古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

Friday, August 31, 2012

東武8000系動態保存記念列車を見に行く

東武鉄道の103系、8000系が動態保存されることになり、その記念の臨時電車が走るということで野次馬根性丸出しで見に行きました。
8000系電車は吊り掛け好きのChitetsuの範疇外の電車であるとも言えるのですが、今となってはこの電車も不思議と懐かしく感じられるようになってきましたし(人間の気持ちなんてどんどん変わるものですね)、先般のカステラ電車のお話でもしましたオレンジとベージュの旧塗装が見れるのも興味を引きました。

ということで、34度の炎天下の中、32年ぶりに西新井の大カーブに行ってみました。
その後何度となくこの区間は通過しているものの降りたことはなく、同じように撮れるのか心配でしたが、ほとんど変わらい条件で撮れました。
ここはスペーシアからメトロ、東急の電車と待っている間もバラエテイ豊かな電車群がやってきますので飽きることはありませんが、8000系は一本も来ませんでした。
もしかして、本線ではもう走っていないのでしょうか?
あまり良く知らないので何とも言えませんが・・・

クハ8111 12.8.30 西新井ー竹ノ塚
ということで、本命の8000系オレンジベージュ車がやって来ました。
懐かしいですね、この色。
オレンジってこんなケバかったんでしたっけ?
忘れてしまいました。

クハ8411 12.8.30 西新井ー竹ノ塚
振り向いてもう一枚。
6両編成での動態保存決定は日本の鉄道では快挙と言わざるを得ない英断だと思います。
東武鉄道の姿勢に拍手を送りたいと思いますし、末永く維持していただきたいものです。
どうせなら78系も残して欲しかったですけど・・・

ということで、ここからは32年前に時計の針を戻して本業のカステラ電車の登場です。

クハ825 80.5.29 西新井ー竹ノ塚
似たようなアングルから78系です。
隣の緩行線を8000系が併走しています。

78系と8000系 80.5.29 西新井ー竹ノ塚
振り向いたらこんな感じでした。
8000系のこのお顔、今回久しぶりの対面でした。
西新井駅の東武のマーク(スーパーでしょうか?)も懐かしいですね。

モハ7867 80.5.29 西新井ー竹ノ塚
下り普通電車の78系。
この姿、私は格好良いな~と思いますです。

モハ7867 80.5.29 西新井ー竹ノ塚
同じ車両を更にアップで。
お客さんからもファンからもクソミソ言われていたカステラ電車でしたが
東武独特のふんわりしたシートに腰掛けての78電車の旅は個人的には大好きでした。

クハ829 80.5.29 西新井ー竹ノ塚
振り返って竹ノ塚方向を撮りました。

 80.5.29 西新井ー竹ノ塚
DRCとすれ違う78系電車。
DRCの後継車、スペーシアはこの10年後の1990年に誕生しています。
新しいと思っていたスペーシアも既に20年選手になっているのですね。

ということで、本日は突如実現した今昔対比報告でした。







Thursday, August 30, 2012

お知らせ、と電車庫モジュールの製作(17)

お知らせが二つあります。

昨日、H.Kuma様が自らのブログ(⇒東京西郊日誌)に私のブログを紹介して頂きました。
私も都度都度覗かせていただいていましたので、ご案内いたします。
先方様のご了解が得られたらリンクさせていただこうと思っております。

もう一つ、ひょんなことから意気投合したNゲージ鉄犬さま(⇒Nゲージ鉄犬)と相互直通乗り入れ契約を昨晩、銀座の某居酒屋で酔った勢いで締結いたしました。
内容的には私が吊り掛け電車バカ、Nゲージ鉄犬さまは初期高性能車バカのようですれ違ったり噛み合ったりで面白い話ができました。
模型もHOとNゲージとこれまた噛み合わなさそうで噛み合ってしまう不思議な気持ちになりました。
ブログの内容も実物の鉄板電車あり、鉄コレいじりありで楽しめますので、覗いてみてください。

ということで、基本休日しかアップしないことに勝手に決めている模型製作記を今回は番組の予定を変更して(?)登場、模型の話題です。

いつかは使えるのではないかと買い貯めて来たパーツ類・・・。
20年近い眠りから覚める時がやってきました。

買い貯めていたパーツ類

パーツを買ったお店もずいぶん昔になくなっており、懐かしく眺めたりしてしまいました。
これらの機関庫インテリアアクセサリーの大半はSSLtd製の定番製品です。
価格はそれなりですが、説明書を眺めるだけでも楽しいものです。

