内の様子です。
当然自販機は撤去されていました。
これからも末永く同地で保存されることを願って山中温泉の宿に向かいました。

4 comments:

  1. chitetsu殿おはようございます、毎朝失礼いたします。
    6010系はなによりしらさぎ号のネーミングがよろしいですね。
    ただ、せっかく原型に戻すまでの努力をした保存車の状態はあまりよくないように見えますがどうなんでしょう?
    さて、鉄コレも銀塗装がよくなってたいへん見栄えがします。ステンレスの質感がばっちりですね(爆)!・・・実車はアルミなのでこれでは輝き過ぎです(核)!
    もう一点、できればオリジナルの北陸仕様で出して欲しかった・・・。さほどの差がないだけに余計に・・・。

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  2. イヌ6010どの
    しらさぎ号~いいネーミングですね。
    確かに山中温泉のしらさぎ号は白鷺っぽくなく薄汚れていました。車体素材のおかげで持ちこたえてくれるのしょうが、もう少し手入れをして欲しいというのが実感でした。
    今回の鉄コレでも輝きを落として欲しかったなあ~というのは贅沢でしょうか?

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  3. 15年くらい前に乗りました。連結相手は元西武の旧型国電(元クモハ371形)でした。
    6000系と6010系は、西武551系と初代レッドアローを合わせたようなデザイン(笑)がお気に入りです。
    アルミ車体導入には切実な事情があったんですね。
    退化した吊り掛け駆動の下回りが、結果的に大井川での活躍の機会が増え、最終的に里帰り保存につながったのは、皮肉ですね。

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  4. 元・いきもの部長さん
    連結相手の西武のクモハ371形は二扉転換クロスシート化されて、乗車してみるとそれなりに楽しい電車でした。
    おっしゃるように、6000系と6010系のその後の運命が製造時の経緯を考えると皮肉な結果になってしまいました。
    電車の運命も何が命運を分けるかわからないものですね。

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