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2016年3月11日金曜日

あれから5年。

あれから5年経ってしまいました。
時の流れは早いですね。

本日は東北勤務時代に何度となく行った気仙沼線の元気な頃を回顧してみたいと思います。


気仙沼線に出掛ける目的は当時既に数を相当減らしていたキハ58系列が運用に就く快速南三陸を撮るのが目的で、半年に一回ある仙台での会議の翌日の土曜日を使って訪問したものです。
快速南三陸は仙台と気仙沼を結ぶ快速列車で、午前と午後にそれぞれ1往復ずつ運行されていました。ビジネス列車的な性格で、快速列車ながら曜日によっては指定席があり、実質的に急行列車に近いものでした。
指定席にはアコモ改造をしたキハ58系が充当される関係で、確実にキハ58系を撮れる数少ない列車でありました。
列車はキハ58系列の3連か4連が基本でしたが、多客時には5輌繋ぐ事もありました。
しかしながら、次第にキハ58系列は淘汰され出して、キハ40が編成に入り出して最悪の場合全車キハ40などというスカも発生するようになっていました。


99.5.21 本吉ー陸前小泉

気仙沼線は開業が遅いので、沿線の鉄道施設は立派で、このような雄大なコンクリート橋も存在しました。
写真は津谷川橋梁を渡る午前中の上り列車で、綺麗なキハ58系列の4連でやって来ました。

ここはさすがに流されていないだろうと思っていたら、この立派な津谷川橋梁のPC桁も橋脚もろとも無残に流されてしまいました。
土木学会調査報告➡http://committees.jsce.or.jp/2011quake/system/files/ouchi_110513repo.pdf

99.5.21 本吉ー陸前小泉

上記列車、振り向いてもう一カット。

99.5.20 清水浜ー志津川

通常の気仙沼線普通列車。

00.7.14 陸前戸倉ー志津川

南三陸編成は、時としてこのような普通列車にも使われました。

00.7.14 陸前戸倉ー陸前横山

こちらはその折り返し普通列車。


00.7.14 柳津ー陸前横山

こちらは、気仙沼からやって来た午前中の上り快速南三陸・仙台行きです。
4両編成が通常のこの列車、この日は3輌編成やって来ました。

00.7.14 柳津ー陸前横山

こちらは下りの快速南三陸。

99.5.20 大谷海岸ー小金沢

午後の上り快速 南三陸は通常3輌編成でした。

99.5.20 大谷海岸ー小金沢


99.5.20 大谷海岸ー小金沢

私が最後に見たのは2002年の春。
そのあとは東北から離れてしまったので、この後の様子は知りません。
キハ58系列をはじめとした一般形気動車での運用は、最終的には2007年を持ってキハ110に置き換えられ、震災当日まで運行されていました。


4 件のコメント:

青春M さんのコメント...

おだやかな景色見てると、なんで・・・って気がします
元の姿にとただ祈ることしかできません
私は国鉄色バカですが、キハ58、この色もいいですね、キレイです

chitetsu さんのコメント...

青春Mさん
本当に穏やかで良い景色でした。
自然が牙をむくというのは本当に怖いですね。
JRになってからの塗装はどうも好きになれないのが多かったですが、この色は見慣れてくると結構良いですよ。

ジモティー さんのコメント...

三陸方面の東北線と言えば、昔途中で解結を繰り返し、散り散りバラバラになって終着を目指す、
6神合体ゴッドマーズみたいな多層立てのディーゼル急行が確かありましたよね。
小学生の頃に時刻表の列車編成欄で初めて見て、驚いた記憶があります。

中学生の頃、もう恐らく最後と言われていた寄せ集め客車の東北臨時夜行に乗って一関まで行き、
朝のディーゼル鈍行で気仙沼を目指したことがあります。
お金が無かったので夜行日帰りでしたが、折角行った三陸3大港町の気仙沼で、
何故かカツ丼食って帰って来た思い出があります。
ガキだったからしょうがないんですが、せめて海鮮丼か刺身定食にすればよかったものを・・・

当時は国鉄時代だったので、文字どうり国鉄色のキハ58やキハ20系列の宝庫でしたが
(ていうか、それしかなかった)、このアイボリーに緑の濃淡のラインのカラーリング、
オリジナルの国鉄色よりもキハ58には似合ってるような気がします。

被災地の完全な復興をお祈りします。

chitetsu さんのコメント...

ジモティーさん
コメントしずらい記事にコメント頂き、ありがとうございます。

多層建ての急行列車は全国的に走っていましたね。
特に東北はそういう列車が多かった気がします。
大船渡線は強引な我田引鉄で有名な路線で時間が掛かりましたね。
気仙沼は漁港が本当に活気がありましたね。
しかし、自分も折角の海鮮料理は食べた記憶がありません。

元の姿に少しでも戻れる日が来ることを祈らずにいられません。