古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

Thursday, May 31, 2012

西武鉄道501系・551系 ハイキング急行

西武線の週末のハイキング急行「奥武蔵」は、一般の通勤車がヘッドマークをつけて走れる唯一の優等列車でした。
後年は同じ列車でもヘッドマークなしの普通の快速急行となってしまい、更に近年はこの運用は4000系が専属で運用されていますので、目に見えてわかる通勤車の特別な列車は無くなってしまい、残念です。
さて、1979年当時の急行「奥武蔵」には色々な車両が充当されていました。
理屈から考えると抑速制御のできる101系の充当になる筈ですが、割合柔軟に運用されていた様子で、時には吊り掛け車だけの8連も運用に充当されていました。
休日で電車も余っているはずなのに、どうして古い電車にハイキング客を乗せるのか、個人的には嬉しいものの良くわかりません。
西武線では吊り掛け車は急行等の優等列車にはごく普通に運用されてはいましたが、その当時でもさすがにヘッドマーク付きの特別な列車に運用されるのは珍しかったのではないでしょうか。
そんな中から、何本かの列車を振り返ります。

クモハ514 79.7.1 秋津ー所沢
突然現れて(自分が知らないだけ)慌てて撮った501系の急行「奥武蔵」です。
501系がこの運用に充当されているのは何度か見ましたが、写真に収められたのはこの時一回限りになりました。

クモハ507 79.7.1 秋津ー所沢
振り返り撮った写真です。
周りの風景はイマイチですが、私にとっては大変貴重な2ショットになりました。

551系 79.10.21 元加治ー仏子
元加治の鉄橋にて。
551系の急行「奥武蔵」池袋ゆき。

クモハ561 80.3.30 保谷ーひばりが丘
クモハ561 80.3.30 保谷ーひばりが丘

保谷の大カーブにて551系の快速急行池袋行きです。
長年、ハイキング急行「奥武蔵」は急行扱いでしたが、この年から新設された快速急行に昇格しています。吊り掛け電車の快速急行充当はかなり稀ではなかったかと思います。


クモハ513 80.3.28 仏子ー入間市
こちらはハイキング急行ではありませんが、急行の西武秩父ゆき。
501系の本線運用はこの月末で引退していますので、恐らく一番最後に入った西武秩父ゆきの列車の一つであると思われます。

Wednesday, May 30, 2012

小田急線 喜多見駅とテスター

小学生の頃、小田急線の喜多見駅から歩いて10分強の所に叔父が住んでいました。
親に連れられ喜多見駅前から細い道を10分も歩くと辺り一面は田圃と畑が広がる田園風景に変わります。
田んぼの奥には雑木林も広がりまだまだ武蔵野の面影を残しており、ここも世田谷か・・・と子供心に思いました。
叔父は電気関係の技術者で、他の叔父が余り相手にしてくれない中、唯一私の模型の話等も熱心に聞いてくれました。小学生後半になって、レイアウトもどきをつくるようになると、電気配線のこととか解らないことが多く発生しましたが、その問題解決にはその叔父が相談相手になってくれました。
中学生になった年の正月、お年玉代わりに「将来きっと君は技術者になるのが向いてるよ。これ使って色々実験してごらん」と言われてちょっと遅めの進学祝いを兼ねてテスターをもらいました。
今なお現役・・のテスター
テスターをもらった時、すごく自分が大人になったような気がして、色々な物に当てると右に大きく振れる針の動きに感動したものでした。当時、針のついた計器に大変興味があり、当時流行ったオーディオのアンプのVUの針の動きなんて私にとってはもう憧れの的でした。
その時のテスターは40年近く経た現在も模型製作時に「今なお現役」で活躍中ですが、叔父の言うような技術者には数学の学力が及ばずに結局はなれず仕舞いでした・・。

