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2017年6月24日土曜日

可部線の73系電車、車内の記録

可部線73系シリーズ、随分間があいてしまいましたが、今回は73系電車の車内編です。

因みに電車外観は、
可部線のクモハ73はこちら(⇒可部線のクモハ73)。
同じくクハ79はこちら(⇒可部線のクハ79)。
をご覧下さい。

クハ79004 80.8.25 横川

こちらは最古参のクハ79004の運転台です。
機器•配管は剥き出し、色々な機器類がランダムにあちこちに配置してありますね。
今の電車じゃ考えられないようなシンプルな運転台です。

以前可部線の記事をアップした時に頂いたmaronefu さんのコメント...

『可部線の73系が現役の頃は広島に住んでおらず、初めて見た時は「都会の電車が見れた!」と興奮した記憶があります。

私の知人にコレを海田市まで運転された方がいて、広島で乗務交代して最初に確認したのが、ATSの確認スイッチだったそうです。
このスイッチの位置が各車バラバラで、警報が鳴っても確認スイッチの位置が判らず急停車したことがあったとか…』

・・・・納得です。

クモハ73383 80.8.25 横川

ロクサンタイプの車内です。
可部線の73系電車はアコモ改造『A』を受けています。
アコモA改造は、アコモB改造よりも簡易的なアコモ改造で、三段窓はアルミサッシュ改造を受けたものの、B改造のように化粧板の交換は行われずにニス塗装全剥離のうえ、再度ニス塗りをするという内容でしたので、古い内装がそのまま存置されたままでした。


クモハ73383 80.8.25 横川

こちらは運転台側を向いて見た車内の様子。


クモハ73021 79.3.18 横川

近代化改造車の車内。
ドア部分のスタンションポールがありません。

クモハ73021 79.3.18 横川

同じく運転台側を望む。

9 件のコメント:

nnishi1968 さんのコメント...

こんにちわ。

可部線の73系、引退の年の8月に乗りに行きまして、最後に乗ったのがクモハ73021でした。
その日は、ロクサン形由来の車体を持つ編成は運用に入っておらず、更新車体が正直残念では
ありましたが、これが最後という事で、録音しながら乗った記憶があります。

1984年は、貨物列車の黒貨車が消え、東海道線荷物列車のEF58牽引がEF62になり、阪急
西宮北口駅のダイヤモンドクロスが廃止になり、秋には可部線の73系が消えたりと、普段から
見慣れていたものが次々と無くなってゆく、移り変わりの激しい年だったと思います。

可部線も、30年以上たった今では新車が運用される様になり、沿線の都市化も進んでいる様
ですが、73系時代の沿線風景からは想像が出来ません・・・

原口 悟 さんのコメント...

可部線の73系の更新は「アコモB」です。アコモAは主に首都圏の73系に行われた、アルミサッシが上下1:1になッた工事で、アコモBは主に地方の73系に行われた上下1:2になったものです。他、室内更新だけが行われたC, D, E更新もありました。
この更新工事を受けた車は、資料によってずれがあります。RP00-5号でA更新を受けたことになっているクハ79445は、更新工事を受けたとされる時に京阪神緩行線に所属しており、窓も3段原型であることが確認されています。クハ79445は昭和49年に中央西線に転属し、この時に1:1アルミサッシになりました。「クハ79445」の番号の近くでは、クハ79447が現車はアコモA更新を受けていることが確認されているのに対し、RP00-5号のアコモ更新の一覧には記載されていたいため、この車の誤りと考えられます。
また、B更新でも、可部線の73系で、全金更新車が一覧に入っており、本来更新される必要のない車が何故入っているのか、が「我が心の飯田線掲示板」で話題になったことが有ります。これについては、当時の呉線の車は、青子も更新と一緒に半自動扉化や暖房強化等の呉線固有の工事が行われており、これは全金更新車でも行われているので、「全金更新車のアコモB更新」は実際には呉線対応の整備工事を示すと考えられます。

可部線の73系では、昭和50年代前半の資料を見る時に1つの注意点が有ります。可部線では73系化後から最後までクモハ73、クハ79が10両ずつ運用に入っていたのですが、昭和50年代前半、「可部線の73系はクモハ73、クハ79が"12両ずつ"」と記述されている資料がしばしば認められます。これは、当時の広島運転所に所属するクモハ73、クハ79が確かに「12両ずつ」だったことによるもので、可部線用でなかった車が入っていることが見落とされています。この「員数外の車」は、クハ79では、呉線で山スカ71型ともに走っていたクハ79446, 466で、クモハ73では、幡生工場への回送用事業用車だったクモハ73128, 345です。クモハ73345は昭和47年に京阪神緩行線から転入したのですが、最初から事業用で、ぶどう色2号のままでした。あともう1両、昭和49年にもう1両京阪神緩行線から偶数向きのクモハ73が入ったのですが、昭和51年に呉線から可部線に73系が転用された時に呉線用だったクモハ73128がこの車と交代しました。クハ79446, 466はその後可部線に転用されたこともあり、この4両が「可部線用」と誤認識されたと考えられます。

モハメイドペーパー さんのコメント...

運転室の機器配置は、速度計だけを見てもまちまちです。大抵は角型で、79004のように丸型は珍しいですね。

まろねふ さんのコメント...

