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2016年3月20日日曜日

鶴見線 国道

1979年、鶴見線にも新性能化の波が訪れてきました。
当時の自分の感覚では南武線が終わって一段落で、もう少し後になるのかと思っていましたが、新性能化の波は思った以上に早く訪れました。

クモハ73289 79.8.5 国道

最晩年までロクサン形の面影を色濃く残して活躍したクモハ73形最後の1輌、クモハ73289号です。
この車輌以外は近代化改造車などに置き換えられていた中で、この1輌だけがなぜ残ったのでしょうか?


クモハ73517 79.5.9 国道

経年の浅い近代化改造車の多くが南武線から転属してきました。
鶴見線では労働問題があったのか、作業の均一化のためか方向幕を使わずにわざわざサボ受けを新設して板サボ掲示、という退化したサービスを行なうのも国鉄ならでは?


クモハ73509 79.12.21 国道

国道から国道駅を望みます。
当時は邪魔にしか思わなかった自動車も今となっては懐かしいです。

クハ79392 79.12.21 国道

クモハが近代化改造車にほぼ代替されたのに対してクハには3段窓の電車が最後まで結構残っていました。

クハ79930 79.12.21 東神奈川ー横浜

101系への置き換えは既に始まっていました。
同じ日、京浜東北線を大船へ向かった仲間もいました。
この時の廃車回送は3輌編成2本の6輌で、手前の編成中間にはぶどう色の103系ことモハ72970も組み込まれていました。
改造は1972年ですから、新造車体は8年で廃棄されたことになります。
試作車とは言え薄幸な電車でした。


クモハ73511 79.12.21 東神奈川ー横浜

振り向いてクモハ73形。
撮っている場所は現在横須賀線が走っている場所で、当時は別線化工事中で線路が無かったので、こんな位置から撮らせてもらえました。
今となっては信じられないです。


13 件のコメント:

tobo さんのコメント...

私も鶴見線でモハ72970目撃しましたが、登場当時は車体はオレンジだったような気がしますがどうだったでしょうか?。(記憶ちがいかもしれませんが)73系の足回りだけ使った62系といい国鉄末期は思いっきり金欠だったのでしょうね。

chitetsu さんのコメント...

toboさん
おっしゃるように登場時はオレンジ色で出場しています。
聞くところによるとその車体形状からオレンジ色に間違えて塗ったようで、次の検査前にぶどう色に塗り変えられています。
この時代は大手私鉄のほうが車体更新を一生懸命やっていましたので、どちらかといえばそのまねをしたとも言えるかもしれません。

三等急電 さんのコメント...

南武線、横浜線に続いて鶴見線とあっという間に首都圏から73系が消えていきました。
置き換えが迫った頃に訪れましたが、希少なロクサン形由来のクモハ73形が来ると嬉しかったものでした。
廃車回送列車は全て全金属車のようですね。
オレンジ色のモハ72は一度だけ見たことがありました。
違和感がありましたが、当時は103系も転属の関係で混色編成が結構あり、珍編成という感覚はなかったような気がします。

12号線 さんのコメント...

中原では73系でも専用幕制作しましたが、弁天橋では表示するコマ数が少ないまたは17m車以来使っていた板を利用したい意図であえてサボ受けを用意したのかもしれません。

モハ72970ですが芝生様の撮影で、キャンバス止めまでオレンジ塗られた様子が判別できます。
http://kokuden.net/mc53/sub.htm/sub72.htm/sub72-accommo.top/sub72-accommo-72/sub72-accommo-72.htm
chitetsuさん仰せの通り、大井(?)入場後も一度はオレンジ保たれた事になりましょうか。

ジモティー さんのコメント...

これです、この63タイプのクモハ73が幼児の頃は大好きだったんですよ。
懐中電灯を両手で握りしめて頭の上に載せ、電車ごっこをやったもんです。
それにしても、前面窓のHゴム化してない最もクラシックな顔が最後まで残るなんて・・・。
国鉄も開き直って、どーせ残すなら一番古いヤツや!!と思ったのか、
それとも、南鉄道管理局の幹部に隠れクモハ73ファンが居たのか、
或いはこの63タイプで鉄ヲタを鶴見線に誘導し、売り上げを上げようと企んだのか?

それにしても当時、このクモハ73が残ってると知ってたら乗りに行ったと思いますが、
鶴見線は、公害地帯をノロノロ走る煤けた電車と言うマイナスイメージが先に立ち、
子供の頃から、積極的な乗りに行きたくなるような良いイメージが無かったんですよね。

あと、茶色いニセモハ103の方が先に引退→解体と言うのも納得が行きません。
どーせならこのクモハ73‐289の次位に挟み、反対側を920番台のクハ79で固めれば、
73系の歴史編成みたいで、鶴見線の客寄せパンダになったのではと思いますが。
或いは電装解除や台車交換して、ニセモハ103→サハ103化することも出来なかったんですかね?
当時、中央線にサハ101改造のニセサハ103も居たことですし、8年で歯医者とは勿体無いです。

chitetsu さんのコメント...

三等急電さん
鶴見線はもう少し引退が先なのかと思っていましたら、あっさり行きましたね。
確かにあの当時は混色編成があちこちで見られた時代でした。

chitetsu さんのコメント...

12号線さん
方向幕作るのとサボ受け付けるのとではサボ受け付ける方が手間な気がします。
自分が想像するには労働問題だったのではないかと思うのですがいかがでしょうか?

chitetsu さんのコメント...

