tag:blogger.com,1999:blog-8227179202419793182.post8054133074684057243..comments2024-03-05T08:48:25.156+09:00Comments on 吊り掛け電車をもとめて: 蒲原鉄道 五泉chitetsuhttp://www.blogger.com/profile/00531322226413015871noreply@blogger.comBlogger12125tag:blogger.com,1999:blog-8227179202419793182.post-29035436206534031612014-06-15T10:07:27.163+09:002014-06-15T10:07:27.163+09:00伊豆之国さん
朝の3連、写真で見たことありますが実際に見ることはできませんでした。
例の保存車のオー...伊豆之国さん<br />朝の3連、写真で見たことありますが実際に見ることはできませんでした。<br />例の保存車のオーナーは料亭を経営していたのですか。<br />折角かなりの費用を掛けての保存だったでしょうに残念です。<br />やはりモノがモノだけに維持管理は大変ですね。chitetsuhttps://www.blogger.com/profile/00531322226413015871noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8227179202419793182.post-69635886941031366712014-06-15T10:04:54.288+09:002014-06-15T10:04:54.288+09:00Cedarさん
鯨さんはいかにもこのような電車が好物そうですね。
以前、親がネガを捨てようとしていま...Cedarさん<br />鯨さんはいかにもこのような電車が好物そうですね。<br />以前、親がネガを捨てようとしていました。聞いたら『プリントがあるから要らない』・・<br />そんな考えもあるのですね。<br />因みに自分も木曽森林や尾小屋のネガが行方不明です。<br />chitetsuhttps://www.blogger.com/profile/00531322226413015871noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8227179202419793182.post-31848029118998207442014-06-15T09:27:01.014+09:002014-06-15T09:27:01.014+09:00蒲原鉄道には、結局最後まで残った五泉~村松間だけしか乗れなかったことは前にも書きましたが、この区間だ...蒲原鉄道には、結局最後まで残った五泉~村松間だけしか乗れなかったことは前にも書きましたが、この区間だけになってからも初めの頃は朝のラッシュ時には3両編成になることもあったらしく、やはり通学生の利用が結構多かったということからこの区間だけ残されたということなのでしょう。<br />最近姿を消したという個人保存の2両は、以前にどこかのTV番組で見た記憶がある、田んぼの中の料亭の主が上屋付きの建物と共に自費で保存した車両でしょうか。その料亭の主が逝去され、料亭も廃業、相続の関係などでご遺族が処分せざるを得なくなったということなのでしょうか。冬鳥越に保存されている車両は、おそらく今も健在だということですが…。伊豆之国noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8227179202419793182.post-18708307639792912672014-06-14T13:13:20.913+09:002014-06-14T13:13:20.913+09:00蒲原はかの鯨くんと二人で訪問しました。加茂から入って大蒲原ー村松から五泉に出ました。村松駅や車庫で撮...蒲原はかの鯨くんと二人で訪問しました。加茂から入って大蒲原ー村松から五泉に出ました。村松駅や車庫で撮ったネガが行方不明のままです。Cedarnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8227179202419793182.post-87058759225418409742014-06-14T09:01:19.353+09:002014-06-14T09:01:19.353+09:00原口さん
一見普通のパンタ、実は曲者パンタですね。
そんなに両数がいないのにパンタが異なっているのも...原口さん<br />一見普通のパンタ、実は曲者パンタですね。<br />そんなに両数がいないのにパンタが異なっているのも興味深いです。<br />どこで作ったのでしょうか?chitetsuhttps://www.blogger.com/profile/00531322226413015871noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8227179202419793182.post-81357954969222226002014-06-14T08:59:16.499+09:002014-06-14T08:59:16.499+09:00赤影さん
何となく見てましたが、PS16系のパンタだったのですね。
上から見ると田舎臭いパンタに見え...赤影さん<br />何となく見てましたが、PS16系のパンタだったのですね。<br />上から見ると田舎臭いパンタに見えちゃうのですが。chitetsuhttps://www.blogger.com/profile/00531322226413015871noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8227179202419793182.post-4479124890404037772014-06-14T08:58:01.801+09:002014-06-14T08:58:01.801+09:00阪鉄車輌さん
