和光市から朝霞の間にある大カーブに行った時の記録です。
東武線の成増以遠の区間は地下鉄有楽町線開業に伴い、大幅な改良が加えられて現在は複々線になっていますが、1980年当時はのんびりとした区間でした。
モハ7844 80.9.13 朝霞ー和光市 |
同じ東武鉄道の73・78系ですが伊勢崎線とは行き先板の表示の仕方が異なっており、東上線はご覧のように行き先は基本運転台の下にパタパタ式のもので表示、貫通扉のサボ受けは列車種別表示になっていますが、伊勢崎線は逆に行き先表示が貫通扉のサボ受け、列車種別表示が左右窓の下のサボ受けに引っ掛ける方式でした。
このあたりの違いが興味深いです。
クハ317 80.9.13 朝霞ー和光市 |
クハ326 80.9.13 朝霞ー和光市 |
行先表記はその行き先ごとにデザインが異なっていました。
クハ316 80.9.13 朝霞ー和光市 |
周りは雑木林と畑が広がっていました。
ED5014 80.9.13 朝霞ー和光市 |
手前の道はまだ砂利道でした。
以上、1980年秋の東武線でした。
もうすぐ涼しくなりますね。
10 comments:
この近所に住んでいた頃、毎日のように電車を見にこの築堤にやって来ました。
一見ただの砂利道に見えますが、朝霞駅から分岐した軍事工場への専用線跡であり、一部分には枕木やレールが後年まで残っていました。
現在は下り本線として使われていますね。
この13年前の1967年から2年だけ東上線志木に住んだことがありました。
1980年代でこれだけ面白いのなら1960年代後半は更に凄い電車だったと思います。
しかし私にとって東上線は当たりまえ過ぎたのかカメラを向けたことがありませんでした。
一体あの時どんな電車が走っていたのか知りたくなりました。
東上線はあまり乗車機会はありませんでしたが、通学で池袋を毎日通る度に山手線から見てました。
マルーンからオレンジ、ベージュとオレンジのツートンと塗装が変化して行きました。
73.78系はバーミリオンにオレンジ帯の印象が深いですね。
匿名さん、こんにちは。
このカーブのご近所に住まわれていたのですね。
線路の横に並行していた砂利道が軍需工場への専用線とは知りませんでした。
言われてみると線路っぽい感じだった気がします・・・
上板橋から光が丘までの啓志線ぐらいしか東上線関係ではなかったのかと思っておりました。
ご教授、ありがとうございました。
Katsuさん
私も1970年から一年間だけ上板橋に仮住まいをしていました。
親族は小田急線沿線だったので、それに比べると、当時の東上線の印象は今とはずいぶん違ってうす暗くて野暮ったい印象が強かった気がします。あの電車の色のせいもあったかもしれませんが。
1967年位だともしかしたら32系が最後の活躍をしていたりして。想像でしかありませんが。
Cedarさん
東武線の電車の色は当時随分変化しましたね。
試験塗装車の写真も見たことがあります。
私はバーミリオンにオレンジの帯の姿は見たことがありませんが、写真で見るとそれなりに似合っていた気がします。
全然違いますが、名鉄も昔のクリームに赤系の帯の色が似合っていた気がします。
はじめまして!
「釣り掛け」で検索したらたどり着きました。
朝霞で生まれ育ったので、懐かしい光景に思わずホロリときました。貴重な写真の数々に感謝いたします。
残念ながら7800/7300系や5000系列の映像は残せませんでしたが、日光線などで最後まで優等列車として釣り掛けサウンドを唸らせていた5700系の映像がありますので、興味がございましたらご覧くださいませ↓
https://www.youtube.com/watch?v=RX_wbPH9aEQ
https://www.youtube.com/watch?v=Qn-p9G8mqXc
窓夜様
はじめまして。
カステラ電車は私も自転車で見れる一番身近な旧型電車のひとつでした。
今後ともよろしくお願いします。
古ネタ投稿で失礼します。
当時は廃線跡を晒していたこの築堤、意外と歴史は新しく作られたのは戦後になってからとの事です。
冬コミでその顛末調査された本を入手しましたので、ご興味ございましたらお寄せ下さい。
12号線さん
そうなのですか、戦後とはちょっと意外ですね。
今再び線路が敷かれているのも面白いですね。
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