ジモティーさん
リクエストの画像、こんなので良かったでしょうか?
この後の970番台のことを考えるとサハ103化という選択肢もあったかも知れませんね。
両数が1輌だったのが命取りになったのでしょうね。

ジモティー さんのコメント...

そうです。このニセモハ103です。
ChitetsuさんがUPしてくれたおかげで、中学生の時以来お目かかることができました。
これで長年記憶の隅にあったモヤモヤも解消です。有難うございました。

それにしても、先頭のクハ79‐930と2両目のニセモハ103のペアはよく似合いますね。
920番台は綺麗なので、何気に屋根にクーラーのおカマを載せても違和感無いと思います。

chitetsu さんのコメント...

ジモティーさん
モヤモヤ解消されて、何よりです(笑)。
全金のクハと編成されるとあまり違和感無いですね。
確かにクーラー乗ってもそんなに変じゃないかも。

原口 悟 さんのコメント...

一番上の写真のクモハ73289ですが、昭和47年の73系化時点のメンバーではなく、末期に転入してきました。
鶴見線の73系は基本的に3両編成12両分が所属していたのですが、昭和47年時点ではクモハ73029が全金車だっただけで、残り11両は原型車でした。昭和50年頃から500番台が転入して、全金車の割合が高くなったのですが、この動きの中でクモハ73289は昭和52年度に津田沼電車区から転入しました。当時も全金車への交替の中で原型車が転入したことが話題になったのですが、この理由として考えられているのが「手ブレーキハンドルを円形のものに交換していた」ことが挙げられています。旧型国電の手ブレーキハンドルは「舟こぎ式」ですが、扱いに熟練を要するうえに、慣れない人が使うと怪我をすることがあったため、一部の車で新性能車と同じ円形のハンドルに交換されました。クモハ73289はこの「手ブレーキハンドルの交換」を行っていたことが記録に残っており、写真でも中央窓の下にこのハンドルらしいものが見えます。
鶴見線では他にモハ72、クハ79形も全金車またはアコモA更新車(アルミサッシ車)へ交替しているのですが、クハ79形はアコモA更新車が無かった津田沼電車区から3段窓車が転入しており、モハ72500台はアルミサッシ車へ統一(津田沼電車区からの転入は920番台のみ)されたのに対して対照をなしていました。

末期の全金車化のなかで原型車が転入した例としては御殿場線のクモハ73064があります。御殿場線では電化時はクモハ73型は原型車ばかりでしたが、47-3改正で京阪神緩行線から全金車が大挙転入し、昭和49年に最後まで残った原型車のクモハ73249が置き換えられてクモハ73型は全金車に統一されました。この後、クモハ73150が情態不良で運用を外れたらしく、昭和51年度に津田沼電車区からクモハ73064が転入しました。この転入は「ATSがS型だった」のが理由のようで、首都圏の国電区間ではATSがB型で、偶数向きの全金車にS型装備の車がいなかったため、房総ローカル用でATS-Sを使っていた車から候補車が選ばれたと考えられます。

モハ72970ですが、アコモ改造車の当初の投入先として武蔵野線が考えられていたことが朱色塗装の原因の可能性があります。RP誌では首都圏での大規模な新線建設計画として武蔵野線をかなり早い段階(昭和43年頃から?)から紹介しており、その中で昭和46年か47年ごろの記事で、「旅客輸送計画」として72系アコモ改造車の投入の計画の記載があります。実際には72系ではなく、101系をA-A基準に更新して投入されたわけですが、モハ72970の改造は、この「武蔵野線への72系アコモ改造車投入計画」の記事が出た時と同時期なので、朱色塗装は武蔵野線投入計画が頭にあったため、ということが考えられます。

原口 悟 さんのコメント...

クモハ73289ですが、昭和52年度に津田沼電車区から転入してきました。
鶴見線のクモハ73型は昭和47年の73系化の時はクモハ73029が全金車だっただけで、他の車は全て原型車でした、その後、昭和50年から500, 600番台が転入して原型車を置き換えていくのですが、その流れの中でクモハ73289は転入しています。
クモハ73289がなぜ転入したか、なのですが、「手ブレーキハンドルを新型に交換していたから」という理由が考えられます。旧型国電の手ブレーキハンドルは「舟こぎ式」なのですが、操作に熟練を要する上に、不慣れな者が使うと傷害事故を起こしやすいために新性能車と同じ円形のハンドルに取り換えた車がいます。クモハ73289はこの「手ブレーキハンドルの交換」の記録が残っている車で、写真でも中央窓下に円形のハンドルが見えます。

モハ72970の「朱色」ですが、当初武蔵野線への投入が構想されていたことを反映する可能性があります。RP誌では首都圏の大規模な新線プロジェクトとして武蔵野線を計画時からレポートしており、年報のような形で細かく記事にしているのですが、その中の昭和47年ごろの記事の中に旅客輸送計画として「72系の車体を更新して投入」という記載があります。この記事が出たころと、モハ72970が改造された時期が近いため、「アコモ改造車の武蔵野線投入計画」が影響を及ぼしている可能性があります。これに対して、実際には「101系をA-A基準に更新して投入する」ことに変更されたことになります。

chitetsu さんのコメント...

原口さん
コメントありがとうございます。
ロクサンタイプが最後で転入した理由は不思議に思っていましたが、そう言うことだったのですね。
御殿場線の064号の件もなるほどです。
スッキリしました!
モハ72970の件もそう言う構想があったとは知りませんでした。
もし実現していたら吊り掛け電車の高速運転を楽しめたのでしょうね。
見てみたかったです。