広島には各地から通勤・通学客を乗せた電車がやってきます。
最初にやってきたのは可部線から日に一本だけ広島に直通する電車です。
こちらは前回の可部線をアップした時にワンカットだけアップしました。
次にやってきたのは呉線の通勤・通学客を乗せた72・73系の10両編成です。
ウグイス色にオレンジの警戒色の10両編成はそれなりの迫力がありました。
クモハ73225 76.3.24 広島 |
予想以上の乗客が一斉に下車。地方都市の朝の活気を感じました。
クハ79308 76.3.24 広島 |
反対側のクハ79です。クハ79300番台の初期車ですが、原形を留めぬほどに改造されています。
この車両はこの後可部線に転属して新性能化まで活躍しました。
サハ78119 76.3.24 広島 |
こちらはサハ78。こちらもかなり手が入っています。
このような転配時には中間のサハはともすれば余剰となり廃車の運命を辿ることが多いのですが、当車は幸いにも御殿場線に転属して、同線の新性能化まで活躍しました。
簡易アコモ改造とWC付に改造されていたのが幸いしたのかもしれません。
クハ79446か466 77.4頃 広島 |
この訪問後の呉線で運用される電車は猫の目のように変わりました。こちらは、その後の呉線の電車の過渡期の転配状況が良くわかる写真で、自分は白黒画像ばかりなので、友人撮影画像を拝借しました。
中央東線を追い出された71、72系のいわゆる山スカが大量に呉線に転属してきました。
元々、電化時に72・73系が転用された時からサービスダウンだと苦情が寄せられていたらしく、同線の電車は隙間風の入る三段窓をアルミサッシの二段窓改造(通称簡易アコモ改造と呼ばれています)などを行ったものの、元々4扉のロングシートの通勤型電車を投入すること自体に無理がある線区であったはずで、その意味ではここの73系電車が評判を落とす原因は電車自身以上に、当時の国鉄の転配方針の方にあったと思います。
それはさておき、その時に中間のモハが不足した分はこれまでのモハ72を活用したため、木に竹を接いだような変な編成が生まれました。しかしこの時代も長くは続かず、すぐに新性能化の波が押し寄せました。
クハ55111 76.3.24 宇部新川 |
そして旧型国電最西端、宇部線を訪問しました。
これで、当初目標の関西から西の旧型国電配置線区は、内容はともあれ曲がりなりにも一通り制覇したことになります。
しかしながら、この日の宿泊地は日本海側の青海島のユースホステルです。宇部新川で数枚の写真を撮ったのみでタイムアップ。宇部、厚狭経由美祢線のキハ17に揺られて仙崎を目指しました。
今回の訪問をした75年度は旧型電車については節目の年であった気がします。
前年までは主に首都圏・関西圏の新性能化が中心で、そこであぶれた電車たちも多くは地方の電化や客車列車の置き換えに転用され、まだ嫁ぎ先があった訳ですが、これからの約5年間で地方線区で生きながらえた多くの仲間も新性能化で急速に淘汰されました。追っかける私も毎回一期一会の旅が続きました。
これは電車に限ったことだけではなく、これまであまり手が付けられなかった気動車や徐々に数を減らしつつあった客車も似たような状況にありました。
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