何だか私が呼ばれたような…(笑)
可部線の73系について、元国鉄勤務でした故Y氏のお話を…

いつの頃だったか聞き忘れましたが、関東地区で余剰となった全金車グループを広島区に持ってくるため、現車調査で故Y氏が余剰車の戸袋窓を全て開けて鋼板の裏側の状態が良かったものを選び、転入前の疎開留置を行っていた所、水害で全車水没してしまい使えなくなってしまった(久里浜駅だったと思いますが)、呉線電化で『車両がボロくなってしまった』との利用者の苦情に応えようと選んだのに…仕方なく、少しでも見栄え良くするため、窓サッシ交換等ボロ車の更新工事を行ったと。

もし、水没廃車になった彼女らが広島に来ていたら、可部線はどうなってたでしょうか? 
富山港線のように全金車ばかりの、面白みに欠ける状態になったのかなと…

以上、昔伝え聞いたお話でした。

原口 悟 さんのコメント...

>まろねふさん

久里浜駅で73系が水没したのは昭和49年7月7月の台風7号、8号による「七夕豪雨」で、呉線の73系のアコモB更新はそれより前の昭和46年から行われています。「鉄道ファン」誌1972年5月号P114, 115に呉線72系更新の記事があります。それによると、昭和46年度の本社特修工事として広島運転所の73系33両に対して昭和46年8月からアコモ改善工事が行われ、その内容は(1)室内の塗装更新が、「内貼り板の塗装を剥離して透明ラッカーを塗る、なお、内装合板の傷入りは取り替える」(2)腰掛モケットを全面的に張り替える(3)客室車端連結側に貫通引き戸を取り付ける(4)室内暖房を現在1回路に対し、2回路に増設して暖房効果を増大する(5)3段窓を2段窓に交換、これは中断、下段を1枚ものにしたもので、3段窓の利点である換気のため上段も開けられるようになっている、です。工事が落成した最初の車は昭和46年9月8日のクハ79308で、クモハ73は10月になってクモハ73383が落成したの最初です。アルミサッシの他、広島の更新工事の特徴として挙げられるのが「ノーシルノーヘッダーになった妻面」です。これは、上記(3)の貫通引き戸が無かったところに戸袋窓を付けた工事を行ったもので、RF72-5号にはクモハ73061の写真が掲載されています。可部線に残った車では他にクモハ73169が該当します。これに対してクモハ73041,313,383はシル、ヘッダーが有りましたが、これは呉線転入時に貫通扉がすでにあった車です。モハ72形はモハ72066だけ貫通扉追加工事が行われ、他に4両いたモハ72000台原型車は首都圏からモハ72500台を転属させて置き換えられました(他に全金更新車のモハ72056が呉線に在籍)。この時に1:1アルミサッシのモハ72692が転入していますが、この車は昭和42年に先行してアルミサッシ交換が行われた車です。
呉線では、昭和45年の電化時は電化前はC59, 62が牽引したことで有名だった客車列車が残っていました。C59, 62時代は早朝の広駅に客車列車が3本待機し、C59, 62が3両並んでいたことが有名だったのですが、この客車列車が昭和49年に電車化が行われました。この電車化は京阪神緩行線、阪和線から73系を転属させて行われました。この時に転入した車ではクモハ73001,021,027、クハ79326,328,370が入っています。この車は上記の更新工事の関係で呉線在来の73系とは連結させることができず、10両編成を組んで運用が分離されていました。その後在来車と連結できるように回路を工事し、10両編成に在来車が入ったり、3両編成に転入車が入るようになりました。
昭和51年の可部線の73系化は、三鷹電車区から山スカ71形を転入させて玉突きされた車を充当したのですが、この時、3両編成の運用は山陽本線用の80系が入り、客車列車由来の10両編成の運用が山スカ71形になりした。この時にクハ79446,466が一緒に転入しました。また、在来のモハ72形6両(モハ72503,563,673,684,692,934)が山スカ混結で残りました。この運用が昭和53年末に115系に替わり、クハ79446,466が可部線に転用、モハ72型からクモヤ90型への改造が行われました。

一方、昭和49年に久里浜に疎開していた73系は、横浜線の103系化で捻出された車が主でした。昭和49年7月7日の七夕豪雨による水没で直接影響が及んだと考えられるのは昭和49年10月に電化を控えていた成田線、総武本線、鹿島線(北総電化)と考えられます。ちょうどこの時期、関西から73系が大挙津田沼電車区に転属し、房総地区で朱色の73系が見られたのですが、これは、後に昭和57年8月初頭の台風10号による関西本線王寺駅の冠水で101系60両が使用不能になり、ちょうど首都圏で201系に置き換え最中だった101系を転用したのに事情が似ていると考えられます。このため、時期的には昭和49年7月7日の七夕豪雨は呉線73系のアコモ更新が昭和47年までに完了済み、客車列車の73系化も進行中だったので、関連していないと考えられます。

chitetsu さんのコメント...

nnishi 1968 さん
あの頃は変化の激しい頃でしたね。私は社会人になった頃で、少し趣味から遠ざかった時期で、記録が結構欠けています。

chitetsu さんのコメント...

原口さん
アコモのAは乗客の立場で見ると施工内容が ちょっと中途半端だった気がします。
外観はずいぶんスッキリしましたが。

chitetsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
この辺りの形式の運転台は様々で、運転士も戸惑ったでしょうね。
もうちょっと運転台を撮っておけば良かったです〜。

chitetsu さんのコメント...

まろねふさん
こんばんは。
折角取っておいたのに水没させたのは残念でしたね。
その中にロクサンタイプの73形唯一のアコモB車が居たのが残念です。