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Friday, April 27, 2012

1980年春、電車巡りの旅

1980年春、ようやく一年間の不安定な浪人生活を終えることができて、晴れて自由に趣味を謳歌できる立場となりました。
共通一次元年世代の私はそのあおりを食らって(・・ではなく単純に努力不足で)見事浪人確定となった1979年は、思うように行動が出来る訳もなく遠方の電車訪問は当然ながらお預けということになっておりました。そんな中でも各地の車両の世代交代の波は大きく押し寄せつつありましたので、この年の春はもう目一杯のスケジュールでの電車訪問の旅を企図しました。
概ねのスケジュールは以下の通りでした。
3月3日中央東線の甲府エリアを走る身延線電車の間合い運用を見るのを振り出しに、身延線、大糸線をちょっとだけ訪問後、中央西線を走る80系電車を訪問。そのまま名古屋方向にじわじわと西下、そして以前は時間切れで見れなかった名鉄電車に本格的に取り組みました。
その後桑名で未だ本線で活躍する吊り掛け電車を含めた近鉄電車を見てから名古屋発の夜行急行「のりくら」でいよいよ北陸の私鉄巡りを開始、富山地鉄から順番に福井鉄道までそれなりの時間を割いて訪問、その後関西に入り山陽、阪急、能勢電、阪堺線とまわって延べ15日間の旅でした。途中は親戚の家や夜行列車を活用、その他はYH泊という節約旅でもありました。
今回の旅のお話は北陸電車巡りを中心に綴りたいと思っておりますので、富山までの部分は流れをつかむ程度の紹介とし、一回で早送りをしてしまおうと思います。
クハ47055 80.3.3 塩崎ー竜王


最初の訪問先は中央東線の甲府エリアでした。中央東線の塩山から韮崎までの甲府盆地区間には身延線電車の間合い運用でローカル運転をする列車が設定されていました。
今なら別会社となってこんなことはあり得ないでしょうが、当時はこういう本線の区間運転は沿線で接続するローカル線の車両を使って間合い運用をするケースはあちらこちらで見られました。
甲府盆地のローカル電車は塩山から韮崎までの通し運転以外に甲府を境とした両方向単独の列車設定もありました。
身延線電車は肝心の身延線区間では使用されなくなった前サボがこの中央線区間ではしっかり使われていたのがちょっと魅力的でした。


クモハ60802 80.3.3 山梨市ー東山梨 
石和に叔母の家があったので、少年時代から良く石和近辺は行くことがありました。親は都内の親戚を拾って叔母の家に行くのがお決まりの行動でしたが、私は何度となく家から最寄りの中央線の駅である高円寺で行きがけ降ろしてもらって単独で石和まで行かせてもらいました。
目的は高尾からの山スカ71系乗車と、塩山乗り換えをわざとしてのこの身延線電車に乗ることでした。ある時塩山で下車した時に待っていた身延線電車にはサハ45が組み込まれていて、横須賀線時代の一等車の設備のままの車内を堪能したのが思い出されます。
しかしこの私の行動、今考えると随分と勝手なことをしたものです。
今その頃の親の立場となっている自分に問いただすと、息子にこんなこと言われてOK出せるか自信ありません。
この点については親に感謝しなければいけません。
クモハユニ44803 80.3.4 金手ー甲府
翌日は身延線もちょっと覗きます。身延線はまだ当分安泰そうだったので優先順位が低めで、詳細訪問は後回し扱いとなっていました。その身延線は甲府からの一駅間中央線と並走します。
本線も身延線もどっちも撮ろうという、欲張り作戦です。
運良く4両居る身延線名物クモハユニ44のうち、唯一全面低屋根化されずに比較的原形の面影を残す44803号がやってきました。44803号は仲間3両と別れて大糸線で運用される時代が長かったために改造時期が遅れたのが幸いして屋根を全部剥がされずに済んだわけです。この電車はその後随分と追い回しました。
クモユニ81003(左)、クハ86075(右)
80.3.5 松本
さて、当日の夜は、叔母に迷惑をかけつつ夜遅くに叔母の家を辞して甲府を深夜一時過ぎに通る夜行アルプスに乗車して松本に移動しました。早朝の松本は底冷えのする気温で一気に目が覚めます。丁度中央西線と大糸線の始発電車が並びます。
顔を並べるのはどちらも同じ80系の仲間ながら左のスカイブルーのクモユニは別物に見えてしまいます。
これから木曽路をじわじわと西下して行きます。
クハ86063 80.3.5 藪原ー奈良井

