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2015年4月10日金曜日

琴電 瓦町駅


琴電瓦町駅はバブリーなバカ改装をするまでは、魅力的なターミナルでした。


89.1.13 瓦町


駅の琴平寄りにあった踏切からの駅構内全景です。
左から一番線~五番線までホームがあって三路線の乗り換えは今と違ってすごく便利でした。
左から
①琴平線上り
②琴平線下り
③志度線上下発着
④長尾線
⑤長尾線
と割り振られていました。

今のようなバカな改造がどうして行われたのか理解に苦しみます。

15.3.16 瓦町

因みに現在の同じ場所です。
こんなに変わっちゃうのですね。
全く詰まらないです!


62 89.1.13 瓦町


この当時は志度線が高松築港へ直通、長尾線が線内折り返しでした。
直通する路線が長尾線に変わったのは沿線人口などの推移もあったのでしょうが、よもや志度線の線路が分断されてしまうとは思いませんでした。

90.1.14 瓦町

瓦町駅の外観です。
八角形をした薄汚い駅舎が商店街に埋没しそうに建っていました。

15.3.16 瓦町

こちらは現在の瓦町駅です。
余りの変貌に、同じ場所を特定できませんでしたが、ほぼ近い場所と思います。



90.1.14 瓦町


八角形をした特徴的なデザインであった瓦町駅舎を反対側から見ます。

90.1.14 瓦町

もっと近くから見ます。
結構凄まじい駅舎でした。
二階はどんな用途で使われていたのでしょうか?

90.1.14 瓦町

ホーム側から見た駅舎。
手前の一番線は琴平線の上りホームになっています。

90.1.14 瓦町

その一番線から見た二番線ホーム。
二番線ホームは琴平行き電車のりばです。

1085 90.1.14 瓦町

その二番線に入線する当時最新鋭の1085。
デビュー当初はご覧のようにご丁寧に方向幕とサボの二重表示をしていました。

90.1.14 瓦町

琴平行き二番線と共用する島式ホームの三番線は志度線のホームです。
志度線の電車は上りも下りもこのホームに入ってきてはスイッチバックして高松築港か志度方面に向かいます。

90.1.14 瓦町

志度からの元京急車が入線してきました。

29 90.1.14 瓦町

そして、折り返し高松築港へと出発します。
駅職員さんの表情が印象的でした。


335 90.1.14 瓦町

こちらは志度へ折り返す335。

90.1.14 瓦町

その三番線を高松築港側から見た様子です。
左手の島式ホームは長尾線用です。

345 81.3.8 瓦町

志度線の電車は瓦町での増解結が盛んにおこなわれていました。

890 90.1.14 瓦町

上の写真右手の駅事務室を四番線から見た様子です。
890号は西武から山形交通を経てことでんにやって来ています。
ことでん入線後も電装解除を受けたり、結構波乱に満ちた人生を送っている一両です。


335(左)、62(右)
90.1.14 瓦町

志度線と長尾線電車の顔合わせ~その1。



33(左)、120(右)
81.3.8 瓦町

志度線と長尾線電車の顔合わせ~その2。

90.1.14 瓦町

こちらは長尾線ホームの様子です。

90.1.14 瓦町

志度線の志度方には変電所がありました。
その手前には廃貨車が。
この貨車は有名な戦後のどさくさ時代の客車代用になった貨車です。
代用客車時代に開けられた窓が木で塞がれています。


90.1.14 瓦町

そしてその先にはこのような電留線がありました。
この電留線は瓦町駅統合までの歴史が残されていた場所でもありました。


左から
120、25、510,130
92.11.15 瓦町

上の写真の場所からちょっと左を向いた感じです。

15.3.16 瓦町

こちらも昔の痕跡はありません・・・・・。

15 件のコメント:

宵闇 さんのコメント...

こんにちは。

90年に自分も初めて琴電に触れましたが、この頃の琴電の瓦町は今から考えるととても活気が感じられますね。
でも今よりも遥かに殿様経営だったのでしょうね。

ワタクシこの頃の琴電は、志度・長尾線の旧型より琴平線の1020型吊り掛け車ばかりに目が行っていました。

今の瓦町駅は何となく小田急の相模大野駅に雰囲気が似ていませんか?
自分は町田に住んでいるので、相模大野へ行く都度瓦町を思い出します。

chitetsu さんのコメント...

