大船電車区訪問の帰りに大船工場を覗いてみましたら
思わぬ電車が居ました。
クモハ40054 78.7.22 大船工場 |
このクモハ40は日光線で活躍していたもので、とうに廃車になっていると思っていました。
隣には供捧車らしき車両も居ました。
車号不明 78.7.22 大船工場 |
こちらがその車両です。
クハ111-1072(左)、クモヤ22202(右) 79.8.22 大船工場引込線 |
また別の日の訪問ですが、こちらは大船工場へ入場する引込線で入場する電車の写真を撮りました。
この日は身延線の電車が検査入場するところ。
クモハ73337 79.8.28 大船工場引込線 |
こちらは工場への専用線で見かけた工場入出場車両の牽引用の電車。
用途済の電車が用いられていました。
クモハ73504 79.8.28 大船工場引込線 |
歴代どのような車両が使われてきたのかは知る由がありませんが、訪問時には
南武線で走っていたクモハ73などの電車が用いられていました。
7 件のコメント:
大きい車両工場って、鉄道好きの視点から見るととても面白いものが転がっていて楽しいですね。
廃車体とか、不要になったパーツが不思議な再利用されていたり。
ワタクシも以前ちょっとだけ東急長津田工場で働いていましたが、普段お目にかからないものがま近で見れて楽しかったです。
でも仕事になるとそんな事は言ってられませんでしたが。
引退した72系が職員専用で走っているのも、外部からみるととても羨ましく思ってしまいます。
宵闇さん
車両工場は趣味者から見るとワンダーランドですね。
既に営業線で見れないものが転がっているのを発見すると興奮したものです。
今は見学がままならないので寂しいです。
大船工場の構内車時代のクモハ40054は、少し前の「我が心の飯田線掲示板」で話題になったことがあります。クモハ40054は日光線が新性能化された時に一旦廃車になっているのですが、昭和54年に車籍復帰し、国府津電車区に転属しています。この間、クモハ40054がどのような立場にあったのか、という話題で、大船工場の「職用車」がどのような位置づけにあったか、解説がありました。また、車籍復帰した事情は、昭和54年末の国府津電車区の新設に伴い、国府津駅と国府津電車区の間の職員輸送の必要が生じ、クモハ40074が転属するともに、クモハ40054を車籍復帰させて充当したのではないか、と解釈されています。
73系の職用車ですが、写真のクモハ73337+クモハ73504の後継車は、写真の時期の少し後に新性能化が完了した横浜線からクモハ73031+クモハ73518が充当されています。
私が見た工場内で転がっていた部品の中で興味深かったものは、秩父鉄道の広瀬川原工場で見た、浜川崎線クモハ100-168の「C-1000型コンプレッサー」で、当時元国鉄101系の秩父鉄道1000系のコンプレッサーはC-2000に交換されていたのに対し、機関車がC-1000を使っており、「機関車用の予備品を確保したのではないか」と考えられます。また、秩父鉄道3000系(元国鉄165系)のものと思われるCS15制御器も見ました。
大船工場関連では長らく廃車された101系が何両か保管されており、秩父鉄道から1000系の保守用に部品を取りに来ていた、という話を聞いたことがあります。
原口さん
大船のクモハ40054は数奇な運命を辿っていますね。
よもや大船で見た荒廃した車輌が車籍復活してあちこちを走り回って、保存車になるとは思いもよりませんでした。
こういう事例はレアケースですね。
101系の話、秩父で部品取り車が無くて大船で保管していたのは何か約束事があったのでしょうかね?
1000系が長生きしたのには補助金の関係でおいそれと廃車できなかったという話を聞きました。
「工場引込線」という響きにはそそられますね。
ファミリー向けに一般公開されている昨今と違って、自分で見るまで分からないスリルがありました。
個人的に供奉車に目が行ってしまいますが、ドア位置から見て1933年製の460形の462か463かと思います。
お召編成はどうしても機関車ばかりに目が行ってしまい、よく記録されていたと感嘆しきりです!
連投すみません。
画像検索でググって見たら少しですがありました。
http://www.oocities.org/tokyo/palace/5861/ofuna.html
失礼致しました!
新busu-jinさん
しっかり記録をしている方、いますね〜。
私が行った時は、この1輌だけでした。
コメントを投稿