片原町は、高松城のお堀を埋めた時に町の片方が原っぱだったことからこの名前がついたといわれていますが、辺りは江戸時代から続く歴史ある商店街です。
戦前の片原町周辺には、玉藻温泉や中座、玉藻座などの娯楽施設が立ち並び、昭和初めには高松三越がオープンするなど、四国の玄関・高松の中心部として栄えてきました。
14.12.22 片原町 |
片原町駅はそんな街並みに溶け込むように建っています。
14.12.22 片原町 |
電車は片原町の商店街を突っ切るように走ります。
00.5.15 片原町 |
片原町には創業100年を越える老舗もあり、代々この町で商いをしてきた昔ながらの専門店が数多く残っています。
14.3.22 片原町 |
15.3.15 片原町付近 |
飲み屋街も結構な昭和な雰囲気です。
1088 14.12.23 片原町 |
片原町駅を瓦町駅方向に望むと、破たんしたそごうの後を引き継いだ天満屋のサインの残る瓦町駅ビルが見えます。
この年の3月で天満屋は閉店しています。
33 00.5.15 片原町 |
2000年の様子です。
そんなにぎやかな街に古い電車が当たり前にやって来るのがちょっと不思議に思えて、お気に入りの場所になりました。
鉄道好きのよそ者はそう見えましたが・・・。
当時の琴電は利用者から決して良い評価は得られていませんでした。
「民事再生法適用前のサービスはことでんバスとともにお世辞にも良いとはいえず、バス運転手や車掌、駅員の乗客に対する横柄な態度も問題視されていた。そのため民事再生法適用時も「身から出た錆」「鉄道は要るが琴電は要らない」など住民は琴電擁護や支援に消極的だった(後述するマスコットキャラクター「ことちゃん」がイルカになった理由は、この時に「琴電は要るか、要らないか」と話し合ったことに由来する)。」
ウィキペディアから引用
67 00.5.15 片原町 |
当時、ここでしか見ることが出来なくなっていた風景です。
67 00.5.15 片原町 |
複線の線路を古い電車がひっきりなしにやって来るのも魅力。
315,34 00.5.15 片原町 |
昭和初期の電車の顔合わせ。
33 00.5.15 片原町 |
ちょっと場末感のある雰囲気も良いです。
34 00.5.15 片原町 |
ことでんの経営を傾かせたそごうのネオンが、どこかまぶしい2000年のある日の夕方の記憶です。
そごうグループが経営破綻したのはこの2か月後の7月12日 。
そしてコトデンそごう、更に琴電本体が高松地裁に民事再生法の適用を申請したのはどちらも翌年の2001年の1月と12月のことでした。
片原町。
返信削除いつもここは帰る場所でもあります。
行きつけの飲み屋がここあり、高松に帰る都度お世話になっていたりします。
駅前にあった銭湯や、兵庫町の皇帝という喫茶店、うどん市場やら。
ここに来るといつも日ノ出町や黄金町辺りにいる錯覚を覚えます。
因みに行きつけの飲み屋のママさん方には琴電はすごい嫌われていました。
98年訪問時にコトデンそごうを冷やかしたことがありますが、いかにもバブリーな高級店ばかりの割には人影はまばら、こりゃ長続きしないなと感じたものでした。
返信削除片原町付近は短い踏切をいくつも渡るところが絵になりますね。
しかし、琴電がここまで地元の嫌われ者になっていたとは知りませんでした。
特に横柄な印象はなかったですが・・・毎日の利用者は肌で感じてたんですかね。
何度も訪問している路線なだけに、ちょっと寂しい感じがします。
片原町の線路沿いの飲み屋さんに入ったことがあります。
返信削除あの辺も一時高架化の話がありましたが立ち消えたようで・・
鉄的にはほっとしてますが、地元ではどう思われてるやら。
宵闇さんは香川が故郷なのですね。
返信削除片原町はどこか懐かしい雰囲気を持つ街ですね。
自分も出掛けるたびにこの辺に立ち寄ってしまいます。
地元で琴電が評判良くないのは残念ですね。
新Busu-jinさん
返信削除瓦町の再開発はどうにも違和感がありますね。
いいようにやられてしまったのかも知れません。
志度線の線路を分断したのはどう考えても失策でしょう。
乗客からだってあれは不評でしょうね。
自分も横柄な印象はこれまで持ったことが無いのですが、ちょっと残念な話です。
Cedarさん
返信削除あの辺りの線路沿いの飲み屋さんは味わい深そうですね。
高架化なんてしなくて良かったですね~。
琴電、いい感じですね。
返信削除四国には瀬戸大橋開業前に何度か行ったことがありますが、何故か琴電は意識の外でした。
実は船ファンなので、フェリーや連絡船に乗り継いで、本州⇔四国間をピンボールみたいに、
ジグザグに西へ移動し、四国側でも本州側でも、時間的余裕が無い場合のみ、
予讃線や山陽線で次の港にワープするという感じだったのと、当時の四国の国鉄・JRが、
当時はディーゼル車のみで変わり映えがしなかったので、四国では鉄分が殆ど発揮されませんでした。
しかも瀬戸大橋開業前の瀬戸内航路は、今とは違って超活気があったので、
高松港や今治港は出入港船が引きを切らず、港に釘付け状態で行動範囲も周辺に限られていました。
それにしても、ChitetsuさんがUPする写真は、車両のみに固執することなく、
その地域の鉄道のある風景といった写真が多いので、その街の雰囲気や文化、
人の暮らしの温もりみたいなものさえ漂ってくるようで、見るとほっこりします。
今回の琴電も旧車がパステルカラーみたいな感じで、いい感じに暮れなずむ町並みと調和していて、
まるでノスタルジックなイラストを見てるようです。この沿線に行ったことも無いのに、
強い郷愁を感じ、今更ながら、琴電の沿線を訪ねなかったことを後悔しています。
今から25年前の「うどん県」初訪問のときに、高松市内で泊まったホテルの最寄り駅が琴電片原町駅でした。ホテルが繁華街とは反対側の、踏切を渡った東側にあったため、そこに飲み屋街があったとは知りませんでしたが、ホテルのほうに向かって歩いていると、何やら妖しげな建物もあって、もしかして昔の花街でもあったような雰囲気にも見受けられたのですが、いかがなものでしょうか?
