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2016年10月29日土曜日

海芝浦にて

海辺の駅といえば、私はこの駅をまず最初に思い浮かべます。

クモハ73291 78.4.7 海芝浦

1978年の春、そこに初めて行きました。
駅から降りれ無い駅で当時から有名でしたが、本当に警備員の睨む目が怖く、ちゃんと切符あるのに悪いことをしているようで、落ち着かない印象ばかりが残っています。

78.4.7 海芝浦

でも、折角なので、次の電車を待ちました。
乗って来た電車を見送ります。

78.4.7 海芝浦

次も63形タイプでした。
こちらは原型窓を維持したクモハ73形です。
この当時は63形タイプが主力でした。
やはり、どこか落ち着かなかったのか、車番メモを忘れています。

クモハ73501 79.12.2 海芝浦

それから約1年半後、再度海芝浦を訪れました。
晩年は南武線の状態の良い車輛を中心に転入し、63形タイプを置き換えていきました。

クモハ73289 79.12.2 海芝浦

この中で唯一輌だけ63タイプが残存していました。
63タイプで長寿だったクモハ73289は、保安機器等の装備の関係など色々な理由から残存したことは、先日原口さんのコメントで知りました。

クモハ73289 79.12.2 海芝浦

誰もいない車内は海からの寒い風が通り抜けてゆきます。

クハ79932 79.12.2 海芝浦

全金属の920番台も鶴見線転属後はサボ受けを付けて走っていました。
労働問題からこうなったのでしょうか?いかにも国鉄チックな不合理な話ですね。
当時は標準レンズ一本だけだったので、海は入れることができない詰まらない写真しか残っていません。

14 件のコメント:

原口 悟 さんのコメント...

鶴見線73系の箱サボ使用の継続ですが、「車両が徐々に置き換わった」ことが大きいと思われます。昭和47年11月の73系化当時は先頭車はクモハ73型はクモハ73029以外すべて原型、クハ79形は全て元サモハ63型の100番台でした。これが、昭和50年ごろから徐々にクモハ73500台、クハ79300,400,920台への置き換わっていったため、「方向幕への切り替えのタイミングがつかめなかった」と考えられます。特に、クハ79形の方は方向幕装備でない300,400番台が多く、920番台が多数派にならなかったことが大きかったと思われます。この辺りは昭和49年7月7日に久里浜駅で起こった疎開していた73系が多数冠水して廃車になった事件で、920番台が多数廃車になった影響が鶴見線にまで及んだ(回りまわって鶴見線の車を全金車で揃えるための車両が不足した)、と考えることもできます。
もう1つ、箱サボは「運用が定められていた」ことも箱サボ継続の理由として考えられます。箱サボは「駅の備品」で、運用が定められており、裏返しや差し替えは駅の業務でした。現在保存されているサボを見ると、片隅に駅の略号や電略が書き込まれており、どの駅の備品だったが確認できます。方向幕が入ると、この「サボ」の運用が切れることになり、サボから方向幕への過渡期では、この時のサボの扱いがかなり問題になったと思われます。
結局サボから方向幕への移行は101系化と同時に行われたことになるのですが、これも「全車が方向幕に置き換わることが決定した」ために置き換えの機会になったと考えられます。

なお、片町線では新性能化時に101系で「掛けサボ」を使うことが考えられたことがあったらしく、「掛けサボフック」を付けた101系が確認されています。

原口 悟 さんのコメント...

一番下のクハ79932の写真で、「鶴見線仕様」の特徴がいくつか観察できます。これは、「箱サボの差し替え」のための装備で、まず、前面の「裾のステップ」は原型では全く存在しなかったもので、「横の小ステップ」はホームから体を伸ばして「足場にするため」のものです。そして、前面窓の両側にある「小手すり」は「箱サボまで体を伸ばすときに掴まる」ためのものです。

chitetsu さんのコメント...

原口さん
サボの運用の仕方、どうだったのでしょうね。
南武線をはじめほかの線区では箱サボと方向幕が混在していたのでどう考えても不思議な気がします。
コメント頂いたように箱サボを使うために前面もいじっているので、結構手間かかっていますよね。

ジモティー さんのコメント...

