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2016年6月26日日曜日

リニューアル版・一期一会に終わった京急デハ230形

京浜急行デハ230形は大きい窓と低い屋根が特徴の電車です。
この記事は以前に掲載したものですが、スキャンの精度が芳しくないので今回のNゲージKATOのデハ230形購入・加工の記事掲載に合わせて再スキャンしてリメイクしました。

私が京急線でデハ230形に会ったのは一回きり。
230形は既に当時は本線運用はなく、空港線も置き換え後で大師線専用状態になっていました。


デハ266 77.8.2 小島新田


終点、小島新田は何もない所で拍子抜けしました。
サボの表記通りのイメージでした。

デハ266 77.8.2 小島新田

乗ってきた電車が川崎に戻ります。
ここから産業道路までひと駅歩きました。
じりじりと太陽が照り続ける暑い夏の午後でした。


デハ259 77.8.2 小島新田ー産業道路

味の素の専用線の関係で三線区間があることは有名でしたので、確認をしました。


デハ272 77.8.2 小島新田ー産業道路

雑然とした街並みを行く名車、デハ230形。三線になっているのは下り線のみです。
夏の日を浴びてやってきたデハ230形4連。

デハ259 77.8.2 産業道路

産業道路の踏切を渡る。

デハ266 77.8.2 産業道路


産業道路の駅で編成を撮りました。
ひと駅歩いただけですが、汗だくだく。
早々に終了となりました。

デハ271 77.8.2 産業道路 

暑い一日でした。

回送であれ230形が本線を疾駆する姿を見ることなく、一回限りの訪問で終わってしまったことは今考えると残念なことをしたものです。





16 件のコメント:

新busu-jun さんのコメント...

230型は琴電で初めて見て、琴電色もいけるな・・・などと思いましたがやはり京急カラーが一番ですね。
空港線から撤退した76年、記念乗車券が発行されたのでこれで全廃かとばかり思っていました。
大師線運用を知っていれば間に合ったのに・・・と後悔しきりです。
この頃の雑誌では私鉄情報といえば新車の登場時くらいしかなかったですね。

Cedar さんのコメント...

京急はこの電車を長く重用してましたね。どうせならKATOのと久里浜のを2両繋げて動態復活してほしい~なんて。

chitetsu さんのコメント...

新busu-Jinさん
当時は私鉄電車の情報は本当に少なかったですね。
知っていれば間に合ったと言うのは多いですね〜。
行ってみないと分からないのはリスクであり、楽しみでもありました。

chitetsu さんのコメント...

Cedarさん
製造時期を考えるとよく頑張っていましたね。
自分は本線を疾駆している姿を見れずじまいだったのが残念です。

丸窓鉄道管理局 さんのコメント...

写真1枚目。まるで川崎大師が終点のようなサボですね。
そういえば、地鉄色の230は居ないですね。
地鉄線の時代設定と実物の全盛期が重なるからでしょうか。
さすがに譲受や同型とするのは無理がある?(笑)

tobo さんのコメント...

真夏の230型。いいですね。当時は車もあまり走っていなかったのか、編成がきれいに写っていますね。私も230型末期に大師線に行きましたが、三線区間は全然気づかず、知ったのは味タムがなくなる時でした。

chitetsu さんのコメント...

丸窓鉄道管理局さん
当時のサボは川崎大師を前面に出した案内表示で面白かったですね。
大半のお客さんは終点まで行かなかったのでしょう。
230形は個性が強いので地鉄電車には向かなさそうなので入線していません。

chitetsu さんのコメント...

toboさん
ひたすら暑かった記憶が残っています。
初めて会った230形、窓の大きさと椅子の低さが印象に残りました。

ジモティー さんのコメント...

大正15年生まれの伯父(故人)が小学生の頃に書いた学校の作文で、
『湘南電車(地元では、当時KQはそう呼ばれていたらしいです)の最新型の電車は、
他のどの電車よりもカッコ良くて速く、運転士も車掌も将校みたいな金筋の制服を着ている』
なんて感じで、だいぶ盛ったこと(金筋の制服の件は嘘)を書いたところ、
「文章は上手いが嘘を書いちゃイカン!」と、教師から怒られたと言っていました。

当時、沿線の普通の少年達の間でも、湘南電鉄の最新型電車はカッコイイ!と人気が有ったようですが、
恐らくその最新型のカッコいい電車とは、この電車(前身のデ1?)の事なんだと思います。

KQのこの手の顔の電車(230形・400形)は、正面が3枚窓で昔の横浜市電の1300形に似ているので、
私が小学生の頃、地元の小学生の間では「市電」と呼ばれていました。

chitetsu さんのコメント...

