古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2015年6月17日水曜日

一畑電車 大和紡前

出雲市から一畑電車でひと駅目、大和紡前駅は山陰本線と並走しているところにあります。
国鉄と接続する駅から国鉄線としばらく併走してから分かれてゆくケースは全国的に散見され、いかにもローカル私鉄らしい小さい駅があったりします。
同じような例は、越後交通栃尾線や今はJR身延線になったものの前身の富士身延鉄道の金手などもそのような例と言えます。

駅舎正面 
92.11.13 大和紡前


駅舎正面です。



駅舎ホーム側 
92.11.13 大和紡前


駅舎は山陰線と並行したホーム上にあり、入り口側にLの字型に広がる階段が良い雰囲気を出しています。

92.11.13 大和紡前

駅前には雰囲気のある建物が建っていました。
やはり紡績関係の建物と思われます。

デハ82 92.11.13 大和紡前ー大津町

山陰本線と並走する区間を走るデハ82。
まるで複線区間のように見えます。

キハ181-30 92.11.13 大和紡前

大和紡駅で待っていたら山陰本線の特急、くにびきが通過して行きました。

12 件のコメント:

モハメイドペーパー さんのコメント...

 出ましたね、「くにびき」。数ある特急の中でも一番マイナーな列車じゃないかな。

chitetsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
この当時は3連の特急なんて、と思って見送りましたが、今や2連になっちゃいましたね。
特急とは思えませんね。

宵闇 さんのコメント...

西武電車全盛期の頃のバタデンに乗れたなんて羨ましいです。 ワタクシは何時かは行こう行こうなんて思っていましたが、いざ行ったのはデハ1とデハニ50以外はすべて置き換わった後でした。 デハ60もありましたが、側線に押し込められて乗る事は叶いませんでした。
MT15モーターの唸りを聞きながら宍道湖畔を乗ってみたかったです。

三等急電 さんのコメント...

駅も紡績会社もいい雰囲気ですね。
駅は改称改造されてしまったようで残念です。
ところで、接続駅から国鉄線としばらく併走してから分かれてゆくケースには、関東の大手私鉄でも見られますね。
東上線の北池袋や相鉄線の平沼橋と西横浜などがあります。
一方、私鉄側に駅のない新大久保のようなケースも見られます。

伊豆之国 さんのコメント...

一畑電車には、以前に書き込んだ萩や、津和野・秋吉台・山口などにも寄っている、昭和最後の夏休みの山陰西部の旅で、出雲大社にお参りした帰りに出雲大社前から乗り、川跡で乗り継いで松江温泉まで乗り通しています。行きは出雲市から今はなき大社線で、今も保存されている大社駅からバスに乗ったため、結局写真に出ている川跡と出雲市の間は乗り残しになったのでした。
当時の一畑電車は、まさに吊り掛け電車の天国で、大社前から乗ったのは1桁ナンバーの車両(たぶん「3号」)、とにかく恐ろしいくらい揺れたのが印象に残っています。川跡で乗り換えたのは70型で、宍道湖の景色に見とれていたのでした。
山陰線と一畑電車が平行区間に入るところにある踏切には、一畑電車が通るときには「電車」、JRの列車が通るときは電車特急でも「汽車」の表示が出てきて、「踏切マニア」には超有名な「聖地」だったらしく、"You Tube"の動画のリクエストが何と500万回を超えるという「超人気動画」だったそうですが、残念なことに昨年の秋ごろに道路の拡張工事で警報機が取り替えられてしまい、表示も「一畑」「JR」と平凡?になっているようです。

chitetsu さんのコメント...

宵闇さん
おかげさまで西武の電車が入線する前からの三世代の電車を見ることができました。
年齢から来る見れた、見れなかったというものは、どの世代にも順番にやって来る想いですね。

chitetsu さんのコメント...

元・いきもの部長さん
私鉄のターミナルから次の駅というのは小振りで面白い駅が多いですね。
東上線の北池袋もそう言えば独特の雰囲気がありました。

chitetsu さんのコメント...

伊豆之国さん
国鉄大社線があった時代は、このパターンになってしまい易いですね。
どっちを取るかは悩ましいですね。
踏切の件、表記に矛盾があっても、一般的にはわかり易いのでしょうね。
今は地方でも汽車という人は減って、電車と呼ぶ人が増えているようですね。

一畑駅舎マスター新busu-jun さんのコメント...

お久しぶりでございます。

大和紡前は、出雲市から電車に乗り込んでヤレヤレ・・・などと息ついている間に気付かぬまま通過してしまう駅でした。
昭和57年頃に無人化されたそうですが、まだ立派な駅舎が残っていたんですね。
当線全駅巡りのとき、ここだけ撮り逃がしました。

駅前にもこんなスゴイ建物があったとは・・・
「出雲今市洋裁女学校」と読めるんですが、大和紡関係者が経営していたのでしょうか。
繊維業華やかりし頃の貴重な産業遺産だと思いますが、今はもうないんでしょうね~

「古い街並みを求めて」編に詳報して下さい~

chitetsu さんのコメント...

新busuーjinさん
出雲市から一駅目の立地はどうしてもスルーし易いですね。
駅前の洋裁女学校はきっと大和紡と関係があるのでしょうね。
残念ながら、この駅前のシーンのカットはこれが全てです。
大和紡構内のトロッコも見逃してしまいました。

道草人生 さんのコメント...

偶然ですが同時期に私もこの洋裁学校を撮影していました。しかし前後の関係から一畑電鉄ではなく山陰本線のどこかの駅だと思い込んでいたのですが、一畑電鉄の駅だったのですね。

それにしても当時の山陰路は趣きのある木造の建物が現役でたくさん残っていて楽しいところでした。でも殆ど写真に撮っていないのが残念なところです。

chitetsu さんのコメント...

道草人生さん
同じ頃撮影されていましたか。
地方都市と紡績工場、そして洋裁学校・・・。
昭和な風景でありました。