残念ながら73系が現役時代の鶴見線には乗ったことがありません。
今思うと、実家からはたいした距離でもないのに残念なことをしたと思いますが、
当時鶴見線沿線は名だたる公害地帯で、イメージが良くなかったことに加え、
駅間も短くノロノロ運転なので、食指が動かなかったと言うことも大きな理由です。
これは南武線の73系にも言えましたが、せいぜい50~60Km/h でトロトロ走る73系は、
今一魅力に欠け、乗車しても何だか欲求不満を感じていました。

これは自分にとっての73系の原点が、爆音を上げてガンガンぶっ飛ばす京浜東北線や横浜線にあり、
モーターの甲高い爆音や、高速時の小刻みな縦揺れや横揺れで激しく揺れる車内のつり革など、
迫力ある走りっぷりが幼少時より刷り込まれていたので、物足りなく感じたのだと思います。

chitetsu さんのコメント...

ジモティーさん
確かに南武線とかは今に比べても速度が遅く、トロトロ走って欲求不満でした。
鶴見線は走行写真にも適さない路線ですし・・・。
やっぱり吊り掛け音がかすれるような高速運転が良いですね。
晩年では御殿場線がそんな感じでしたね。

chitetsuさんのファン さんのコメント...

こんにちは、失礼します。70年代も終わりの頃、南武線の駅でバイトをしていた時のことを思い出してみました。幕サボ、箱サボを問わずサボ返しは駅の業務でホーム立ち番は折り返し電車の前後を返し、移動を兼ねて車内点検をしていました。
サボ現物の所属は駅とのお話ですが電車区のものもあったのではないかと思います。101系で川崎登戸を運転していた先代の『快速』の腹サボの裏に『中原電車区』の文字の覚えがあります。また多くの使途不要となったサボが豊田や青梅の電車区の側溝などのどぶ板、他に再利用されていました。当時の職員さんからサボ返しなど業務のレクチャーを受けた時の記憶です。鶴見線は鶴見発終着駅にサボ返しをする職員が居ないのでハイフンサボの形式になっていたと聞いたような覚えがあります。
南武線、鶴見線はNRUの活発な線区で労働環境はある意味シビアでした。そんな環境だったので繁忙期にはバイトができたのでした。古い記憶なので悪しからずご理解下さい。

chitetsu さんのコメント...

chitetsuさんのファン さん
貴重なバイト経験談、ありがとうございました。
不要なサボがどぶ板になっていたのは私も見たことがあります。
欲しかったなあ・・。
やはり、鶴見線のサボは労働問題がきっと絡んでいたのでしょうね。

原口 悟 さんのコメント...

chitetsuさんのファンさん、初めまして

使用を終わったサボの使い道ですが、東神奈川電車区で「電留線の番線表示」に使われている写真がかなり前の「我が心の飯田線掲示板」に紹介されたことがあります。車止めのところに番線表示の札を掲げていたもので、使用する面を白く塗りつぶして大きく数字を書き込んでいたのですが、裏はそのままで、車止めの背後から見るとサボの行き先表示(確か横浜線用)がそのまま見えていた、というものです。

サボに関する話ですが、企画室コン「首都圏の72系」で「厚手のサボ枠」への交換の記事があり、サボ枠内に必要な行き先のものを常備する方針になって、数枚のサボが常にサボ枠の中に入っている状態になり、この状態でゆがんだサボが入るとサボ枠に圧入状態になって抜けなくなってしまう、という事件が発生するようになったため、サボ枠を前面の「表示部」と後ろの「格納部」の2段式にした「厚手のサボ枠」に交換した、とするものです。ただ、完全に切り替わったわけではなく、若干数の従来型のサボ枠を残した車がいて、例えば横浜線で最後まで走っていたクモハ73031が従来型のサボ枠を残していました。南武線の駅で業務のバイトをしておられたとのことで、「サボが抜けなくなった」経験もあるのではないか、と思います。

私は長らく高崎線沿線に住んでいたこともあり、115系のドア上の「サボ」の裏返しや交換作業がなじみでした。籠原駅や上野駅にサボを常備する棚があり、当時撮影したこの棚の写真を見返すと運用する列車の列車番号が書いてあり、サボの「運用」が伺えました。

この場を借りて、先のホビーイベントの時に話題になった、次の「鉄道コレクション」が何なのか、正式に発表になったので報告したいと思います。発表は「仙台地区717系3両編成」「クモハ123ミニエコー」「113系3800番台山陰本線」「113系2000番台紀勢本線ワンマン」「713系長崎本線」でした。シルエットから、113系3800番台は予想できたのですが、「717系900番台」を予想しており、こちらは外しました。また、クモハ123は先の第20弾で登場時がパッケージされましたが、今回のものは最終時のようです。

原口 悟 さんのコメント...

