この時は身延線、中央西線の旧型国電を見た後、AL車がばんばん走っていた名古屋鉄道を堪能してから高山線の夜行急行で北陸電車巡りに向かう・・・・
という旅程での旅行の途中で、その夜行列車までの時間つぶしで撮ったものです。
のりくら、時刻表 |
手元の時刻表(但し1976年3月版)で見ると、夜行急行列車・「のりくら」は名古屋発23:57で、富山には翌朝4:36着と富山に行くには好都合な列車でした。
富山では富山地鉄に乗り入れて立山に向かう「むろどう」を分割して、金沢には5:27着。
季節によってはその後、能登線の宇出津まで行っていたのですね。
改めて時刻表を眺めて、結構新鮮な驚きでした。
ただ、残念ながら肝心の「のりくら」のカットは一枚も残っていません。
ということで、湘南電車の画像です。
クハ86303 80.3.7 名古屋 |
雨のホームに停車中の中央西線の80系電車。
立派な鋼材組み立てのホーム上屋も本線の主要駅の貫禄を感じさせ、80系電車とも良く似合っていました。
クハ86303 80.3.7 名古屋 |
中央西線の80系電車の運用は基本中津川以東に限定されており、朝晩しか名古屋口に現れませんでした。
クハ86080 80.3.7 名古屋 |
左には関西線の客車列車も写っています。
右手に停車中の113系でさえ今や懐かしのお電車です。
クモニ83818 80.3.7 名古屋 |
80系に併結されて荷役中のクモニ83形。
左の113系はお客さんが乗って発車待ちですが、ドアが開いています。
この光景が分かる方も減っているかもしれません。
20 件のコメント:
クモニ83でも湘南色の800番代は異端ですね。塗分け線が前照灯を真っ二つにしているので、模型だと塗装のマスキングに苦労します。
80年に80系ですね。
この年に私は名古屋に赴任しました。
80系なんてまだいたかなぁって感じですが、朝晩だけですか。納得です。
駅自体はほとんど変わってないですね。
中線の9を挟んで7~10が中央線。11~13が関西線。今もそのままです。
車両はほとんど313になってしまいましたが。
モハメイドペーパーさん
800番台の湘南色、自分も少数派と思っていましたが、調べてみると広島などにも配置があったのですね。
模型の塗装時にはヘッドライトは後付けがおススメですね~。
シグ鉄さん
80年は既に東海道筋名古屋口からは引退後ですよね。
その頃赴任されたのですか。
私は大学生なりたてでした。
当時は今から見るとバラエティー豊富で楽しかったですね。
https://pbs.twimg.com/media/CmMGuOTUkAAnpWk.jpg:large
たまたま、田舎で発見しました。
まだまだガキでした。
急行「のりくら」は「よん・さん・とう」までは「ひだ」でしたが、特急に列車名を譲りこの名称になりました。
同時期に「しなの」「日本海」なども特急に列車名を譲りました。
クモニ83818は低屋根最終グループですね。
これ以降の狭小限界トンネル対応車はPS23を搭載した通常屋根の0番台に移行しました。
名古屋駅というと貨物列車の通過が印象に残っています。東京や大阪では見られない光景でした。
先日行ったときも同じでしたし、ホームの感じも昔の面影が残ってました。
あららぎさん
こんな切符が出ていたのですね。
引退直前だったこと、すっかり忘れていました。
でも、誰もまわりでカメラ向けている人なんていなかった気がします。
貴重な画像をありがとうございました。
三等急電さん
特急列車設定で名前を奪われた急行列車は結構ありましたね。
話は違いますが、エンジンが唸る気動車の夜行列車はやはりしんどいです。
Cedarさん
名古屋の駅に初めて降り立った時に、貨物列車がどんどん通過するのを見て驚いたのを思い出しました。
考えてみれば当然停車する用事はないのですが、こんな大きな駅を列車が通過するというのはやはり驚きでありました。
時代は少し違いますが私は逆に富山から夜行「のりくら」で美濃太田まで乗りました。車内は満員、煙草の煙もうもう、うるさい、外見ても山の中でな〜んにも見えない・・一睡もできませんでした、あの頃の夜汽車ではよくあるパターンですね
今となってはそれも懐かしいですが、効率のためとはいえ「風光明媚な高山線は昼間に乗るべきだった」とちょっと後悔もしてます