このテスターを見ると喜多見の駅の風景が何故か思い出されます。
今は高架複々線になり当時の面影なんて片鱗もありませんね。
デハ3041 81.10.30 喜多見


私にとっては、喜多見駅の跨線橋に書かれた「喜多見」の駅名表示がすごく印象に残って脳裏から離れないのです。
丁度SE車が跨線橋を通過します。


二枚とも デニ1303 81.10.30 喜多見
デニもやって来ました。やはり跨線橋の駅名が気になります(・・・すみません、しつこくて・・・)。

デハ2221 81.10.30 喜多見
秋の斜光線を浴びながら2220形がやって来ました。
今から見ると昭和の郊外電車の面影が未だ残っていた気がします。
30年前の喜多見駅の超個人的な思い出の話でした。

Tuesday, May 29, 2012

2012年春、北陸電車巡り(北陸鉄道 浅野川線)

今年春の北陸電車巡りで訪問した北陸鉄道の路線は浅野川線だけでした。
訪問の目的は井の頭線のステンプラカーの初期車の活躍を見てみたかったからです。

モハ8812 12.4.20 粟ヶ崎ー蚊爪
 目的の電車は早速やってきました。
片開き扉、狭幅、湘南顔など、旧型電車時代からのスタイルがまだ継承されていたことがわかります。実車が井の頭線を走っている時にはそんなに感じませんでしたがそんなことが改めて見ると感じました。
オレンジのカラーとしっかりとしたスノープローも似合っている気がします。

モハ3551 95.10.4 粟ヶ崎ー蚊爪
一昔前の同じ場所で比較してみました。
電車以外殆ど変化なし、ですね。

モハ8903 12.4.20 粟ヶ崎ー蚊爪
反対側の粟ヶ崎の駅脇から大野川の鉄橋を撮ってみました。
モハ3563 95.10.4 粟ヶ崎ー蚊爪
同じく一昔前の同じ場所です。
こちらも背景の家が少し建て込んでいるものの変わっていません。
粟ヶ崎の駅はさすがに建て替えられ、ホームも綺麗に修繕されていました。

モハ8812 12.4.20 北間ー蚊爪

モハ8802 12.4.20 北間ー蚊爪
春まだ浅い雰囲気の景色でしたが、沿線途中のSカーブ区間で花を入れてステンプラカーを狙ってみました。
モハ8903 12.4.20 北間ー蚊爪
見慣れた電車が二連で走っているのに若干違和感を感じつつも、ちょっと楽しい浅野川線再訪問でした。

Monday, May 28, 2012

北陸鉄道浅野川線再々訪 内灘と沿線の写真

前回の続きです。
内灘の車庫(というかホームからの撮影ですが)を95年に再訪しました。
モハ3201 95.10.4 内灘
朝は非パンタ側の顔を出していたモハ3201が本来の相方クハ1001と編成を組んで休んでいました。衝撃的な出会いから14年後の再会ですが、残念ながら車体はかなり更新されてしまって随分とバランスを崩してしまっています。 
クハ1001 95.10.4 内灘
相方のクハ1001。元々は二両同デザインですが、こちらはまだ原型に近いです。
折角の埋込みライトを取り付け式に改造しているのがどうも解せません・・・。
クハ1301 95.10.4 内灘
更新改造され、トレーラー化されたクハ1301。
台車も振り替えています。恐らく小松線で御用済みになった3000形の台車ではないでしょうか、ちょっと変わった形の台車です。
モハ3011 95.10.4 大河端ー三ツ屋
<>
<>
クハ1001 95.10.4 大河端ー三ツ屋
沿線は住宅が密集しているところが多く、開けた場所を探すのにはちょっと苦労をしました。


モハ3563 95.10.4 大河端ー三ツ屋
モハ3563ほか3両編成が朝のラッシュ輸送を終えて内灘へと帰ってゆきます。
北陸鉄道の旧型電車を見たのはこれが最後になります。
逆に95年の時点でもまだこのような電車が走っていた、とも言えるのかもしれません。

Sunday, May 27, 2012

木造電車庫の検討(5)

