tag:blogger.com,1999:blog-8227179202419793182.post6133849584731570450..comments2024-03-05T08:48:25.156+09:00Comments on 吊り掛け電車をもとめて: 一畑電車 一畑口 (1)chitetsuhttp://www.blogger.com/profile/00531322226413015871noreply@blogger.comBlogger6125tag:blogger.com,1999:blog-8227179202419793182.post-47979152534961321752015-07-01T05:34:45.278+09:002015-07-01T05:34:45.278+09:00宵闇さん
それだけ需要がないところだったのかも知れませんね。
旧駅周辺と思われる場所は、何もない感じ...宵闇さん<br />それだけ需要がないところだったのかも知れませんね。<br />旧駅周辺と思われる場所は、何もない感じの場所でした。chitetsuhttps://www.blogger.com/profile/00531322226413015871noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8227179202419793182.post-14730366059480755772015-06-30T18:40:12.682+09:002015-06-30T18:40:12.682+09:00不要不急とは言え戦前に廃止になった路線の駅の残骸が残ってたというのがいいですね。
沖縄の歴史本で見た...不要不急とは言え戦前に廃止になった路線の駅の残骸が残ってたというのがいいですね。<br />沖縄の歴史本で見た稲嶺駅の跡を思い出してしまいました。<br />多摩御稜の駅舎も空襲でやられなければ今頃公民館になっていたかも知れませんね。宵闇noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8227179202419793182.post-88041515650010742332015-06-30T07:00:44.163+09:002015-06-30T07:00:44.163+09:00元・いきもの部長さん
一畑口からの線路跡ははっきりわかりました。
それだけ周辺も閑散としていたという...元・いきもの部長さん<br />一畑口からの線路跡ははっきりわかりました。<br />それだけ周辺も閑散としていたという事でもありますが。<br />終点の一畑と思われる場所から一畑薬師まではそれなりに離れていました。chitetsuhttps://www.blogger.com/profile/00531322226413015871noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8227179202419793182.post-83223520283099227982015-06-30T06:57:17.619+09:002015-06-30T06:57:17.619+09:00伊豆之国さん
出雲大社がある立地で敢えて一畑薬師から名前を取ったあたりがこの鉄道の当初の目的を知らな...伊豆之国さん<br />出雲大社がある立地で敢えて一畑薬師から名前を取ったあたりがこの鉄道の当初の目的を知らないと不思議に思うところでしょうね。<br />もし、不要不急路線として廃止にならなかったら、デハ1形あたりが往復していたのでしょうか?chitetsuhttps://www.blogger.com/profile/00531322226413015871noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8227179202419793182.post-39524938214398542592015-06-30T00:58:28.759+09:002015-06-30T00:58:28.759+09:00昔の終点だった一畑の面影が残っていたことは、知りませんでした。
同じような地方私鉄のスイッチバック駅...昔の終点だった一畑の面影が残っていたことは、知りませんでした。<br />同じような地方私鉄のスイッチバック駅といえば富山地鉄の上市駅があります。<br />上市口(現・上市)~上市が廃止となった経緯は駅名も含めて似ています。三等急電https://www.blogger.com/profile/16429042250922764136noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8227179202419793182.post-70732013126761770562015-06-29T22:30:02.230+09:002015-06-29T22:30:02.230+09:00一畑口のスイッチバックのことは、以前から知っていたので、初めて乗ったときにはすでに承知していたことで...一畑口のスイッチバックのことは、以前から知っていたので、初めて乗ったときにはすでに承知していたことでしたが、実際に乗ってみると、やはり不思議な光景だというのを隠せなかったものでした。<br />この駅がスイッチバックの形になったのは、一畑電鉄がもともと「一畑薬師」への参拝客輸送を目的としていたことからで、その当初の目的地であった一畑への路線が戦時中に「不要不急路線」として撤去されてそのまま復活しなかったために、今のような線形になったからなのであり、本来ならばメインになるであろう出雲大社や松江への路線は、後に支線として開業したという、その経緯によるものだったこと、社名が「出雲電鉄」とか「島根電鉄」などではなくて、全国的にはマイナーな存在で知らない人が大半であろう「一畑」を冠しているのも、その「一畑薬師」が大株主であったということも知ったのでした。<br />一畑口と同様、直進方向の路線が廃線となったために、スイッチバックの形が残った駅というと、石北線の遠軽駅が代表的な例ではないでしょうか。伊豆之国noreply@blogger.com