久しぶりに昔の時刻表引っ張り出して見てみました、ちてつさんの乗られた夜行「のりくら」とは深夜の飛騨小坂で交換したようです。
最近のは全く見ることがない時刻表、そんなこと調べるだけでも楽しい時間でした(笑)
深夜なのに結構細かい駅で客扱いしていたのですね。
国鉄が無駄に駅員を配置していた過去の遺産ですね。。
時刻表をぱっと見て気になるのはグリーン車を連結した835Dとか・・
急行の間合い運用なのでしょうが、解放Gにしないところが国鉄ですねぇ。
・・でも乗ってみたかった(^^)v
夜の幹線主要駅の貫禄満点のホームに佇む80系電車。
夜汽車のノスタルジーが漂ってきますね(80系の夜行列車は昭和30年代迄でしょうが)。
名古屋駅自体は何度も通り過ぎていますが、中学生の頃に「さくら」と「あさかぜ」で、
2回ほど夜の名古屋駅のホームに降り立った事があります。
当然お目当てはホームの「きしめん」でしたが、停車時間中によ~いドン!みたいな食べ方だったので、
残念ながら味は美味かったのかどうか、全然記憶にありません。
でも、そんな夜行列車のシーンも完全に過去のものとなってしまい、ため息しか出ません。
中央西線には、地元の京浜東北・根岸線から転属した103系に乗ってみたくて、
高校生の頃、多治見だったか高蔵寺だったかまで行った事があります。
往きが京浜東北線時代のままの水色の103系で、帰りが湘南色の111系でしたが、
111系は車端の壁面に【東京-平塚間禁煙】なんてシールが貼ってあり、
ビックリしたと言うか、見知らぬ土地で知り合いと出会ったような親しみを感じました。
京浜間で隣り合って走っていた車両同士が、遙々中央西線迄来て同じ線路を走っていることに、
何だか感慨深いものを感じたことを覚えています。
青春Mさん
高山線の夜行列車、乗っておられましたか~。
当時の列車は結構混んでいて足も延ばせないこともありましたね。
たまに昔の時刻表を眺めると、今とは別世界に浸れて楽しいです。
通りすがりの64さん
本当にこまめに止まっていますね。
今走っていたら、高山しか止まらない??
国鉄らしい部分が時刻表の隙間から見えてきますね。
ジモティーさん
私は大垣夜行で名古屋についたらさっそくきしめんを食べに行きましたが、個人的には何回食べてもあの麺は違和感が拭えませんでした。
中央西線には首都圏の車輌が歴代転用されていましたね。
車内で東京時代の痕跡を見るとちょっと悲しさも感じましたね。
すみません、再び投稿させていただきます。
エンジンが唸る気動車の夜行列車のことですが、急行なので冷房電源用を含めると全車2台エンジンでしょうから騒音・振動はかなり厳しかったことでしょう。
スハネフ14形に乗った時、キハほどではないと思いますが静寂性が劣り特急料金を返して欲しくなりました。
貨物列車の通過といえば、上野駅高架ホームで見かけたことがあり驚きました。
おそらく、秋葉原貨物駅へ行く列車と思われます。
三等急電さん
エンジン着いた車両の夜行列車はしんどいですね。
客車列車もエンジンの付いた車両・キハネフにあたると大外れでガックリしました。
上野駅もそういえば数は少ないものの、そんな列車がありましたね。
また再レスで失礼します。
キハネフは、特に停車中には確かにエンジン音が気になりましたが、
高速走行すると意外に乗り心地が良かったんですよね。
EF66牽引になって、以前よりもガンガン飛ばすようになった九州ブルトレは、
東海道区間と比較して線路状態が余り良くない山陽区間での110km/h走行時や、
90km/h以上でのカーブの進入時など、相対的に重心が高いオハネの場合、
時々横方向にドカーンと衝撃というか、大きな揺れを感じる事がありました。
しかし、重たいエンジンを床下に装備して相対的に重心が低いキハネフには、
そのような大きな揺れは無く、衝撃で目を覚ますことも無かったです。
これが唯一のキハネフの利点だったのですが、案外知られていませんでした。
ジモティーさん
キハネフ、そう言う利点もあったのですか。。。
自分は停車中のあの音と振動がどうにも落ち着かなかった記憶が濃厚でした。
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