木造電車庫、最終回です。
とりあえず、試作品は無事組めました。
設計のイメージとはあまり相違はない印象の仕上がりとなりました。
いくつかの修正箇所と追加部品のお願いをエムズさんにはお願いをしました。

木造電車庫本体完成後、周りにターフを撒き、各種出ているミニネーチャーの草を植えたり若干の樹木も植えてみました。またエアブラシで油汚れや、錆・埃などのウエザリング等も終わらせて、細かいパーツでメイクアップを終えた完成画像です。


これまた竣功間近の地鉄電車を置いてみました。
本人的にはなかなかの雰囲気が出たかな、と思っています。
京福電車の永平寺の車庫みたいです。

こちらは張り出し室があって見栄えのする「公式側?」です。
電気機関車を入れて機関庫にしても違和感はなさそうです。
ところでこの張り出し室、さまざまな形態がありますが、こと左右のどちらについているかという位置については、いろいろ調べてみるとなぜか正面から向かって右側にあるケースが多いのです。別に決まりがあるとは思えませんが、不思議です。
こちらは張り出し室のある側の裏面です。
裏面の妻板はシンプルな仕様になっています。
こちら側をスルー構造にしてこちら側から機関庫内を覗くというのも面白そうです。
次作ではチャレンジしようと思っています。


張り出し室のない反対側は「車庫裏」ふうに仕上げました。
私の印象では車庫の陽の当たらない裏側は人気が無く草がぼうぼうで、立ち入るとすぐに蚊に刺されてしまうようなところ、というイメージがありまして・・・それを再現してみました。


屋根を外して、内部を見てみます。
小屋組みがやはり効果的です。

市販の完成品を入れてパンタグラフのクリアランスを確認してみます。
実際はあり得ない組み合わせですが・・・趣旨が趣旨なので気にせず見てください。
クリアランスを取りすぎてノッポになってしまうのは嫌なので、手元にあるパンタものの機関車および電車(TOMIX、KATO、天賞堂、エンドウの4社の製品を標準にして・・以上各社はほぼ類似数値が出ました。それ以外の某社製品は異常に高く跳ね上がったので除外しました)で普通にパンタを上げて実測した最大数値でカツカツになる数値で設計しました。
左のTOMIXは楽々クリア、右のKATO製品でクリアランス1mmでカツカツクリアです。
フレキシブルレール直置きする場合には車種を選んでしまうかもしれません。注意が必要そうであります。


我が家の唯一のブラス完成品で虎の子の江若キニを置いてみました。
正直・・・電車よりも似合う・・・ような気もしてきます。

という訳で、今回の私の作例は個人的好みで電車庫をイメージしましたが、非電化路線の機関庫(検修庫)にも良く似た実例はたくさんあり、建物自身の設計は特段(というか・・敢えて汎用性を考えて高さ方向は電車に合わせているもののそれ以外は)電車専用の設計ではありません。
そこで、非電化線で応用できそうな実例からいくつか抜粋します。

別府港構内 83.3.11
二枚とも 83.3.11 別府鉄道 別府港
別府鉄道別府港の構内です。
のんびりとした雰囲気の構内の奥にある機関庫です。
スタイル的には側面の窓の個数を別にしたら共通項がかなりありますね。
妻板上部はなぜかトタン板張りの実例が割合が多い気がします。
ここには社紋や安全標語を入れたいですね。
90.6.18 姫新線 佐用
姫新線佐用駅の姫路方にあった駐泊所です。国鉄近代型の車庫のスタイルをしています。
佐用と言えば近年は水害で大変なことになった場所ですが、実に静かな山間の街でした。
姫新線の佐用折り返しの客車列車を牽引してきた機関車が一夜を過ごす施設です。
朝靄の中、仕業点検を行ったDE10が庫内から給水塔の前まで出てきたところです。
この時点でも給水塔が残っていましたので、この風景で機関車をC11や8620あたりの蒸気機関車に変えても全然おかしくないしつらえです。
今回の私のジオラマふうモジュールはこの配置にヒントを得ています。
今は智頭急行が乗り入れて全く風景が変わってしまっているのではないでしょうか?

