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2017年1月27日金曜日

吊り掛け電車をもとめて大連へ・・・ その2

大連の路面電車、続きです。
今回は1937年日本製の電車、旧3000形をもうちょっとクローズアップします。

7-2267 17.1.21 民主広場

民主広場にてすれ違う電車はどちらも1937年に日本車輌製造で製作されたボギー車ですので、既に車齢は80歳ということになります。同じ日車で製造された名鉄のなまず、いもむしと同級生ということになります。
もしかしたら、日車で顔を合わせたことがあったかもしれません。


7-2274 17.1.21 民主広場ー世紀街

旧3000形は現在コンピューターコードのような車番に変更されています。片側三扉で、前後の扉から乗車して、運転手か車掌に運賃を支払い、中扉から下車というシステムになっています。
側扉配置については2パターンあります。
これは扉間4枚窓で、前後扉が内側に寄っているタイプです。

7-2286 17.1.22 世紀街

こちらはもう一つのタイプ。
扉が車端部によって扉間窓が5個のタイプです。
改造でこうなったのか、元からなのかは分かりません。

7-2280 17.1.22 世紀街

車体色も紺色に金帯と濃緑色に金帯の二種類あります。
戦前は車体色が赤、緑、白、黒の4種類があって、階級によって乗れる車輌を区別していたそうです。ガイドさんの話では赤が政府高官、軍人用、緑がその次のクラス、白が外国人用、黒が労働者階級用だったそうです。
この塗装はその当時のカラーの名残でしょうか。

7-2280 17.1.21 民生街

満州国だった時代から走り続けている大連市電の生き証人のようなこの電車、現在は全車ビンテージラインと位置付けされているの201区間が活躍の場所です。

7-2275 17.1.21 勝利橋

こちらは大連駅に近い勝利橋に停車中の姿で、この車輌はテールライトが埋め込み2灯になっていますが、それ以外で何か変だと思いませんか?

7-2275 17.1.21 勝利橋

何と、夜なのに車内は電気が点いていません。
お客さんも乗っていて回送車ではなく営業車です。
車内に照明はあり、実際点灯している列車もあり(上の赤い電車など参照)、何故真っ暗のまま走るのか理由がわかりません。
ガイドさんに聞いても運転手が反射を嫌ってそういうことは良くあるとの話ですが、本当にそうなのか理由が良く分かりませんでした。

7-2277 17.1.21 人民路

台車はブリルのコロ軸改造かと思いきや、良く見たらマキシマムトラクションでした。

7-2286 17.1.22 華楽広場

車内です。
最近内装の改修を行い、レトロ調の車内になっておりこの車両の魅力がいっそう高まりました。
因みに暖房は有馬温泉。

7-2286 17.1.22 華楽広場

路線図です。
系統は3系統ありますが、古い電車はこの系統に集中投入されています。

7-2286 17.1.22 華楽広場

運転台です。
マスコンは交換されているようです。

7-2286 17.1.22 華楽広場

交通マナーはあって無いようなもの。
こんな直前横断は日常茶飯事です。

7-2273 17.1.22 世紀街

旧3000形、かなりな高齢車ですが手入れは行き届いとおり、大連市電のシンボルとして今後も大切に使われ続けることを願いたいです。

おわり



6 件のコメント:

モハメイドペーパー さんのコメント...

 手入れがよいけど、マイナス20度の大連で暖房なしは辛そうですね。
台車は出入り口寄りの従軸がやや小さめのようで、豊鉄3100形(元名古屋市電)などにも同様な例が見られます。心皿位置を偏心させて駆動軸により重量をかけるといった機構ではないので、マキシマムトラクションとはいえないと思います。

Cedar さんのコメント...

階級別塗装の話は父から聞いたことがあります。黒のは「苦力=クーリー」電車と呼んでいたとか、あとは満鉄工場がアメリカのをコピーして作ったバーニーカーがあったり、アトランタの電車が戦後応援に入ったとか、大連市電に興味は尽きません

chitetsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
あの寒冷地で暖房無しはキツイですね。
早朝夜間はたまらないと思います。
台車の件、アドバイスありがとうございます。

chitetsu さんのコメント...

Cedarさん
4色で区別していたのはビックリです。
なかなか自分が乗れる電車に巡り会えなさそうですね。
購入した絵葉書にはバーニーカーが映っていました。

モハ1005-モハ1006-クハ2003 さんのコメント...

大連の貴重な画像、ありがとうございます。
かつて耐用年数10年で設計された車両なんて言うのもありましたが、
80年を経過した車両が活躍しているなんて、すごいですね。
そして木目調の車内、手すりなどが真鍮のよい色を出しているのが
何だか先日誕生した銀座線の1000系レトロ編成を連想します。
ブラインドではなく、レースカーテンもお洒落ですね。
海外事情は判りませんが、地球の裏側でも営団の500形が活躍したりと、
日本の過去の姿が見られるのは本当に素晴らしいことです。
まだまだ頑張って活躍して欲しいですね。

chitetsu さんのコメント...

モハ1005-モハ1006-クハ2003 さん
戦前の電車が大きな改造を受けずに今なお主力で活躍しているのには感動しました。
近年の更新工事で車内はかなり手を加えたようです。
どうせならその時に暖房をつければよかったのにと思いました。