宵闇さん
以前の瓦町駅はおっしゃる通り活気があった気がします。
現在の瓦町駅はどこか寒々しい感じがしてなりません。
どうしてこんな改装をしたのか本当に疑問ですね。

katsu さんのコメント...

瓦町駅の貴重な記録をありがとうございました。
1990年のこの時代に瓦町駅の駅舎にこんな昭和が残っていたとは驚きました。
それに魅力的な車両ばかりで素晴らしきよき時代が残されていたのですね。
1990年の日本には他でもこんなよき昔を残していた時代だったのでしょう。
私が瓦町を訪問したのは更に古く1970年頃で阪神小型車が活躍していましたがこの駅舎には全く気が付きませんでした。

chitetsu さんのコメント...

katsuさん
ことでんの瓦町駅はタイムスリップしたような空間が後年まで残っていました。
古い電車と古い駅が良くマッチしていましたが、乗客から見たら不満は多かったのでしょうね。
阪神小形車はタッチの差で間に合いませんでした。

Cedar さんのコメント...

改装前の瓦町駅は模型的というか、楽しい線路配置でした、そごうなんか呼び込むために電車乗客無視の馬鹿改造〜我が家近くの越後屋電鉄の拠点駅みたいです。
挙句経営破綻したのですから何をか言わんや。

伊豆之国 さんのコメント...

[うどん県」初訪問で琴電に乗ったのは、まさに写真に出ている頃の時期で、この瓦町駅で降り、外にも出て駅舎の写真を撮ったのも確かに記憶にあります。窓ガラスも割れ、崩れかけたような外壁、見た目にはまさに「廃墟寸前」といった光景で、既に「建て替えは時間の問題」だと感じてはいたのですが、ともかく利用客は結構あって賑わっているように思え、駅舎の中には売店のようなものもあったのを覚えています。改札のある駅舎は1箇所なのに、ホームの前と後ろの両側に構内踏切があってどちらからも改札のある1番線に出られたのも、不思議に見えました。
既に吊り掛け電車がほとんど消え、エアコン完備の元京急の1000型などが主力になっていた琴平線と、大正生まれの生え抜きを初め小型の古い電車の天下であった志度線・長尾線との「落差」も、利用客の立場から見れば"?"といった雰囲気も読み取れたのでした。
琴電が経営破綻に陥ったのは、ご承知のように、放漫経営で倒産に追い込まれ、有楽町や心斎橋からさえ撤退を余儀なくされたあのS
デパートが、新・瓦町の「まさに水泡経済時代そのもの」といった巨大駅ビルに入ったのが運のつきでした。Sデパートは、隣の伊予鉄松山市駅にも入っていたのですが、こちらのほうは元々別会社になっていたのが幸いしたらしく、伊予鉄は大きなダメージを受けずに済んだようでした。

chitetsu さんのコメント...

Cedarさん
賑やかで結構今風に考えるとかえってバリアフリーな感じの旧駅からのバカ改造は何度見ても信じられませんね。

chitetsu さんのコメント...

伊豆之国さん
瓦町駅旧駅舎はおっしゃる通り、ガラスさえ割れた廃墟のような駅舎でした。
これが要衝駅の駅舎かと疑いました。
建て替え前提で駅施設が旧態を残していたのでしょうね。
それにしても、その後の展開は残念であります。

青春どM さんのコメント...

こんにちわ お身体大丈夫でしょうか
きのうからこの瓦町、何度見させてもらったことでしょう
ワタシも八角形見たような記憶が・・・ナサケナイ
赤べた白抜き文字で怒ってほしいです
駅員さんの写真も最高 ありがとうございます

chitetsu さんのコメント...

青春どMさん
こんにちは。
昔の瓦町駅は活気がありましたね。
今はメチャ詰まんないです。
赤べた白抜きで怒ります!
コメントありがとうございました〜。

ポテト先輩 さんのコメント...

