1254 79.11.15 渋谷 |
編成位置は浅草寄りの二両目に決まっていました。
1359 79.11.15 渋谷 |
1357 79.10.4 渋谷 |
1363 79.11.15 渋谷 |
1200形がほぼ全車同一形態だったのに引き換え、1300型はバリエーション豊かでした。
一番上が最も原型を留めている1359号です。この1359号を含めて二両だけが乗務員扉撤去、座席延長、戸袋窓のHゴム化の改造が行われないまま終焉を迎えました。
プレス扉が残念!
次はドアの更新が行われていないリベット付きの1357号です。
最後が多数派の1363号です。このように1300型はリベット付きと無しの二種の車体のものがありました。
1470 81.8.17 渋谷 |
14 comments:
貴重な写真拝見させていただきました。
1357号車のドアですが、原型ではなく1500~1700形のドアを小窓のものと交換した際に余ったものを流用しています。
現役だったころはまだ子供でしたので室内灯が消えるのが怖くて新1500形ばかり乗っていました。
今から思えば非常にもったいない…。
YOUさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
1357号車の件、なるほど1500形以降の扉と同じ角にRのある扉ですね。
当時でさえ、明かりが消える電車は日本全国銀座線ぐらいでしたから子供心に怖いと思うのもなるほどだったと思います。
私は前から順番に消えては点いていく車内を後ろの方から見るのが好きでした。
はじめまして、僕は良く銀座線は良く好きで乗りに行きました、初めて乗ったのは昭和55年でした、今時時代ばなれした、車両が存在してるのか!しかも、地下鉄!ツリカケ!ヘッドライトがボディに埋め込まれてない!嬉しかった、今となっては貴重な思い出になりました、
よく乗ったのはやはり1200型です、あとは1400型も好んで乗りました、無くなる寸前の頃は写真を撮りまくって、走行音も録音しまくりました、その頃はデジカメがない時代でした、カセットテープで録音しました、あぁ、あの旧型車両に乗りたい、アメリカやフランスでは戦前の車両が動体保存されてるそうですね、
はじめまして。当サイトを拝見し、我慢出来ずに投稿しました。私は小学5年の時(昭和35〜6年)福岡市より東京へ引っ越してきました。母に連れられて渋谷より初めて銀座線の先頭車に乗車した時の衝撃は今でも忘れません。何と運転台は片隅にあるのみで、客室が文字通り一番前まであるではありませんか。もちろん私は一番前にかぶりつき、迫力満点の前面展望を満喫しました。駅侵入時の一瞬の室内灯の消灯、吊り掛けの響き、地下鉄独特の臭い等、一目惚れ状態でした。
残念ながら、その時の形式は判りません。しかし、100形、1000形、1100形、1200形のいずれかである事は間違いありません。この時の経験が、鉄道ファンになるきっかけとなり、しかも旧型車両にしか興味を持たない少年となってしまいました。その後、銀座線に乗る時は、2000形等には目もくれず、上記の形式の先頭車が来るまで、気長に待つようになりました。
そしてこの頃、親戚のあいだで私は地下鉄小僧と呼ばれるようになってしまいました。
ちなみに当時、横須賀線でクモハ43、53も現役で、これにも強く魅かれ、新型車には目もくれず旧型車ばかりを追い回すようになり、現在に至っています。
匿名さん
はじめまして。
我慢せず、コメントくださいませ(^O^)。
昭和35年頃の銀座線、私が知っている銀座線以上に古い電車好きには楽しい世界だったでしょうね。
その頃は100~1300形あたりが先頭で走っていた時代ですね。
先頭のシートでトンネルの先を眺めるなんて、楽しかったでしょうね。
私はその頃は大阪で、梅田の地下鉄を見て興奮していました。
また、是非コメントください。
2/2に投稿した地下鉄小僧です。
3/12のNHK朝の情報番組「あさイチ」で銀座線の臭いの事が話題にのぼっていました。私が子どもの頃は、現在よりも臭いは強く、道路の駅入り口階段付近や、デパート地下の地下鉄連絡口付近でも臭いがした事を記憶しています。以前に銀座線で運転士をされていた方と話をして、臭いの件を尋ねた処、第三軌条方式が要因の一つではとの事でした。しかし、通勤で使用した横浜市営地下鉄(第三軌条方式)では件の臭いを感じた事は皆無でした。私にとっては、未だに解決しない不思議のひとつです。
余談ですが、先日NHK朝ドラ「ごちそうさん」で大阪地下鉄1〇〇形の保存車を使用し、駅進入シーンを見事に合成再現していましたネ。大阪地下鉄でも銀座線と同じような臭いがしていたのでしょうか。
匿名さん
地下鉄独特の臭い、自分も感じていました。
同じ臭いがパリの地下鉄でもあって、同じなんだなと変に感動しました。
確かにあの匂いは第三軌条の路線特有だった気もします。
何が原因なのでしょうか?
銀座線はぼくにとって幼少時代からお世話になっている路線であっただけに、銀座線の吊り掛け電車は良き思い出です。ぼくが乗ったことがあるのは1200形、1300形、1400形、1600形、1700形、1800形など結構ありますが、付随車は1200形より1300形の方が好みでした。1300形を組み込んだ編成は、1800形とペアを組む編成が多かったですね。あと1300形のリベット車は、1357号車のようなドア窓の車もあれば、1363号車のようなドア窓の車もありました。
生田絵梨花愛好者 さん
銀座線の旧形電車、あの時代でも良くぞ東京の中心部に残っていたものだと思います。
1200形が画一的に更新されたのに比べて1300形は更新レベルが低かったのか、いろいろなタイプがあって面白かったです。
昭和30年代後半から平成初頭に至るあらゆる分野の旧旧型車両全盛期に生きてました。
地下鉄車両は、東京も大阪も戦前型が大活躍してましたが、写真が撮りづらいのがネックでした。
だから、当時は管理がのどかだった車庫に時々遊びに行きました。
「感電するから第三軌条にきをつけてね」なんて言われるのどかな時代でした。
電車や列車が高速で通過したりしない車庫や機関庫に写真を撮りに行くなら安全と親も安心してたし(笑)
しかし、車庫で大きく立派な鉄道車両を目の当たりにした時、感動のあまり、意外と撮ってないのが悔やまれます。
当時はネガフィルムで、子供や学生には高かったし。
匿名さん
第三軌条のある車庫でも入れさせてもらえたとは、今となっては信じられませんね。
鷹揚な時代だったのですよね。
昭和59年(1984)6月、初めて銀座線に乗った時の感想は、率直に言ってお化け屋敷のようなスリルを味わされ、悪夢に出てくるくらいのトラウマになったと同時に虜になってしまいました。駅到着前に車内灯が消えたり、釣り掛け駆動の爆音、更にはタイル貼りの薄暗い駅と三拍子そろっていた当時の銀座線。乗った車両は釣り掛け駆動の1600型でしたが、その後ろの車両はカルダン駆動の2000型と多彩でした。まるで当時の国鉄気動車の混結編成を思わせる編成に感動しました。
Naruhisa Tanno さん
確かに当時の銀座線は気動車の編成のようにも見えましたね。
今は随分と変わってしまいました。
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