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Friday, August 3, 2012

KATOの営団地下鉄丸ノ内線を買っちゃいました

KATOのNゲージの丸ノ内線を買ってしまいました。
吊り掛け電車でもないし、ましてHOゲージでもないのに何故??

その答えは個人的に西武線に次いでお世話になった懐かしい電車で、ほかの電車とはちょっと思いが違うものがあり、手元に置きたくなりました。
というわけでNゲージャーではない私も(HOじゃ高くて買えないだろうし)記念に買うことにしました。
高校時代は学校が荻窪にあったので何かの時にお世話になっていましたし、大学時代は池袋から御茶ノ水まで通学で、会社に入ってからは同じく池袋から銀座までと随分とこの赤い電車にはお世話になりました。

当時の丸の内線の電車への思い出としては夏暑くて冬寒い電車という印象が一番残っています。
窓は余り開かないし、ピンク色のペンキを鉄板に塗った感じの内装色も夏はちょっと・・・暑苦しかった気がします。
また逆に冬は、寒い電車でした。
銀座線の黄色い電車と丸の内線の赤い電車には暖房が付いていなかったこと、ご存知でしたでしょうか?
建設当時の感覚は地下鉄はトンネルの特性からして「夏は外より涼しく冬は暖かい」と言われていましたが、実態はそのようにうまくはいかなくなっていました。
冬の朝、茗荷谷から出庫してきた電車は大変に寒く、人の熱気で車内が温まるのを凍えながらひたすら我慢して座っていると大手町あたりで暖かくなってきた記憶があり、これも今となっては懐かしく思い出されます。


今回製品の代表車種3種類を以前販売されていたプルバック丸ノ内線300形と記念撮影です。
このプルバック丸ノ内線、上手にデフォルメされておりお気に入りグッズの一つです。


左から中間封じ込めの300、500と先頭車の500形です。
できれば片側はHゴムじゃない先頭車が良かったなあ・・・。
しかし良く出来ていますね。
白い帯が別パーツなのはちょっと驚きました。すごい精度だと思います。
でも、貫通扉には車番があったような・・・。
折角なので実物写真も。

800 79.10.4 御茶ノ水ー淡路町
と思ったのですが、あれだけ乗ったのに殆んど写真がありません。
数少ない写真もなぜかどんよりした天気の時の写真ばかり。
パットしたものがありません・・・が、とりあえず定番、御茶ノ水の写真です。
基本何も変わっていない風景ながら、背景の風景は随分と変化を感じさせます。

777 79.10.4 御茶ノ水ー淡路町
こちらはトリプルセブン、777号です。
唯一の晴れた写真です。

左から2032、2068、700
86.5.24 中野車庫
中野車庫での面々です。
左から方南町支線専用の赤い2000形、銀座線の2000形、2両目には1200形と思しき車両がつながっています。そして一番右はここの主人、500形です。

307 83.4.10 後楽園
300形は中間に封じ込められて、先頭に出ることはありませんでした。

400形 88.12.15 中野車庫
同じく400形も全車中間封じ込めでした。
これはたまたま中野車庫で見ることのできた400形のお顔です。
行先に「四谷三丁目」が出ています。先頭で風切った最後の運用だったのでしょうか?
折角のお顔拝見ですが、既に貫通扉は撤去されており、このように間の抜けたお顔しか拝めませんでした。扉が無く道路からの望遠撮影なので車番も不明です。
これは中間封じ込め車両に共通しており、私の記憶ではほぼ全車運転台側の貫通扉は外されていた気がします。

580 83.4.10 後楽園
こちらは500形前期の車両。
400形同様方向幕脇に標識灯が付いていました。
方向幕は英語表記も入った古い形のものです。

788 83.4.10 後楽園
こちらは500形後期の車両。
標識灯はなくなってすっきりしました。
客用扉は大型の窓を持つオリジナルのままでした。
後楽園のドーム型の上家は他に例のない独特のものでした。
電車の背景の桜が満開です。
今では4月10日だと既に桜は散っていますね。
温暖化で開花が早まっている気がします。

911 86.5.24 中野車庫
赤い地下鉄最後の増備車900形。
両開き扉の窓は製造当初から小型の窓で竣功しており、形状が交換された車両のものとは異なっていました。
模型でもAssyパーツで切り継いで作ってみたくなります。

大変お世話になったし、なんぼでも撮れたはずの丸ノ内線。
しかし、捜してみると、このぐらいしか写真が無いお粗末さ。
自分の勝手な記憶ではそれなりに撮っていた気になっていましたが、記憶なんてあまり当てにならないものです。
記録の大切さをまたもや痛感しました。








4 comments:

イヌ101 said...

Chitetsuさま、はじめまして!
先日お目にかかったイヌ101です。その節はどうもありがとうございました。さすが、丸ノ内線もずいぶん写真に残されていてうらやましい限りです。わたしも丸ノ内線新中野に暮らしたことがあり、たいへん思い出深い電車なんですが写真はやっぱり一枚も持っていません。そこでNゲージ製品の購入とつながったわけです(笑)。
中間封じ込めの中間車は模型では車番のないドアがついていますが、やはりこれは妖しいですね。KATOとしても迷ったところでしょうが、ドアそのものをなくすと模型としてマヌケになってしまうという判断でしょうか。また、おそらく400形、900形は発売されないでしょうから切り継ぎ工作に手を出してしまいそうですね(笑)。今後ともなにとぞよろしくお願いいたします。

chitetsu said...

イヌ101さま、先日はありがとうございました。
丸ノ内線にイヌ101さまも縁があったのですね。毎日のように乗っていいて何時でも撮れると思うと後回しになって記録を残さないものですね。
車両の選択や貫通ドアのことなど確かにKATOも迷ったのでしょうね。自分は中間に封じ込められた500形を先頭車にさせたい気分です。

Anonymous said...

記事拝見いたしました。
400型の方向幕「四谷三丁目」ですが、幕が紫外線で硬化してひび割れするのを防ぐために、留置したり中間封じ込めになったりした時、普段あまり使わない行き先を出していたらしいです。

chitetsu said...

匿名さん
方向幕の件、言われてみればなるほどですね。
昔京浜東北線の103系も中間に入った車両の方向幕が藤沢とかになっていたのも同じ理由かもしれませんね。
ご教授、ありがとうございました。