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Friday, February 24, 2012

惜別 長野電鉄『河東線』 (1)

先日三月末で廃止となる長野電鉄屋代線に、これまた引退間近い特急車2000 系が走るとの情報があったので、恐らく最後のチャンスになると考え、万難を排して会いに行ってきました。

モハ2008 2012.1.21 信濃川田

モハ2007 2012.1.21 岩野ー雨宮
前サボの無い2000系は初めて見ました。
当日は残念ながら小雪混じりの天候でしたが、久しぶりに屋代線区間を堪能できました。
この機会に沿線に点在する木造駅舎に最後のお別れを兼ねて全駅訪問してみました。

これぞ正統派木造駅舎 2012.1.21 信濃川田


ひと昔前の屋代線電車
モハ1501 86.5.4 若穂ー信濃川田
私にとって長野電鉄は、 自分の模型での心象鉄道である『中越地方鉄道』の原点になった鉄道であるため、 お隣の上田丸子電鉄と合わせて特別な思い入れがあるため、どうしても最後にもう一回訪問を果たそうと思ったためです。
今回廃止となる屋代線区間には、 『デッカー』と呼ばれていた元東武鉄道の古色蒼然とした電車が限定運用されており、その電車がいよいよ引退するとの情報を得て訪問したのは高校2年の事です。

モハ401 77.5.1 須坂


クハ451 77.5.1 須坂


モハ411 77.5.1 須坂
これがデッカーと呼ばれていた電車達で全部合計で三両、制御器がDick-Kerrというシステムであることからこういう愛称がついています。制御装置の関係から限定運用されていました。
それにしても、この時代にして全車手動扉!

当時運転系統の分離されているこの区間が何故河東線と呼ばれているのか不可解でしたが、 歴史を振り返れば正当な名前である事が解りました。なので、今回のタイトルも敢えて『河東線』にしたのはその惜別の気持ちを込めたかったためです。

さて、 当時の私は『旧型国電命』な少年でしたので、 長野訪問の主目的は当然信越本線で活躍している旧型国電を見る事にあり、長野電鉄訪問は昼間も空き時間を利用したあくまでオマケでしか無かったのです … それが『吊り掛け電車全般 命』に変わるきっかけになり、 ひいては私のライフワークと化した『地鉄電車』誕生のきっかけにもなるエポックメーキングな訪問になろうとは本人も知る由も無い事です。

善光寺をイメージした国鉄長野の駅舎脇の地上に長野電鉄の駅は寄り添うようにあり、昭和一桁生まれのいかつい電車が発車を待っていました。車内に入ると壁で仕切られた荷物室にもお客さんが沢山乗っており、私はまずこの光景にショックを受けました。色々驚きながら、電車は須坂に到着です。

クハ451 77.5.1 須坂ー井上

時刻表を見ると約10分後に屋代からの電車が到着予定でした。当時の私の記憶と思考回路は今となっては定かではありませんが、 とにかくデッカーの走行写真が撮りたくて全速力で線路に沿った道を走ってこの写真を撮りました。
デッカーの写真はこれが全てです。まさに「一期一会」になってしまいました。

2 comments:

ナガウラ@北九州 said...

無趣味&荒んだ?生活がモトでイブクロを全摘したのが10年ほどまえ。途方に暮れた休職中に出逢った高井さんの「軽便追想」とchitetsuさんの「地鉄電車本」に背中を押され、中坊以来のモケイに出戻りました。
その後は、身に余るお仲間にも恵まれ、スローながら充実したモケイ・ライフを送らせていただいております。おかげで家庭も円満、かたじけない。
毎年、目黒でのご挨拶も楽しみです。
ブログの開設おめでとうございます。たまには軽便ネタも・・・
期待してます、よろしく。

chitetsu said...

ナガウラさん、こんにちは。年に一回しかお会いする機会はございませんが、ナガウラさんの作風、いつもサイトを拝見しては刺激を頂いております。
家庭円満あっての趣味活動、本当にそうですよね。マイペースで参りましょう。
ご提案の軽便ネタも密かに準備中です。
これからもお付き合いください。