パーツ組立終了

パーツ類を袋から出して整形したり、組み立たりして記念撮影。
バリの量は半端ではなく、掘り出さなきゃいけないんじゃないかレベルのパーツもあります。
この辺はWoodlandscenicのパーツにも共通する、その頃のアメリカのパーツの宿命でしょうか。

黒染め中

整形したホワイトメタルパーツは最終的にどのような色に着色するかは関係なく、MicroEngneering製の黒染め液にドボンと投げ込んでしまいます。

黒染め乾燥後の状況

水洗い後、乾燥させた状態です。
全体に薄茶色の粉が吹いている感じの仕上がりになります。
この粉を取り除くと黒というよりグレー系の色に染まっていますが・・・

STカラーで一回目塗装

取り敢えず、全てSTカラーで一度塗ってしまいます。

各パーツ色差し完了

その後に各々のパーツごとに色差しをしてゆきます。

エムズパーツの組立

並行してエムズコレクションのインテリアパーツも組立をしてゆきます。

インテリアパーツスタンバイ完了

パーツ類、ひとまず完成。
これからこれらパーツをどう配置するかが腕の見せどころ(?)です。

Wednesday, August 29, 2012

東武のロクサン、東上線のカステラ電車 1

東武のロクサン、カステラ電車の写真から更に何枚か。
和光市から朝霞の間にある大カーブに行った時の記録です。
東武線の成増以遠の区間は地下鉄有楽町線開業に伴い、大幅な改良が加えられて現在は複々線になっていますが、1980年当時はのんびりとした区間でした。

モハ7844 80.9.13 朝霞ー和光市
その大カーブをゆく上り普通列車。
同じ東武鉄道の73・78系ですが伊勢崎線とは行き先板の表示の仕方が異なっており、東上線はご覧のように行き先は基本運転台の下にパタパタ式のもので表示、貫通扉のサボ受けは列車種別表示になっていますが、伊勢崎線は逆に行き先表示が貫通扉のサボ受け、列車種別表示が左右窓の下のサボ受けに引っ掛ける方式でした。
このあたりの違いが興味深いです。

クハ317 80.9.13 朝霞ー和光市
7300系らしい台車が良く見えます。

クハ326 80.9.13 朝霞ー和光市
こちらは準急列車。
行先表記はその行き先ごとにデザインが異なっていました。

クハ316 80.9.13 朝霞ー和光市
こちらは急行列車です。
周りは雑木林と畑が広がっていました。


ED5014 80.9.13 朝霞ー和光市
突然やってきた貨物列車。
手前の道はまだ砂利道でした。
以上、1980年秋の東武線でした。
もうすぐ涼しくなりますね。

Tuesday, August 28, 2012

一番身近だったロクサン、東武東上線の73・78系電車

小学生時代から西武池袋線と東武東上線の間で育ったので、利用することは稀だったものの自転車で電車を見に行ける距離にある東上線もそれなりに身近な存在でした。

クハ325 79.2.26 池袋
池袋駅にて、サボを入れ替える車掌さん。
4番線は未だ赤羽線時代の折り返し電車ホームでした。
何かの折にこのホームにはよく降りましたので、この風景はすごく当たり前の風景でした。
グロベンとDT13系台車を履く7300系は直系ロクサンの末裔です。
独特のベージュとオレンジのツートンカラーからクリーム系一色に変更になったときは、下塗りか?
いつ帯が入るのか?と思ったものです。
屋根が制輪子の粉で茶色くなっていたので、クリームの車体との組み合わせは誰ともなく「カステラ電車」と呼ばれるようになっていました。

モハ7848 79.1.17 下赤塚ー東武練馬
直線距離で一番近かったのは下赤塚でした。
自転車で何回か電車を見に行ったことがあります。
駅を出て池袋へ向かう前パンタのモハ7800。
この頃は7300系または7800系4連+7800系2連の6連が基本でした。
8000系も6連でした。
今は全て急行も普通も10連になっているのも隔世の感があります。


モハ7885 79.1.17 下赤塚ー東武練馬
こちらは後パンタのモハ7800。
後期車ですね。

東武の7800系は周辺がカルダン車全盛の1961年まで製造が続けられ、大所帯となりました。
向こうからやって来る東武顔の8000系はその78系を抜いて「私鉄の103系」とまで言われる大所帯になりましたが、この顔の電車もついに動態保存車のみとなってしまいました。
時の流れは早いものです。
この頃の冬の深夜はよく音が通り、風向きによっては遠くこの電車が唸りを立てて走行する音が聞こえました。

