いつもアクセス頂いている方、初めて見た方、ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。
お決まりのようで恐縮ですが50000に因んだ話題です。
桁が万を超えてしまうと吊り掛け車では随分と選択肢が少なくなりまして、5桁表記の国電から選んでみました・・・と言うかずいぶん前からこの電車を5万アクセスの時に・・・と目論んでネタ仕込みしておりました。
思ったより早く活躍の場が与えられたのは皆様のおかげであります。
クモハ50000 78.11.23 駿河小山 |
横須賀線では戦後の関東の51系と関西の42系の大型トレード後70系の増備で3扉車中心になるものの、依然3扉と2扉車が混在を続けていましたが、さすがに利用客増と整列乗車を乱すということで扉の数を合わせる改造をせざるを得ない状況になりました。同じように流電の仲間のサハ48も真ん中にドアつけてサハ58になっています。
このクモハ50、000から008まで偶数番号で5両が改造されましたが、そのうちの006は改造してあまり間もないうちに例の鶴見事故に巻き込まれて悲惨な最期を迎えました。
残った4両はその後仲良く飯田線に転属、全車豊橋に配属されて活躍を続けました。
クモハ50000 78.11.23 駿河小山 |
その初回は主に南部地区の流電を筆頭にした二扉車や出力の低い車両などが対象になりました。
クモハ50形は4両が在籍していましたが、そのうちの3両が対象になってしまい、既に現役を退いて、富士宮やこの駿河小山等に疎開留置されて最期の時を待っていました。
クモハ50は片隅運転台が嫌われたのか中間に組み込まれている割合が高く、ホロが風を切る機会は割合少なかったため、現役時代にあまりお顔を拝見できませんでした。
逆に中間車使用が多かったため、前面はHゴム化等の無粋な改造は受けず、尚且つ撤去が進んだ幌も装備されており、割合原形を留める結果となりました。
デハ3015(左)、クモハ50000(右) 78.11.23 駿河小山 |
やはりSE車は車高が低いですね。
クモハ50000 78.11.23 駿河小山 |
クモハ50000 78.11.23 駿河小山 |
早い時期に貫通扉のサボ受けが撤去されていたので、正面から見ると横須賀線時代の雰囲気をよく残していました。
クモハ50000 79.2.5 横浜 |
留置されていた編成は二分割されて3連で横浜にやって来たクモハ50ほか3連。
編成は短いですが昔のスカ線時代を彷彿とさせます。
クモハ50最後の横浜滞在シーンです。
クモハ50000 79.2.5 横浜 |
和服姿の女性もこの頃はまだ良く見られました。
クハ153(左)、クモハ51027(右) 79.2.5 横浜 |
低運転台の153系も今や懐かしい電車です。
クモハ50000+クハ47153+クモハ51027 79.2.5 大船 |
自分で走れるのもあと数キロを残すのみです。
2 comments:
こんばんは。初めまして。 「地方私鉄1960年代の回想」のサイトよりお邪魔しました。
5万アクセスおめでとうございます。
私の時代には、御殿場線と言うと113系の時代でしたが、東京から山北行きの直通がダイヤで組まれていた時でした。 横浜での廃回画像を見ていたとき、私は後の「国府津にいたクモハ40(半流+平妻)が新宿(?)に出現」した時のことを思い出しました。 あの時の新宿駅は一般客が騒然としていました。
山手線イベントがらみの時です。 日本の大ターミナル駅に急に現れたクモハ40のぶどう色2号カラーに 「省線だよ~! まだあったのか」と還暦世代の人がまじまじと見ていたり、 「省線と言えばこの色だったなあ」と懐かしみながら、車内まで覗いていた人がいたぐらいでした。
私は総武線でのイベント走行で立川~中野を走った時に半流と平妻の両方に往復で乗りました。
SME化さん
こんばんは。初めまして。
>5万アクセスおめでとうございます。
ありがとうございます。
JRになって御殿場線を始め、東海道線も含め東海エリアとの直通列車は激減しましたね。
ちょっと残念なことです。
私も山手線イベントでのクモハ40の新宿登場は見に行きました。まさに「正夢」の実現でしたね。昨日ちょうどその時のネガをスキャンしようと選んでいたところです。
一般の乗客から見たら茶色い電車は既に驚く存在になっていました。
こんなことが続いて欲しいと願いましたが、長続きしなかったのは残念なことです。
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