二枚とも 87.10.8 小湊鉄道 五井
こちらは今も見られる、小湊鉄道の五井の車庫です。
上の写真の左側の気動車は元三信鉄道の電車にエンジンを積んで気動車に化けたちょっと変わった改造車ですね~すみません、今回の趣旨とは関係ないですね・・・
こちらは二線とも前後スルーの構造になっています。このスタイルも中が見通せて面白いです。
また、今回のキットの設計では、一番手前の線路間中央の柱は敢えて無くしていますが、柱があるのも良いですね。
横の作業所部分の張り出しは車庫全体に及んでついています。
菱形の安全標識が雰囲気を盛り上げています。

86.11.8 日鉄鉱業 羽鶴
こちらは日鉄鉱業の羽鶴の車庫です。
それなりに冷え込む栃木の山間地な為なのでしょう、扉付です。
周辺仕方が参考になるのでは。

以上、簡単に非電化線での実例を紹介しました。

エムズさんに確認したところ、発売は来月6月の下旬を目標に「木造検修庫」という商品名でリリースをする予定だそうです。
今回の電車庫製作の目的は、キットのあくまで試作と完成作例画像撮影が目的ですので、基本はストレート組です。
私個人としてはこの後じっくりと地鉄電車用に別途電車庫モジュールを作ってみたいと思っています。

Saturday, May 26, 2012

北陸鉄道浅野川線再訪 北鉄金沢駅


こちらは1980年の初訪問の翌年、二回目の訪問時の北鉄金沢駅です。
この時の大学鉄研の合宿は石川県、羽咋で行われ、部の公式行事は国鉄金沢運転所見学でした。公式行事は私の食指の動くものは少なく、それよりも沿線の私鉄電車の方が楽しみでした。
その折、前の年に回った北陸の私鉄を鉄研仲間と少しずつ早回りでかじってきました。
クハ1211(左)、クハ1001(右) 81.9.4 北鉄金沢

今や地下化されているとのことですが、当時の北鉄金沢駅は国鉄金沢駅の脇の狭い場所にありました。小・中型車三連がやっとのホームです。
以前は画面手前右側に向けて国鉄線への貨物授受の線路が分岐していました。
クハ1001 81.9.4 北鉄金沢

前回もアップしたクハ1001。
その時は画面左のホームでお昼寝中でボデイのみの撮影。
ようやく車体全体が写せました。台車はDT21みたいなウイングバネの新しめのものを履いています。私の好きな電車の一つです。


モハ3201 81.9.4 北鉄金沢

幸い、前回車庫の中で会えなかったモハ3201にも会えました。
クハ1001と同じデザインのMTコンビで、私は北陸鉄道の電車の中で一番それらしい電車と思っています。
この電車が作られた昭和30年代までは日本全国、結構な地方私鉄が独自性を出して自社発注をする余力があった最後の時代だったと思います。
地鉄電車 モハ307 1981.9完成
この電車を見て同年に製作した(正確には製作中でほぼ完成前、最後に確認をしたかった)地鉄電車モハ307です。
今見ると実車同様埋め込み型ヘッドライトの方が格好良かった気が・・・
ペーパー製で自作、Hゴム窓の面一表現や本物のアルミ薄板から切り出したサッシ表現、張り上げ屋根の継ぎ目を埋めるのに大変に苦労したのを覚えています。

Friday, May 25, 2012

木造電車庫の検討(4)

