古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2012年3月30日金曜日

長野電鉄屋代線、あと一日・・・

ついに残すところあと一日・・・
大好きであった長野電鉄屋代線が明日を以って長い歴史にピリオドを打つことになります。
モハ1501 86.5.4 若穂ー信濃川田
春の屋代線を行く単行電車。
今は後ろに高速道路が走ってしまい、同じ場所の特定が難しい程風景が変わってしまっています。高速道路、新幹線と交通の流れがすっかり変わってしまいました。
湯田中、志賀高原に行く急行列車が直通していたことを知る人も既に50歳以上の世代ぐらいでしょう。
この頃はすでに朝晩は赤ガエルの二両編成であった以外は1500形の単行になっており、昼間を狙って訪問していましたが、今思えばそれだけ営業的には厳しい状況になりつつあったわけです。

モハ1012 80.9.3 岩野
上の写真よりまたちょっと前の屋代線。この頃はほとんどの電車が二両編成でした。
暑かった夏の陽がようやく傾きだした岩野駅に二連の須坂行きが駅に進入。


モハ1501 92.10.17 大室ー金井山

大室から金井山の間の短いトンネルを出るモハ1500形。
先日訪問したら、ここは左側に工場が建っていました。

モハ1501 92.10.17 信濃川田
モハ1502の車内から撮った信濃川田でのモハ1501との離合。
ホームの長さの割に交換設備の線路長が長いのは、昔はそれなりの長編成の貨物列車との離合があった証拠です。
単行電車の交換しかなくなって、設備が持て余し気味です。
モハ1502 92.10.17 須坂
モハ1502の車内です。
モハ1501 80.9.3 松代
1980年当時はまだ少なかった1500形の単行電車。
恐らく午前10時代の電車でしたが、車内は結構立ち席客がいるぐらいの乗客がいました。

モハ604 80.9.4 須坂
いかつい昭和初期製、川造タイプのモハ600形。
大きなパンタグラフと合わせて大好きな電車でした。


モハ401 77.5.1 須坂ー井上
 前回アップした時(→惜別 長野電鉄「河東」線 1)にはアップに耐えないと思った画像で、諦めたのですが、この拙いネガ出番のラストチャンスかもと思い、画像編集のやり方がようやくわかったので(情けない、どうもPC音痴です)編集してみました。

ED5001 77.5.1 須坂ー井上
貨物列車も撮っていたのを忘れていました。
交換設備が立派だったのも、この貨物列車がきっと大量のりんごを貨車に積んで首都圏に運んでいたのではないでしょうか?
今回の部分廃止でJRとの接続もなくなってしまいますね。

2 件のコメント:

katsu さんのコメント...

屋代線いよいよですね。
当時の屋代線はモノクロでしか撮ってないのでカラー写真がとても新鮮です。
当時このようなカラーであった事がすっかり記憶から消えていました。
まだ高速道路もなく自然豊かな沿線、古い歴史と文化、それに伴う風情ある佇まいの町並み。
そんな北信濃を古いツートンカラーの電車が行き来する良き時代をお写真から感じます。

chitetsu さんのコメント...

katsuさん、相変わらずの拙作から良き時代の雰囲気を回想していただけたら幸いです。
日本の昔からの自然豊かな風景や、新建材なんか使われていない街並みで構成されている田舎風景の中に、クリームと赤系統のツートンカラーの電車や気動車は大変よくマッチすると私は思います。
あと一日強、無事使命を全うすることを200Km離れた地から見届けたいと思います。