ED5014 79.1.17 下赤塚ー東武練馬
東上線も当時は貨物列車が下板橋までやって来ており、日に何回かこんな風に貨物列車もやってきました。

Monday, August 27, 2012

唯一生き残った飯田線のクモハ50

クモハ50シリーズ最終回です。
第一回目の飯田線近代化で4両の仲間のいたクモハ50のうち3両が整理対象になったことは前々回お話をしましたが、唯一残ったクモハ50形のその後を追いかけました。

クモハ50008 79.3.23 伊那松島
こちらが唯一生き残ったクモハ50008です。
生き残ったクモハ50は他の首がつながった電車共々豊橋から住処を北部の伊那松島に異動しました。
今度は二両1ユニットの運用に組み込まれるようになったので、通常的に先頭に顔を出せるようになりました。


クモハ50008 79.3.23 伊那松島
こちらは2位空気側側面です。
良く見ると正面サボ受けがあるような無いような変なものがついています。
パンタグラフがPS13なのがちょっと残念です。

クモハ51200 79.3.23 伊那松島
こちらはクモハ50ソックリさんのクモハ51200です。
クモハ50同様クモハ43の3扉改造車です。
それでは何が違うかというと、基本は電動機出力だけです。
3扉クロスシートの電動車の基本はクモハ51形。そしてパワーアップ版はクモハ54形が原則なので、このクモハ51200という車番はその原則に従っていて、見た目は別にして付番上は正解なのでしょう。
逆にクモハ50という形式が???と言うべきで、本来の原則ではクモハ54200~で良かったのではないかと思われます。
どんな経緯があったのでしょうか?

クハ85104(左)、クモハ50008(右) 80.8.31 三河一宮

話がちょっと固くなってしまいました・・・
こちらは1980年夏の画像です。
いつの間にかホロが外されて、Hゴム改造もされてしまい、間抜けな姿に変身していました。
早朝の天竜峡ゆきで大学の鉄研仲間と飯田線完乗の旅に行った時のスナップです。
左は仲間を追いやる結果となった東海道線から都落ちしてきた80系です。

クモハ50008 80.8.31 野田城

さらに天竜峡ゆきで先に進みます。
野田城での交換待ちでもしつこくスナップ。
左手にはタブレットを持った駅員さんが歩いています。
当時はタブレット交換は当たり前過ぎた光景でした。

クモハ50008 83.5.22 出馬ー東栄
更にその3年後です。
こちらは車で日帰り飯田線縦断を強行した時の撮影です。
山の深い飯田線中央部は、当時は車での縦断には道が狭かったり、大きく迂回を強いられたりそれなりに難儀な行程でした。
この場所はその強行軍旅行での目玉ポイントでした。
運良くクモハ50形が先頭の4連がやって来てくれました。
この時に撮影したクモハ50形が私の見た最後の姿となりました。








Sunday, August 26, 2012

電車庫モジュールの製作(16)

電車庫モジュール製作、まずは順調に進んでおります。
今回は三次元パーツシリーズ、第二弾です。

パーツ類の塗装中
いろいろパーツを塗装中です。
パーツはエコーモデル製が中心、ドラムカンはグラントライン製です。
このドラムカン、プラ製で中が空洞で単価も安くおすすめ品です。

踏切に警票を取り付け
踏切の警票をつけました。
これ一つ建てるだけで線路周りがリアリティを増す楽しい瞬間です。

踏切周りの工作中
電柱類や電車庫門柱等を取り付けました。

変圧柱
電車庫にはよく見かける変圧柱を製作しました。
トランス等のパーツはGMのNゲージ用パーツをそのまま流用、サイズ的には何故かしっくりきます。

呑んべい横丁
照明を仕込んだアーケード柱も取り付けました。
奥に踏切や飲み屋が見えて俄然雰囲気が出てきた気がします。
酔っぱらいを歩かせないといけませんね(笑)。

駅前通り
ちょっとしかない駅前通りを眺めるとこんな感じになります。

Saturday, August 25, 2012

もう一両の飯田線クモハ50

前回は駿河小山に疎開留置されていたクモハ50形を紹介しましたが、同じように富士宮にもう一両疎開留置されていたクモハ50形も見に行きました。

クモハ50002 78.11.23 富士宮
こちらがそのクモハ50002です。
こちらの電留線には2編成留置されていました。

クモハ50002 78.11.23 富士宮
こちらは2位電気側側面です。
クモハ50002は前回アップしたクモハ50000と同じ偶数向き車ながら方向転換改造を受けています。
クモハ50000の2位側は空気系床下機器配置でしたので機器配置が左右が逆ということになります。
それは正面のジャンパ栓受けが車体側と床下側が一致していないことでわかります。
細かいことですが、台車もコロ軸受けタイプですね。