ジモティーさん
湘南1形は当時としてはかなり思い切ったデザインの電車ではなかったでしょうか?
あの大きな開口を持った窓は当時の電車の中では驚きを持って迎えられたのでは。

三等急電 さんのコメント...

川崎大師へ行ったとき230形に乗っているはずなのですが、鉄になる前なので覚えていません。
次に大師線に乗った時は既に引退した後でした。
大きな窓が話題になっていますが、これより窓の大きい京急車は未だに現れていないのかな。
消えた三線区間ですが、国鉄塩浜操車場建設前は川崎市電まで続く長い区間で、Cedarさんやkatsuさんのブログでその様子が紹介されていますね。
神奈川県名物の三線区間は、箱根登山も大幅に短縮され、以前のまま残るのは金沢八景駅~神武寺だけになりました。

原口 悟 さんのコメント...

>ジモティーさん

現在の京浜急行本線の日ノ出町より南が「湘南電気鉄道」による開業区間で、昭和16年に京浜電気鉄道と合併して現在の京浜急行の前身になっています。確かに「湘南電気鉄道」当時の沿線では通称「湘南電車」と呼ばれていたそうです。湘南電気鉄道が開業にあたって準備した車が「デ1形」です。湘南電鉄と乗り入れ先の京浜電鉄は架線電圧が異なり、湘南電鉄の方が1500V、京浜電鉄の方は600Vで、デ1型及び京浜電鉄の同形車とともに複電圧車になっていました。京浜電鉄の方のその他の車ですが、600V専用のままだったようで、一旦上大岡まで600Vに降圧された時に上大岡まで運用された可能性はありますが、それよりも南は大東急の統合の頃までデ1形だけが走っていたはずです。このため、作文中の「カッコイイ電車」はデ1形で間違いないです。

模型の話ですがデハ230形は1980年代にはNゲージのレイルロードかシバサキ模型の真鍮キットがありました。ただ、当時16m級の電車用動力はどこのメーカーも出していなかったので、「KATOのDD13の動力を利用する」ことが指定されていました。TMSにこのキットの製作記事があったのですが、動力ユニットは別のアプローチをしていて、「GREENMAXの動力のダイキャストの枠の中間を切り落として長さを詰める」方法を取っていました。当時は駆動が「スプリングウォーム」だったので、動力ユニットの長さを変えることが割と容易だったために可能だった方法で、現在では不可能な方法です。

chitetsu さんのコメント...

三等急電さん
塩浜付近の様子は諸先輩方の記録を拝見すると魅力的な光景ですね。
三線区間は結構海外では見られるもの、日本では少なかったですね。
箱根登山電車の小田原乗り入れが無くなったのは合理的ではあるのでしょうが、結構ショックでした。

chitetsu さんのコメント...

原口さん
京浜急行もその頃は色々と模索をしている時代でしたね。
当初の構想通り、東横線が三崎口まで行っていたら、どういう歴史的な展開があったのでしょうか?

ジモティー さんのコメント...

>原口さん
詳細なご解説有難うございます。
それにしても複電圧車だったとは驚きですね。
当時最先端のメカを搭載した、斬新な車体デザインのハイテク電車で、
しかも横浜の市街地を高架線で走り抜けるシティートレインだったデ1形。
だからこそ「カッコイイ電車!」と、当時の沿線のお子ちゃま達を魅了したのでしょうね。
KQ230形も、生い立ちを知らなければただの古ぼけた電車で終わってしまいますが、
そんな旧型電車にも輝かしい過去があったわけですね。

>chitetsu さん
東横線が現KQ路線へ延伸する構想があったとは、今日まで全然知りませんでした。
いやはや何とも個人的には英国のEU離脱よりも衝撃的です。
でも、東横線の三崎口行きだとKQよりも時間が掛かりそうな気もしますが、
それとも逆に、東横線に快速特急が走っていたのでしょうか?

chitetsu さんのコメント...

ジモティーさん
横浜から日ノ出町に連絡線を設けて乗り入れる、という構想であったようです。
3500形は広軌に改軌できる仕様で製造されていたのもそのような構想の反映であったのかも知れません。
品川方は東京地下鉄道との乗り入れを計画し、共同出資で「京浜地下鉄道」なる会社を立ち上げたものの、五島慶太の株買い占めで計画は頓挫していますね。どちらの計画も五島慶太の影が見え隠れしていますね。