地元の電車といえば、西武電車。
そして、安直に撮れるのは通学ルートに近いところにあった踏切ということになります。
本日はそんな高校生時代に撮影したお粗末な西武線の赤電の写真をどうぞ。
クモハ361 78.6.14 中村橋ー富士見台 |
撮影場所は西武池袋線の中村橋と富士見台の間にあった人と自転車しか通れない踏切です。
初夏の朝の下り電車を一応「バリ順」で・・・撮っております。
最初にやって来たのは、クモハ351形。
既に、仲間の多くは支線に振り向けられており、本線運用末期の姿です。
クモハ507 78.6.14 中村橋ー富士見台 |
次は351形の進化形・501系、窓を全開にしてやって来ました。
今はこのような全開する電車は希少ですね。
クハ1449 78.6.14 中村橋ー富士見台 |
次は最古参電車のクハ1411形。
この頃は元気いっぱい走っていました。
クハ1467 78.6.14 中村橋ー富士見台 |
最後は光漏れしてしまったクハ1467。
光漏れなんていう失敗もデジカメ世代の人には何を言っているのかわからんでしょうね。
13 件のコメント:
おはようございます。
今や冷房付きの電車が主流ですが、非冷房車両の窓全開で扇風機がガンガンに回るのもそれはさわやかだった思い出があります。
晩年は多摩湖線に閉じ込められていた351系も本線系統でガンガンに飛ばし捲っていたとは感動的ですね。
フルノッチ全開のMt15モーター音、今聴いたら恐らく涙が止まらないでしょう。
この撮影の数年前、1年ほど所沢に住んで池袋線を利用していました。
351の編成が池袋寄りに連結されると、池袋での扉位置がずれ、整列乗車が
大混乱になるのを何度か経験しています。
宵闇さん
ラッシュ時や雨が降った時は堪りませんが、窓全開で気持ち良い風が吹いている時も結構ありましたね。吊り掛け電車時代の西武線はスピードが今以上に出ず、すぐにノッチオフしてダラダラ走って早めのブレーキ扱いが普通でした。なので残念ながらなかなかフルノッチの爆走が経験できず、消化不良にいつもなっていましたよ。
モハメイドペーパーさん
確かに池袋方に17M車が入ると乗車位置ズッコケますね。
それで飯能方にくっつく事が多かったのですね。
チャリで近所の踏切へ好きな電車を撮りに・・・私ももちろん行きました、懐かしいです
光線引きまで懐かしいです(爆)、なんなんでしょうねアレ
TR11を履く車両は長軸なのが見て取れますね。いにしえの標準軌構想が後々まで残った証でしょう。
ところで、逆に短軸のTR11は存在したのでしょうか?
青春Mさん
Mさんはチャリで月見山付近だったのでしょうか?
学生時代によく出掛けた所はやはり懐かしいですね。
この場所は高架複々線化で面影は全く無くなってしまいました。
12号線さん
長軸の台車は13mmの模型にすると凄く印象的な姿になりますね。
短軸のはあったのでしょうか?
西武池袋線の赤電は83年春に運行終了したので、その5年前ですね。
351系以降の西武オリジナルの赤電が揃っていた最後の時期、思えばいい時代でした。
この頃は全ての先頭車が電気連結器付でいろいろな形式を連結するのが西武電車の特徴でしたが、今では電気連結器付は2000系と(10連固定編成でない)スマイル電車だけになり異形式の併結もなくなりました。
先頭が西を向く下り電車を「バリ順」で撮れるのは、朝ではなくの夕方(6時頃かな?)だと思われます。
夏至近くの日の長い時期限定の写真ですね。
連続投稿失礼いたします。
短軸のTR11はなかったと思われます。
暖房車マヌ34形用にTR11を短軸改造しましたものはTR44となっています。
三等急電さん
あの頃は百鬼夜行で楽しかったです。
今は編成バリエーションも少なくなって電気連結器もあまり意味が無くなりつつあります。
そう言えば、下りが順光は夕方でしたね。
もう、すっかり忘れてしまっていますね。
当時は旧性能が準急、急行を担い、
101は各停仕業がほとんどでしたね〜
富士見台〜石神井公園間(一番速度が乗る場所)で
フルノッチの吊り掛け音が懐かしいですね〜(^^)
松戸車輛Saka-jさん
加減速の悪い吊り掛け車は優等列車運用というのは他の私鉄でも多く存在しましたね。
富士見台から石神井公園間は坂もあって都区内区間では結構飛ばしていましたね。
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