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2014年12月7日日曜日

祝! 1000記事  京急デハ1000形特集 その3・古めの白黒編

デハ1000形特集、最終回は古めの白黒画像編です。

81.4.3 神武寺ー六浦

逗子線随一のビューポイントの神武寺から六浦間を走るデハ1000形。
この当時は逗子系統の急行に吊り掛け車がいっぱい運用していた時代で、1000形はあんまりシャッターを押さなかったという、今考えると随分な扱いをしていました。

デハ1161 81.4.3 神武寺ー六浦

こちらは吊り掛け急行と仲良くシェアしていた1000形急行。

デハ1001 80.10.26 雑色

トップナンバーのデハ1001。
湘南顔で1959年に製造された最初期車です。
因みにデハ1000形は800形から編入の4両を含めると総勢356両在籍し、運転台の有無や搭載機器に関わらず全車両の車両形式が「デハ1000形」を名乗っているため単一形式としては私鉄最多製造車両になっています。

デハ1024 80.6.5 京浜富岡

こちらも同じく非冷房時代のデハ1024。
初期車の4連は先頭車と中間車が1ユニットでそれを付き合わせて4連になるような編成を組んでいました。

デハ1075 84.1.14 八丁畷

こちらも非冷房時代のデハ1075。
このグループからは正面貫通形で製造されています。

デハ1075 93.1.17 京急蒲田

こちらは分散冷房で冷房改造後のデハ1075。

デハ1375 93.1.17 京急蒲田

お馴染み集中冷房のデハ1375。

デハ1291 93.1.17 六郷土手

晩年まで見慣れた姿であった集中冷房車の8連地下鉄直通特急。

デハ1080 95.8.30 神奈川新町

ほぼ最終増備車のデハ1080。
1000形の空き番を律儀に埋めて登場した1978年3月製です。
実際の最終増備車は同年10月竣工の1243~1250編成になるようです。


デハ1275 80.6.5 京浜富岡

こちらは1000形全盛期の快特久里浜ゆき。
この2年前までデハ1000形は増備を重ねていましたので(上の1079-1080編成がそれにあたります)、正に脂の乗り切った時期と言えるでしょう。

デハ1267 82.7.24 仲木戸ー神奈川

仲木戸で撮った特急。
何があっても猪突猛進、しゃにむに走る京急電車、痺れます。

デハ1290 82.7.24 仲木戸ー神奈川

酷いシャシンでスンマソン~。
こちらは偶然やってきたミュージックトレイン号。
懐かしい電車です。
イベント列車が『通勤快特』というのもちょっと笑えますね~。

デハ1184 80.12.16 大森海岸

分散冷房のデハ1184。
連結器換装前のジャンパ線がいっぱいあったこの顔が一番好きですね。

デハ1230 94.11.17 戸部

こちらは連結器換装後の姿です。
電気連結器装備に伴いジャンパ栓が撤去されて、撤去跡が丸い板で塞がれています。
これは後年完全に撤去されています。

デハ1251 94.8.29 品川ー北品川

方向幕が黒幕になってからの1000形特急。

デハ1242 94.8.29 品川ー北品川

同じ日の撮影ながらこちらは方向幕が白地のままの編成。
行き先が収まりきっていない感じです。

デハ1021 89.3.11 京成立石ー四ツ木

京成線内をゆくデハ1000形。
ありふれた風景でしたが、何故か京成線内での1000形は荒川鉄橋以外はあまり撮りませんでした。
自分の中の京成アレルギー(←単に吊り掛け車が早くになくなっちゃたっとい程度のもので、それ以上のものじゃないのです)が未だあった頃だったせいかもしれないのですが、今考えると勿体無いことをしました。
一応、京成線内のデハ1000形はこちら(⇒京成電車 真夏の荒川駅あたり)。

デハ1224 94.8.20 平和島

真夏の昼下がりの特急。
車掌さんの『扉を閉めます~』は、今では結構あちらこちらで聞きますが、以前は京急独自の案内言葉でしたね。

 デハ738(左)、デハ1320
80.12.16 大森海岸

赤い棺桶車との離合。
今はことでんでこの離合風景が見られますね。

デハ1313 94.8.20 品川ー北品川

八ツ山の鉄橋を渡るデハ1313。


デハ1351 10.6.27 京急田浦

3回に分けてお届けした1000記事記念のデハ1000形特集、最後は1000形最後の晴れ姿で締めたいと思います(詳しくはこちら⇒京急デハ1000形お別れ運転)。


デハ1348 10.6.27 三浦海岸

4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

1000記事ならこれしかない!しかしたくさん撮ってらっしゃる!私なんぞ、記事の写真数でボツカット含み全てって感じです。
ああ、また認証が読めません!もう5回目だあ?

chitetsu さんのコメント...

Cedarさん
いえいえ、撮っているもの撮っていないものの落差が激しいんです。
認証、スミマセン。
ぐるぐるさんのお都合のようで、自分じゃどうにもならんようで・・・。

元・いきもの部長 さんのコメント...

デハ1000形はあまり撮ってないとのお話でしたが、いろいろと記録されていますね。
逗子線は、chitetsuさんと同じ頃に訪ねました。
当時の逗子系統急行には、他にも窓周りが白かった800形や朝1~2本?
限定の都営5000形なども走っていたような記憶があります。
手持ちの本にデハ1075の登場時の写真がありました。
方向幕なしの前面大窓、客窓には保護棒、ウェスティングハウス式密着連結器装備という姿です。
連結器を2回も交換したケースって、珍しいですね。
初期車が先頭車+中間車で背中合わせユニットを組んでいたことは、琴電譲渡の際に先頭車の運転台を中間車に取付けることになりました。
もう一方の乗入先である京成は逆で、背中合わせユニットでなかった3150形から背中合わせユニットの3200形~3500形になっています。
デハ1080は改番によって生じた空き番を埋めた2代目ですが、こちらも末期に改番されていますね。

chitetsu さんのコメント...

元•いきもの部長さん
同じ頃に逗子線行かれていたのですね。
窓の白いダルマさんは撮りましたが都営車は来なかったのかシャッターを切らなかったのか記録(記憶)がありません。
1075号車は方向幕が無い時代の製造組だったのですね。
連結器や正面の改造など、いろいろいじられた電車でしたね。