写真撮影の1978年4月7日時点で鶴見線に残っていたクモハ73形原型車は津田沼から転入した73289の他、73105, 73265, 73291, 73325, 73335, 73337(73291, 325, 337は1978年5月8日廃車、73265は同年7月10日廃車、73105, 337は同年8月30日廃車です。これらのうち、73291, 325は原型前面、73105は前面窓をHゴム支持化していましたが黒Hゴム、73265, 335, 337は白Hゴムでした。
1978年4月7日撮影の上から3枚目の原型前面の車ですが、下の73289と見比べると、幕板手すりの位置が微妙に高いのがわかります。73291, 325では73291が高く、73325は低いので、この写真の車はクモハ73291のほうに形態が一致します。また、当時の避雷器の形態が、73291はカバーのリブなし、73325はカバーのリブ付きだったので、73291にほうに形態が一致しており、パンタ脇のランボードも73291は2本足、73325は3本足だったので、73291の方に一致しています。このため、写真の車はクモハ73291としてよいと思います。
白Hゴムの車も形態が区分できるかどうか見てみたのですが、73337は空気管が妻に下りるところの引き回しが他車と異なっており、曲がるところが下がっています。ランボードは73291が2本足、73335は3本足で、写真の車の形態は2本足(2本足と3本足とではパンタを乗せる部分の形態が根本的に異なっており、2本足は左右に梁が突き通っていてこの上にパンタが乗っているのに対し、3本足は左右が完全に分離している)であることがわかるので、形態分類からもクモハ73291であることは間違いありません。

chitetsu さんのコメント...

原口さん
番号特定、ありがとうございます。
写した車輌は一か月後廃車になっていたのですね。
このタイミングで撮れたのは良かったです。

原口 悟 さんのコメント...

すいません、白Hゴムの車ですが、原型前面のクモハ73291と記載が混じっていました

白Hゴムの車ですが、73265, 335, 337の3両で、このうち337が空気管の取り回しが微妙に違うので区別できます。73265, 335のどこが違うか調べたのですが、「前面の母線の留め金の位置が73265は「シルの真上」なのに対し、73335は「シルの下にずれている」」という違いが見つかりました。母線と空気管の留め金は一般にシル、ヘッダーから外れており、「真上に付いている」というのは今回調べて初めて発見しました。これを踏まえて写真を見ると、写真の車は母線の留め金がシルの上にあるようで、クモハ73265の方が可能性が高そうです。
一方でパンタ台の方は両車とも3本足で、先の書き込みの「2本足」とは一致しませんが、写真がややロングなために下の原型前面のクモハ73291のようにはっきりわかるわけではないので、先の書き込みの「2本足」は撤回したいと思います。

海芝浦駅ですが、昨年の12月30日の夕方に訪問しています。工場は休み期間に入っているので、海芝浦駅で降車した人は純粋に「海芝浦駅を見に来た人」だけでした。運河を挟んだ工場群は夕日に照らされており、多くの人が終着駅に深い感銘を受けていました。

chitetsu さんのコメント...

原口さん
73系電車は本当に奥が深いですね。
海芝浦の夕景色、良さそうですね。
自分も久し振りに行ってみたくなってきました。

風旅記 さんのコメント...

こんにちは。
鶴見線の雰囲気が好きで、たまに訪ねています。
記事本文や他の方のコメントにありましたが、今では気楽に訪ねることのできるこの路線も、時代が違えば趣味目的の部外者が行きやすい場所でもなかったのではないか、と想像しています。
大きな工場がより海際の埋立地に移り、鶴見線からは古い電車と共に貨物列車も消えていきました。
今は各路線から移ってきたステンレスの中古の電車が走り、それだけでもお写真の頃とは隔世の感、さらに近々、新車が直接投入されると聞いて驚いています。
海芝浦駅のホームからの広々とした眺めを前に、変わっていく列車をまた見にいきたくなります。

chitetsu さんのコメント...

風旅記さん
この当時も改札の前に守衛さんが立っていて、一歩たりとも構内には入れさせないぞ感がありました。
車両が世代交代したとはいえ、海に隣接したホームで折り返しまでのひと時を過ごすのも悪くないですね。