返信削除当時の琴電は、まさに「動く電車の博物館」といった感じで、大正生まれの生え抜き電車やら、元京急の230型やら、見ていて飽きが来なかったものでしたが、訪れたときが夏休みだったこともあり、既に冷房車が大半になっていた琴平線はともかく、志度線や長尾線を使っている通勤・通学客にとってはそれこそ地獄の苦しみ、「早く新車に入れ替えてくれ~」と切ない気持ちだったのでしょうか(これは「玉電」でも同じだったでしょうが)。
いまもこんな風情が残ってるのですかー!?
返信削除こないだ行った気になってましたがよく数えたら最後に行ってから33年経ってました(糞爆)。
おっちゃん、高松、一緒に飲みにイコ(核爆)!
ジモティーさん
返信削除宇高連絡船時代の高松は活気がありましたね。
いまはすっかり綺麗になっちゃって、その分寂しくなってしまいました。
片原町付近はどこか下町風の風情が気に入りました。
特に夕方の暮れなずむ雰囲気が大変気に入り、暗くなるまで撮り続けました。
伊豆之国さん
返信削除高松で宿泊する場所は駅前かこの辺りですね。
最初は駅前のうす汚いホテルに泊まりましたが、途中からこの辺りに変更しました。
おっしゃるようにこの付近は花街っぽい雰囲気がありますね。
今回調べてみましたが、その点は今ひとつわかりませんでした。
電車好きには魅力的な琴電も、利用者にとっては堪らなかったのでしょうね。
うどん犬殿
返信削除おっちゃーーん
ということは、瀬戸大橋渡ってないんですか嗚呼!
うどん県、行きたいです!
春闘花盛りの時代、ストライキといえば、コトデン、岡山電気軌道^^朝のニュースでさわいでおりました。まあこれは別としても、岡山市民で小学から高校にかけて「乗り鉄」として訪れたコトデン!一部というか大半というか?駅員の態度は一部の国鉄職員を超えた素晴らしい^^悪態でございました。電車の古さや非冷房よりもこれにつきるとおもいます。仏生山のおじさんたちはやさしかったですがね。おまけに系列の「コトデンバス」「高松バス」!塗装は好きでしたが、バスは「おんぼろ」とても汚い!いくら1970年代とはいえ、あんな汚いバスに乗ったのは高松だけの体験でした。本州の中古バスを使っていたそうですが。岡山の「宇野バス」みたいにいつでも新車状態の会社を知っていた私は驚きでした。もっとも、私がよく乗っていた「両備バス」は観光バス改造の2ドアが大半でしたが。宇野線も茶色の旧国と80系でした。はるか昔の思い出です。
返信削除軽便行者さん
返信削除なるほど、そう言えばストライキ結構やっていましたね。
自分はたまたまそういう態度の駅員に遭遇しなかっただけで、やはり横柄な対応は実態としてあったのですね。
地元で評判が悪い理由も頷けますね。
バスも確かに一世代前の古いバス多かったですね。
見るぶんには面白いですが、利用者には堪りませんね。
鉄道ネタではないですが、つい先日、高松を初めて訪問しchitesu殿が写されている老舗の料亭に僕も目を奪われ、不審者と思われない程度にその辺りをウロウロしてました。
返信削除飲み屋街も規模が大きいし、高松は呑んべえに優しい街ですね。
道草人生さん
返信削除老舗の料亭のあたりはちょっと近づき難い雰囲気ありますね。
入ってみたい飲み屋、結構ありますね〜。