クハ86078 80.3.5 落合川ー中津川
木曽路を行く80系電車。中央西線の普通列車は基本的に中津川で運転系統が分かれており、中津川から松本までの区間は一往復の客車列車を除きほぼ80系の独壇場でした。基本は4連、たまにそれを二本繋いだ8連が走っていました。
この日は一日中80系列車を追いかけまわしました。
短編成ながらも木曽路に80系はよく似合っていました。

モ804 80.3.6 東枇杷島
 またもや夜行(多分「きそ」)で移動、名鉄電車に本格的に取り組みます。
往年の特急車、モ800を先頭にしたごちゃ混ぜ編成8連の急行電車です。
御存じのように名鉄電車は各地の支線からも含めてほぼすべての電車が名古屋を目指してやってきてまた反対側の各線に散らばっていきます。そこでどうせ見るなら名古屋駅前後の電車が全部集中する区間が当然お買い得です。しかしながらきれいに電車を撮れる駅は意外と少なく、殆どの電車が通過してしまうのでじっくり撮れないのが残念なもののここ東枇杷島を選びました。
さて、朝の東枇杷島は本当にひっきりなしに電車がやって来ます。何本か立て続けに電車が来るとついには徐行運転を超えて渋滞状態で止まってしまうこともありました。
パノラマカーを筆頭にありとあらゆる電車が当然ながらやって来ますが、当時の名鉄電車は吊り掛け電車がまだまだ大勢力を保っており、どんどんやって来ますので楽しくてしょうがありません。来る電車を全部撮っていたのであっという間にフィルムは消費、この日が私が一番多くの旧型電車に巡り会えた日であったと思います。
ク2351 80.3.6 東枇杷島
噂の「なまず」も準急電車でやってきました。
すでにこの時は1編成しか稼動していなかったはずで、その後は結局再会できませんでしたので貴重な出会いということになりました。スカーレットの塗装はこのデザインにはちょっと厚化粧気味な気がしました。
モ2256 80.3.7 桑名
お腹一杯になって次は近鉄の桑名を目指します。
近鉄名古屋線には昔日の特急車2250系がまだ現役で活躍中でした。
3扉になったとは言え、貫録十分です。
どっしりとした格好に似合わない(と私は思う)軽トラックのクラクションのようなタイフォンの音に違和感を感じました。
クワ51 80.3.7 桑名
荷物電車には往年の名車がやってきました。
張り上げ屋根や貫通幌の仕舞方など、どこを見てもやはり格好いいです。


モ5822 80.3.7 桑名
 桑名ではゲージの違う養老線の電車も一緒に見れるのが魅力です。
雑多な電車が同居する養老線にも既に名古屋線の大型電車に置き換わりつつありましたが、元南大阪線の特急かもしか号で活躍したモ5822に会えました。


デ32 80.3.7 桑名
本線では一風変わった貨物列車もやってきました。
中間に貨車と電車を繋いだプッシュプル編成でした。
電車の回送なのか他の目的なのか良くわかりません。


という訳で3月6から7日の二日間は生憎の天気ながらも、中京の吊り掛け電車を暗くなるまで堪能できた楽しい二日間でありました。
この夜、名古屋発の高山本線のキハ58の夜行急行「のりくら」で一路北陸は富山を目指します。
富山に行くまで7日間を要してしまいましたが、いよいよ待望の北陸の私鉄巡りの始まりです。

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