最初はあちらのブログ主(あちら、とはこちらです➡http://express-akanagi.blogspot.jp/)と知り合った場所の最寄り駅・明大前駅です。
16.6.7 明大前 |
懐かしい駅に久し振りにカメラを持って出掛けてみました。
やって来た電車は都営車も京王車も最近流行の走るンです系の車輌です。
正直、カメラを向けてもウキウキ感が皆無であります。
デハ5104、2017 80.4.19 明大前 |
こちらはウキウキ感満載時の明大前駅でのスナップです。
古そうな2010系が高性能車、新しそうな5100系が吊り掛け電車というのもアンバランスです。
始まったばかりの大学生活に少し余裕が出てきて、カメラを持って通学する頃になって、電車を降りた時に撮ったものです。
クハ7725,7709
16.6.7 明大前
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こちらは、今の同じ場所です。
当時は6、7輌編成が主流でしたが、今や編成が最低8輌、それ以外は10輌に伸びて停車位置が変わったので、36年前と同じタイミングで撮るのに結構難渋しました。
7000系、今の京王車では最古参でしょうか。
貫通扉の渡り板の有無がありますが、理由があるのか無いのか不思議です。
クハ8706 16.6.7 明大前 |
位置的にはこちらが同じ場所ですね。
架線柱右側の茶色い建物で同定することが出来ました。
当時はホーム上屋はここまでで、これより新宿方には上屋がありませんでした。
デハ2051 80.4.19 明大前 |
同じ場所で振り向くとこんな感じです。
写真は新宿へ向かう2000系電車。
アンバランスなほどの大目玉電車も今や懐かしいです。
クハ7755 16.6.7 明大前 |
ホームがずっこけている位置関係は今も昔も一緒ですが、背後の建物は特定できませんでした。
対した差は無いものの、何と無く昔の方が空が広くて大らかな感じがします。
クハ5710 92.6.25 明大前 |
時代は少し進んで、24年前です。
こちらは車体幅拡大タイプの5000系のクハ5710。
検査出場直後のようで、下回りも綺麗です。
八王子方に冷房車編成をつないで8輌編成になっています。
クハ8733 16.6.7 明大前 |
ほぼ同じ場所と思います。
京王線、立派になりましたね。
データイムの電車の本数も昔よりずいぶん多い気がします。
クハ1724 16.6.7 明大前 |
梅雨入りして鬱陶しい季節になって来ました。
今度は井の頭線の紫陽花を見に行きたいです。
18 件のコメント:
京王と小田急、
新宿発の2線がステンレス化失敗の権化ですな・・・・
36年前の京王線は本当に楽しかったですよね。
ワタクシの母方の祖父母が仙川だったので、祖父母に連れられて掘割から走る電車を見ていました。
あの頃の京王線はバラエティーに富んだ併結が盛んで15年前の琴電のようでした。
それが鉄道好きになったきっかけになりました。
今の京王線はつまらなくなりましたね。
捨て犬殿
まったく、残念な感じのステンレスの多発地帯になってしまいましたね。
7000系が恰好良く見えてきている自分です。
宵闇さん
当時は何でもありの京王線の名残が未だ残っていましたね。
2010系の隣のサハの床が木だったりした編成もあったと思います。
仙川の切通し、私も何度となく電車をここからよく眺めていました。
画一化された京王線はどこかよそよそしくなって来ました。
nakao 明大前は、我が家(永福町)のとなり。自分も60年近く、当たり前のように観てきた景色ですが、いつの間にか、変わってしまいましたね。明大前線路脇のジャーマンナンチャラnなるソーセージ屋の不気味な看板も今やなくなってしまいました。
再度のご紹介ありがとうございます!
またもまたもプレッシャーです(汗
それにしても懐かしい光景です。
明大前駅も随分とご無沙汰していますが、「大目玉2つ」のグリーン車や5000系は京王線を象徴するような存在でしたね。当時は目もくれなかった6000系も、特急で飛ばす姿は今となってはカッコ良かったと思います。
高校生の頃、よく代々木八幡→下北沢→明大前→新宿と回り道して帰りました。明大前の下りホームは階段の所が先頭でした。上りホームも10両化で踏切とくっついてしまいましたね。下(井の頭線)を走る電車が京王線に転用されたり、おもしろい時代だったけど、普通の乗客にしてみれば、当たり外れの差がありすぎでした。
中尾さん
当たり前に見ていた景色はいつの間にか変わってしまって驚くことがありますね。
線路沿いの学生時代食べに行ったお店もずいぶん変わってしまいました。
新busu-jun さん
しつこく宣伝しちゃいました。
頑張っていますね!
