当時の箱根登山鉄道の電車は101から115までの14両(105は欠番)と事業用車、それが全てです。
当然ながら在籍車両全てが吊り掛け電車であり、小田原までの直通運転に運用されていました。電車の外観は殆んど同じながら、形式はモハ1形から3形までの3形式に分かれていました。
モハ102 80.5.4 入生田 |
モハ103 80.5.4 入生田 |
戦前からの木造車を戦後になって車体を載せ替えたグループです。
今との違いがはっきりわかるのが前照灯とパンタグラフですね。
この姿の方が凛々しくて良いです。
現在は片運転台改造を受けてこのうちの4両が残存、うち二両がカルダン、残り二両が最後の吊り掛け車として活躍を続けています。
モハ2形同志の離合 モハ109(左)、モハ108(右) 80.5.4 入生田 |
木造車体を戦後車体更新した更新車のグループとスペアの外国から輸入した台車と電動機を活用して戦前に新造されたグループが混じっています。
写真の二両は戦後更新組ですが、良く見ると前照灯のタイプや支持方法が異なっています。
モハ109 80.5.4 入生田 |
戦後更新組の108から110までは車内をクロスシートで更新しています。
その為、シートピッチに合わせてモハ1形とはドア間の窓割が異なります。
当時は単行が当たり前のように走っていました。
モハ112 80.5.4 入生田 |
リベットの車体にいかついスイスより輸入したシュリーレン社製の板台枠の台車を装備していました。
この窓割りはモハ1形更新時に受け継がれています。
戦前新造組のこの二両は既に引退しています。
モハ113 80.5.4 入生田 |
モハ114 80.5.4 入生田 |
こちらは昭和10年製造の純国産車。
モハ2形の111,112と同じ車体ながら下回りが異なるために別形式になっています。
既に三両とも鬼籍入りしています。
1 80.5.4 入生田 |
ポールが空に向かって元気に上がっていました。
2 comments:
数年前に箱根登山に乗った際、あれーー3線じゃないー?▽■※□?と、頭の中が混乱しまい、いつのまに1067mmだけになったんだと乗務員に聞いてしまったのを思い出しました。
というのも、小生のあたまの中の箱根登山のイメージは、今回chitetsuさんが掲載した入生田のままだったんです。やっぱ、箱根登山と言えば2両編成のツリカケですよね!。。。。
小生は箱根登山に行くと塔ノ沢に必ず寄ります。静かな無人駅ですがトンネルにこだまするツリカケ・サウンドもオツなもんです。更に(無人駅ですので)関東では希少なパンチ式の車内券を車掌からゲットできます。
maru-haどの
優待券、ありがとうございました。
有効に活用させてもらいました。
それにしても小田原に三線がなくなってしまったのは登山電車ではなくなったみたいでどうも違和感を感じてしまいます。
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