貴重な画像ありがとうございます。
しかし白黒写真もあいまって、とても1990年前後の昭和末期とは思えない、旧態依然
とした建物、車両が素晴らしいです。
私も当時高校生でしたが、「お化け屋敷」などとからかっていました。

たしかに当時は、瓦町駅周辺が高松の中心と言った感じで、ボロボロの駅舎とは裏腹に活気ある場所
でした。
しかし現在は、郊外店舗の発達による中心部の地盤沈下、および丸亀町周辺の再開発成功により、人
通りが郊外もしくは北に移動し、瓦町駅周辺はさびれた感はあります。
(昔からあった、南新町のマクドナルド(四国初出店でしたか?)、およびミスタードーナッツ等もなく
なったのは寂しい限りです。)

謙介 さんのコメント...

高松市民です。
琴電の瓦町にデパートを誘致する、という話が最初に出たのは、1973年のことでした。
その時は、高島屋が来る、ということで地元の四国新聞にも報道がありました。
それから紆余曲折があって、そごうになってああいうことになりました。 
計画では、高松築港駅を廃止して、琴電の電車をJRの高松駅に直接乗り入れ
させて、高松駅から、片原町、瓦町から栗林の手前まで、連続高架にする計画
でした。なので、琴電の瓦町駅ビルの二階をすべて電車の駅にするようになって
いました。しかし、種々の検討の結果、
連続高架の案はお金がかかりすぎ、ということと、琴電の会社更生法の適用も
あって実施は見送られ、暫定が、ずーっとになってしまいました。
市民の立場からいえば、長尾線の
築港直通は、もう40年以上前から、お願いをしていたことです。瓦町で、志度線か
琴平線の築港行に乗り換えるのは、本当に面倒なことでした。以前は、志度線の
沿線の屋島・牟礼が人口が多かったですが、今は前田、高田、池戸方面の人口が
増えているので、大型の電車を入れてほしい、ということになって、以前とは
違ったことになったのだと記憶しています。 地元の人間は毎日電車を使うので、
便利なほうがいいです。

chitetsu さんのコメント...

謙介さん
最初は高島屋の計画だったのですね!
連続高架計画があったとは知りませんでした。
実現していたらどうだったのでしょうか。
長尾線と志度線のバランス逆転はなるほど理解ができますが、志度線の瓦町の乗り換えはまるで別会社みたいで残念です。
平面時代の方がよっぽど便利でしたね。

chitetsu さんのコメント...

ポテト先輩さん
コメントい気付かず失礼しました。
瓦町駅を取り巻く環境も随分変わってしまいましたね。
おっしゃるように以前のような活気は無くなった気がします。

間抜けなレス、ごめんなさい。

ポテト先輩 さんのコメント...

レスありがとうございます。
私は高校卒業後、県外に進学して就職も県外、その後再び高松に戻って来ましたが、高校卒業後6年の歳月が経過していました。
その間の香川県および高松の変化はすさまじく、琴電では瓦町駅ビル化、高速道路網の発達、県内道路網も著しく整備され碁盤の目のように張り巡らされたため、高松に帰って私のかつての地元太田付近に行ってみると、あまりの変貌ぶりにここはどこかと驚いたことを覚えています。
その後琴電が破たんした際には、かつての琴電の横暴ぶりを知っていたので、正直潰れてしまえと感じました。
香川県人全体でもそのような意見が多く、一時は存続すら危ぶまれたようですが、結局県内に一つも私鉄が無いのはまずいということで、再建へと成ったようです。
再建後、駅職員に女性の姿が増えたことが目立ち、接客態度もかつての乗せてやっているとは一変したものになり、香川県の恥とも言うべき琴電の姿は消え失せ、一般的なものになりました。
その分、かつて怖いもの見たさに全国から来た鉄道ファンの目に映る、異彩といったものは無くなったように思います。
どうにも人間というものは身勝手であり、私もかつて随分琴電を非難したものでしたが、今思えば懐かしい郷愁の念さえ覚えます。