五泉から村松は厭になるほど直線コースでしたね。
それも、ずっと道路が並行して走っていて...阪鉄車輌さん<br />五泉から村松は厭になるほど直線コースでしたね。<br />それも、ずっと道路が並行して走っていて全然上手く撮れませんでした。<br />電車を採寸して作る・・・模型趣味の原点ですね。<br /><br />あっちのブログと合わせてカチカチ見てね(^O^)。chitetsuhttps://www.blogger.com/profile/00531322226413015871noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8227179202419793182.post-10005206491411518262014-06-14T00:05:27.873+09:002014-06-14T00:05:27.873+09:00阪鉄車両さん、赤影さん初めまして
「蒲原形パンタグラフ」ですが、かなり昔の鉄道ピクトリアル誌(確か...阪鉄車両さん、赤影さん初めまして<br /><br />「蒲原形パンタグラフ」ですが、かなり昔の鉄道ピクトリアル誌(確か1990年代中頃)にパンタグラフに関するコラムがあり、簡単なイラストで標準的なパンタグラフから変わった形のものまで紹介されていました。その中に蒲原鉄道のパンタグラフが「それぞれの私鉄の車両を個性づけるもの」の代表格として、岡山電軌の「岡軌式パンタグラフ」などとともに紹介されていたことを覚えています。「蒲原形パンタグラフ」の印象が強く、実はモハ61,71がそれぞれPS16, PT42に似たものを付けていたことに初めて気づきました。原口 悟noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8227179202419793182.post-58730493974791210932014-06-13T23:00:58.558+09:002014-06-13T23:00:58.558+09:00地方私鉄の旧型車にPS16系パンタは珍しいなぁ。。。ちょっと萌えマス♪地方私鉄の旧型車にPS16系パンタは珍しいなぁ。。。ちょっと萌えマス♪赤影https://www.blogger.com/profile/05757033681046592914noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8227179202419793182.post-65068237978262585802014-06-13T13:06:01.862+09:002014-06-13T13:06:01.862+09:00学生のころ、まだ加茂-村松間が廃止される前に蒲原鉄道には二回ほど行きました。
とてもなつかしく見させ...学生のころ、まだ加茂-村松間が廃止される前に蒲原鉄道には二回ほど行きました。<br />とてもなつかしく見させていただきました。<br />五泉から村松は一直線でしたね。<br /><br />当時モハ31を採寸して帰り、紙で自作しました。<br />パンタグラフが特殊な形状でしたのでこれも自作したのですが歪んだものしかできませんでした。<br />もう30年以上も前のハナシです。阪鉄車輌noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8227179202419793182.post-47610244612129155902014-06-13T03:39:51.624+09:002014-06-13T03:39:51.624+09:00原口さん
クハ10の相手は基本モハ71でしたね。
モハ71のパンタ無し側は唯一幌枠がついていたのも納...原口さん<br />クハ10の相手は基本モハ71でしたね。<br />モハ71のパンタ無し側は唯一幌枠がついていたのも納得できます。<br />モハ61との編成は考えてみればこの時しか見ていません。<br />恐らく相方が検査中だったのでしょうか?chitetsuhttps://www.blogger.com/profile/00531322226413015871noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8227179202419793182.post-11178471578795850412014-06-12T23:26:00.123+09:002014-06-12T23:26:00.123+09:00クハ10ですが、昭和60年の部分廃止以前は連結相手をしばしば変えていたのですが、末期はモハ71と実質...クハ10ですが、昭和60年の部分廃止以前は連結相手をしばしば変えていたのですが、末期はモハ71と実質的に固定編成となっており、RP98-4増刊号「東海、甲信越のローカル私鉄」でもモハ71について「クハ10と実質固定編成となったために走る機会が極端に減ってしまった」と記載されています。写真は1998年のことですが、モハ71が単行で運用され、クハ10がモハ71以外の車と編成を組んでいるのは当時としては非常に珍しい機会をとらえたと考えられます。モハ71の写真で、後位がとらえられているものがありますが、貫通路のところに幌枠が付けられているのがわかります。また、上記の理由から、この時期のモハ71の後位の詳細がわかる写真は非常に貴重なものです。原口 悟noreply@blogger.com