古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2017年4月17日月曜日

作品展、無事終了しました。

4月1日から二週間さかつうギャラリーで開催しておりました『宮下洋一作品展 2』、無事終了いたしました。
多くの方にお越しいただき、作者としては大変嬉しく思っております。
お会いできなかった方が大半であったと思います。
ここで、お礼をさせて頂きたいと思います。
ありがとうございました。




なお、撤収は21日におこなうことになりました。
それまでの期間は展示品が減ったりは致しますが、ほぼそのまま置かせていただくことになりました。

4 件のコメント:

三等急電 さんのコメント...

お疲れさまでした。
訪ねるタイミングが悪くお会いできませんでしたが、新作を実際にこの目で拝見することが出来、有意義な時間を過ごすことが出来ました。
ありがとうございました。

原口 悟 さんのコメント...

作品展お疲れ様でした。

先週土曜の訪問時に注目したのは、持参した太田蘭三著「脱獄山脈」とも関連するのですが、「改札口」でした。展示レイアウトの駅の改札口は、木の角材細工のものが表現されていましたが、大麻生駅や三峰口駅等秩父鉄道ではまだ見られますが地方でも珍しくなっているものだと思います。また、より近代化された鋼板製のカウンター形式のものの方がより珍しくなっている可能性が高く、秩父鉄道では熊谷駅や行田市駅で見られるのですが、かつての上野駅や新宿駅で見られたカウンターがずらりと並ぶ改札口は見られなくなっていると思います。
「脱獄山脈」では、脱獄囚の行方を追うため、南武線の矢川駅、青梅線の奥多摩駅、小海線の信濃川上駅で警察が聞き込みを行っているのですが、「切符売り場の係員」「改札係」への聞き込みは、切符販売と改札の自動化が進んだ現在では不可能になりつつあり、恐らく現在の都市圏の目から見ると、この部分は理解しにくくなっていると思われます。話の中では売店の販売員にも話を聞いており、奥多摩駅と小淵沢駅が出てきます。
「脱獄山脈」は昭和53年夏の夏山シーズンが舞台と考えられ、南武線の電車が101系と旧型国電が微妙な時期ですが、「53-10改正」前であることを示す表現が中にありました。後半の方で脱獄囚が向かった北アルプスへ敬二が向かう時に使った列車が「夜行のアルプス7号」と標記されており、53-10改正以前の下り、上り共に1号から振られていた時代(「あずさ2号」が8時ちょうどに新宿駅を出発していた時代)の番号であることがうかがえます。もっと後の太田蘭三の小説では、もっとハイナンバーの急行アルプスが使われています。

chitetsu さんのコメント...

三等急電さん
お越しいただき、ありがとうございました。
何とか無事終了できました。

chitetsu さんのコメント...

原口さん
現役の改札口の木製ラッチは今や全国的に絶滅危惧種でしょうね。
その前に改札に駅員が立っていたことがわかる世代も段々減ってきていますね。