EF5861(左)、クモハ50002(右) 78.11.23 富士宮
電車を見ているうちにEF58牽引の団体臨時列車がやって来ました。
牽引機はたまたまお召機、EF5861号でしたので、記念撮影です。


EF5861(左)、クモハ50002(中央)、クハ47074(右)
78.11.23 富士宮
さらに引いてもう一枚。
このクハ47はサハ48改造車です。

クハニ67901 78.11.23 富士宮
編成反対側にはクハニ67が付いていました。クハ55のドアを変えて室内に仕切りをつけてクハニに改造された車両です。
飯田線の貫通扉付き車両の正面塗り分けは基本扉全体がクリーム色のはずですが、何故かクハニ67だけは昔ながらの直線塗り分けで終始しました。


Friday, August 24, 2012

感謝!50000アクセス

昨日50000アクセス、超えました。
いつもアクセス頂いている方、初めて見た方、ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。

お決まりのようで恐縮ですが50000に因んだ話題です。
桁が万を超えてしまうと吊り掛け車では随分と選択肢が少なくなりまして、5桁表記の国電から選んでみました・・・と言うかずいぶん前からこの電車を5万アクセスの時に・・・と目論んでネタ仕込みしておりました。
思ったより早く活躍の場が与えられたのは皆様のおかげであります。

クモハ50000 78.11.23 駿河小山
クモハ50形はクモハ43形を横須賀線時代に70系の足回りに合わせるために出力強化してクモハ53に改造、さらにその後3扉化改造を受けた電車です。
横須賀線では戦後の関東の51系と関西の42系の大型トレード後70系の増備で3扉車中心になるものの、依然3扉と2扉車が混在を続けていましたが、さすがに利用客増と整列乗車を乱すということで扉の数を合わせる改造をせざるを得ない状況になりました。同じように流電の仲間のサハ48も真ん中にドアつけてサハ58になっています。
このクモハ50、000から008まで偶数番号で5両が改造されましたが、そのうちの006は改造してあまり間もないうちに例の鶴見事故に巻き込まれて悲惨な最期を迎えました。
残った4両はその後仲良く飯田線に転属、全車豊橋に配属されて活躍を続けました。

クモハ50000 78.11.23 駿河小山
その飯田線の近代化は何段階かに分けて行われました。
その初回は主に南部地区の流電を筆頭にした二扉車や出力の低い車両などが対象になりました。
クモハ50形は4両が在籍していましたが、そのうちの3両が対象になってしまい、既に現役を退いて、富士宮やこの駿河小山等に疎開留置されて最期の時を待っていました。
クモハ50は片隅運転台が嫌われたのか中間に組み込まれている割合が高く、ホロが風を切る機会は割合少なかったため、現役時代にあまりお顔を拝見できませんでした。
逆に中間車使用が多かったため、前面はHゴム化等の無粋な改造は受けず、尚且つ撤去が進んだ幌も装備されており、割合原形を留める結果となりました。

デハ3015(左)、クモハ50000(右)
 78.11.23 駿河小山
小田急のSE車とのご対面。
やはりSE車は車高が低いですね。


クモハ50000 78.11.23 駿河小山
2位空気側側面です。
クモハ50000 78.11.23 駿河小山
正面から。
早い時期に貫通扉のサボ受けが撤去されていたので、正面から見ると横須賀線時代の雰囲気をよく残していました。

クモハ50000 79.2.5 横浜 
駿河小山でひと冬を過ごした後、いよいよ解体の時がやってきました。
留置されていた編成は二分割されて3連で横浜にやって来たクモハ50ほか3連。
編成は短いですが昔のスカ線時代を彷彿とさせます。
クモハ50最後の横浜滞在シーンです。

クモハ50000 79.2.5 横浜 
スカ線ぽっく撮ってみたりもしました。
和服姿の女性もこの頃はまだ良く見られました。

クハ153(左)、クモハ51027(右)
 79.2.5 横浜 
反対側はモハ51時代の面影が割合残るクモハ51027でした。
低運転台の153系も今や懐かしい電車です。

クモハ50000+クハ47153+クモハ51027 
79.2.5 大船
そして折り返し大船工場へ向かう回送電車を大船の駅で待ちました。
自分で走れるのもあと数キロを残すのみです。