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Monday, March 12, 2012

上田丸子電鉄の遺構を訪ねて

この趣味を続けていると,きっとどの世代にも「あと何年早く生まれれていれば見れたのに・・・」ということはつきものだと思います。
上田丸子電鉄の真田・傍陽線と丸子線も訪問叶わなかった事が悔やまれる(というかハナから無理と言うべきか)鉄道のひとつでした。
恒例の上田交通訪問時にそれぞれの遺構を見に沿線を回りました。



真田駅 86.6.21 
 まずは真田駅です。線路跡は菅平への道路として綺麗に整備されていましたが、その脇にほぼ原型で駅舎が残っていました。


真田駅 86.6.21

駅舎全景です。鉄道が走っていた当時は、ここから菅平方面にバスが出ていたとのことです。
駅前には当時から建っていた立派な木造建築も残っていました。




傍陽駅 86.6.21 
分岐駅の本原には当時の面影は見い出せませんでした。次に訪問したのはもう一方の終点、傍陽です。
こちらは今でもすぐに電車の音が聞こえそうな雰囲気の駅舎が残っており、いたく感動いたしました。


86.6.21 傍陽
 駅舎はバスの営業所として使われていた様子で、上田交通のバスが電車の代わりにお客さんを待っていました。


大屋ー信濃石井 86.6.21
 こちらは丸子線の大屋を出てからすぐに渡る千曲川にかかる橋梁の遺構です。後に解体されたと聞きます。



中丸子 86.6.21
 終点丸子町の駅舎は残っておらず、バスターミナルになっていましたが、途中の中丸子で駅舎の遺構を発見しました。

モハ4361 84.6.16 上田市郊外
サハ23 芦田 87.7.25

これらの遺構を訪問するときに偶然に上田丸子電鉄の廃車体を発見しました。上は丸子線で活躍していたモハ4361で、下は喫茶店か何かに転用された後に放置されたものと思われるサハ23です。
偶然の発見は楽しみである反面、誰からも見向きもされなくなった姿を晒しているのを見るのも寂しいもので、老兵は消え去るのみのほうが潔い気もしたり、朽ちながらも残っていて良かったと喜ぶべきなのか複雑な心境になります。
上田詣でのお話はこれにて終了です。

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