読者取られないようにこちらも頑張ります(笑)。
当時は見向きもしなかった6000系、確かに今になってみるとそれなりに恰好良かったですね。
後悔先にたたず、ですね。
モハメイドペーパーさん
学生時代の回り道通学・帰宅は楽しかったですね~。
カメラ持参でうろちょろした成果?が今役に立っています(笑)。
当時の京王線は玉石混交でしたね。
京王線に限らず、戦前戦後の車輌が最後の世代交代をする渦中でしたから、そんな時代だったのですね。
明大前駅は狭苦しい立体駅の通路や、駅前の狭さが私鉄らしくって、下北がああなちゃった今、割と好きです。
あれで電車さえ面白ければ・・・新5000系も何処かで見たような電車だし。
小型車を電装解除してカルダン車の付随車にしたり、吊り掛け車の電装品を5100系に流用し残った車体を改造して小型車を廃車にしたりなど、車両のやりくりには苦労した京王でした。
その分、台車の使いまわし、吊り掛け車とカルダン車との日常的な併結、改軌までした井の頭線車両の転用など趣味的に面白いものがありました。
しかし、6000系以降は趣味性が減って年々つまらなくなりました。
そういえば、1灯時代の電球を流用した2灯の大目玉電車は、近鉄にもいましたね。
PS.Wikipediaによれば、貫通扉の渡り板が無い7000系はコルゲートのない後期タイプで貫通扉の幌枠もないそうです。
競馬場線の前パン7000系2連ワンマン車は今、私の京王電車お好みランキングでは一押しです。(笑)
Cedarさん
ごちゃごちゃした乗換駅というのはどこか楽しいですね。
井の頭線もこの駅ぐらいしかその雰囲気が残った駅は無くなりましたね。
走るお電車はどうも今一つ楽しみが無いのが残念です。
三等急電さん
昔は結構台所事情が厳しかったようですね。
その分、どんな電車が来るか分からない楽しさがありました。
7000系の違いは製造時期でしたか。
前パンの2連は良いですね。
本線の増結で前パン側が前に出ないのが残念です。
36年前と申し候得者、小生小学生の頃にて候。
その砌、叔母が八王子に住まい居り候故、遊びに行く際には
よく京王線を利用致し候。
小生、その頃は両親と共に都内に住み居り候故、普通は
新宿から急行(叔母の家の最寄り駅はめじろ台にて候故)に
乗るのが相場と申す所に候得共、
既に鉄に目覚め居り候ところの小生、2010系狙い及び
優等列車を好まざる嗜好有之候故、各停に乗るという選択を
仕り候。
然しながら、2010系は少数派にてなかなか巡り合う事不叶、
5000系に巡り合い候てがっかり致せし思い出多く有之候。
なお、当時の小生は5100形がつりかけ駆動なること努々
存じ不候。今更ながら、鉄に有間敷無知の極みと慚愧の
至りにて候。
SATOKさん
うーむ、なかなか難しいですね~。
自分も通学で使う時は急行に乗らずに普通電車に乗っていました。
新宿方先頭で待っていると大抵5100系吊り掛け車か運が良いと2700系が来ました。
一時期はデハ5100形の各車のモーター音の違いが認識できるまでにお勉強しました(笑)。
こんばんは。
明大前駅での京王線の光景、懐かしい気持ちになりながら拝見致しました。
幼い頃に過ごした街と駅です。
5000系は今でもいいデザインだと感じます。アイボリーにレッドのラインも、スマートでした。
この沿線を離れ、時がだいぶ経ってから京王線を訪ねた時に、ピンク色のラインに変わり、ステンレス車ばかりになった様子を見て、あまりにも変わったことに驚きました。
列車の編成も長くなりましたし、本数も増えましたね。昼間の上り列車さえ混雑しているのを見ると、東京の市街地がどこまでも広がっていった期間だったのだと実感したのでした。
貴重なお写真、楽しませて頂きました。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
風旅記さん
幼い頃に見た私鉄沿線は懐かしいですよね。
私は阪急沿線でしたので結構変化が少ないですが、京王線はその後色も変われば編成からすっかり変わってしまいましたね。
今昔写真を撮りに久し振りに明大前駅に行った時、列車の頻度が昼間でも凄く高くなったのにびっくりしました。
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