前回で地面が概ね形になりました。
バラストが十分乾燥するのを待って作業再開です。
先ずは余分なバラストを取り除き、地面やベースの塗装にタッチアップをして、次の工程に備えます。
側板の組立
いよいよ電車庫側板を立ち上げてゆきます。
側板にはベースに嵌め込むダボがついているので、位置合わせ等の手間はありません。
大きさ・位置もぴったり合い建て込み作業は順調に進み、一安心。
張り出し室(写真右側)の三方向の側板はベース嵌め込み前に側板に組付けておきます。
小屋組みの接着。
左右の側板が付いたら、次は小屋組みを接着してゆきます。
こちらも溝が彫ってあるのでそれに合わせて嵌め込めばOK。
見た目よりは簡単に作業が進みます。
これで左右側版のふらふらは無くなります。
補強の突っ張り梁の取り付け。
次に側板の外側に付く補強の突っ張り梁(ものの本によると補強梁と書いてありましたが、正式名称がわかりません)を付けます。
こちらも溝に嵌め込みなので簡単。
ベースとの間に隙間ができないように注意しながら接着します。
小屋組みの仕上げ。

次に小屋組みの間を角棒で繋ぎます。
これは微妙にずれたりして思うようにいきません。
ちょっと力技で処理して、跳ね上がらないようにテープで仮止めします。
ここまでの作業は、工程が進む程に建物全体がしっかりして来るのが身をもってわかります。
実物と全く同じとは言えないものの、似たような構造になっているので、それぞれの柱の役目が自分の手で体感することができます。
電車庫組み上がりの図。
最後に前後の妻板を側板に接着して、四面が組みあがりました。
ここまで来ると建物としては完成間近です。
電車庫概ね完成!
電車を入れてご満悦中・・・
屋根周りを塗装して組立をして被せてみると電車庫本体はほとんど完成です。
写真は妻板に安全標語を貼り、電柱を二本建てて様子を見ているところです。
電柱のような三次元方向に立ち上がるアクセサリーは、見た目に大変効果的です。

この後、車庫の周りにターフを撒いたり、細かいアクセサリー類を配置するといった楽しい作業が待っています。
塗装を終えたアクセサリー類。
臥竜点睛、細かいアクセサリーも塗装してスタンバイします。
基本、お馴染みエコーモデルのパーツ類です。
最終的に仕上がった画像はまた次回アップしたいと思います。

Thursday, May 24, 2012

北陸鉄道浅野川線再訪 粟ヶ崎

浅野川線、その後です。
結局北陸鉄道の浅野川線にはその後3回訪問しました。
その時の写真から沿線随一の名所、粟ヶ崎の写真を集めてみました。

モハ3551 95.10.4 粟ヶ崎
定番撮影ポイント、粟ヶ崎には随分後になってからの訪問となりました。
朝のラッシュ時は全列車3両編成になっていました。
朝の粟ヶ崎駅です。
粗末なホームと駅舎は90年代になってもなお変わらず、それなりの通勤の人々が結構居たのが違和感をかえって感じたりしました。




モハ3201 95.10.4 粟ヶ崎ー蚊爪
上の列車を振り向いて撮った写真です。
モハ3201は私が模型の「地鉄電車」を手がけた最初の時に作ったプロトタイプで、北陸鉄道らしいデザインが気に入りました。製作当時はこのパンタ無し側の資料がなく、半ば想像で作りました。その気になっていた非パンタ側のお顔をようやく見れました。貫通扉付きのこの顔、なかなかお気に入りです。


モハ3563 95.10.4 粟ヶ崎ー蚊爪
同じ場所を道路端から撮った電車です。こちらもHゴムだらけの北陸鉄道らしい電車です。
この野暮ったい、スノープロー付きの重装備がいかにも北国の電車という感じで、私は好きです。




モハ3551 95.10.4 粟ヶ崎ー蚊爪

モハ5101 91.11.4 粟ヶ崎ー蚊爪
大野川対岸からの写真を2カット。
2カット目はラッシュ時間を終えて単行に戻ったところです。
今はお客さんが居ようが居まいが物理的に終日2両編成にならざるを得ないですが、当時は臨機応変に対応できたのは何か皮肉です・・・それって今仕事している会社でもそんなこと多いし、いや社会全般でもそうなってきてますよね・・・残念!
モハ5101 91.11.4 粟ヶ崎ー内灘
粟ヶ崎から内灘の間の一駅は道路に寄り添って走ります。
どことなく昔の雰囲気を残していました。