古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2014年9月24日水曜日

東京上野ライン?を走った新前橋の旧形電車

『東京上野ライン』???

変な名前ですね。
なんかもっと良い名前なかったんでしょうか?

本日はそんな路線計画が浮上するなんて想像もつかなかった時代の回送線を走ったスカ色の旧形電車のお話です。

この線の経緯について以下ウィキペディアからパクって編集しました。
『第二次世界大戦前から東京駅 - 上野駅間には回送列車や貨物列車を走らせるための回送線が存在し、戦後の1946年7月に連合軍専用列車「Yankee Limited」が初めて同線を直通する列車として設定され、1954年 - 1956年の山手線と京浜東北線の分離運転工事期間は上野駅折り返しだった国電常磐線が朝夕のみ有楽町駅まで、その後も東北本線・常磐線・高崎線列車が新橋駅まで朝晩の各1往復程度乗り入れていた。
後年に急行「十和田」が東京駅へ乗り入れ、特急「ひたち」「つばさ」「ひばり」「はつかり」「やまびこ」「とき」「あさま」、準急「日光」「中禅寺」といった列車に東京駅を発着する列車が設定されていた。
準急「湘南日光」などが東京駅を越えて東海道本線にまで乗り入れていたほか、高崎線から東海道本線富士駅までを結ぶ中距離電車も1往復運転されていた。
その後、東北新幹線敷設工事の用地問題により1973年4月限りで定期列車の東京駅乗り入れが中止となり、わずかに残った荷物・回送・団体列車についても1983年1月31日限りで直通運転が廃止され、線路用地を新幹線に転用するために秋葉原駅 - 神田駅付近で線路が分断された結果、東北本線系統の列車は東京駅に乗り入れることができなくなった。残った線路は、上野駅側は御徒町駅付近から貨物駅の使命を終えた秋葉原駅の貨物ホーム付近までを留置線に転用したが、同駅周辺の再開発に伴い貨物ホームは撤去され、新たな留置線が建設された。東京側は東海道本線の列車の折り返し線に転用された。』


クモニ13005 78.8.8 神田

回送線は上野から神田付近までは複線でしたが、ここから東京方で単線になっていました。
こちらは京浜東北線を走るクモニ13形。
左手に回送線が二本見えます。

クハ55403 78.8.8 神田

この夏の真っ盛りに神田駅の端っこで待っていたのはこの列車です。
スカ色の旧形国電が何とこの回送線を走って東京を縦断するとの情報が入り、一も二もなくその電車を待ち構えたわけです。
こちらの列車は新前橋区配置の両毛・吾妻線用の旧形電車の大船工場への廃車回送で、理由は良く解りませんが山手貨物線経由と東京駅経由の二つのパターンがありました。
結果的に何本走ったかまでは知りませんが、自分にとっては一回だけのチャンスでした。
京浜東北線がどんどんやってくる中、被らないかドキドキしながら待つこと暫し、スカ塗り電車がやってきました。
都会ど真ん中の旧形電車が撮れたのは嬉しいですね。
クハ55は常磐線時代に有楽町までこのあたりを走っていたので、そんな風景も目に浮かんでまいります(笑)。

クハ76085 78.8.8 神田

嗚呼・・・
反対側はブタ鼻ATCに被られてしまいました・・チッ・・・。
そう、結構やってくるタイミングは際どかったのでありました。

ところで、今のここはどうなっているのでしょうか?
車窓からは変貌ぶりは見ていましたが、今回の記事アップに合わせて気になって神田駅のホームに立ってみました。

クハE232-1057 14.9.17 神田

こちらはちょうどクモニ13形を撮った位置の現在です。
架線柱や左手の小屋などは今も健在ですね。
でも、右側は凄いことになっちゃいました。
クモニ13時代には当然なかった新幹線はおろか、その上にまで線路が重なって本当に空が狭くなってしまいました。

クハE233-1057 14.9.17 神田

こちらはクハ76がブタ鼻ATC被られ現場の今です。
・・・もう、コメント要りませんね。


クハ55403 78.8.8 田町

途中、この回送列車は東京駅で小休止。
流石に東京駅通過は新幹線でもできないので、烏滸がましかったのでしょうね。
そこで、早速東京で追い抜いて田町で待ちます。
このあたりは東海道線を走行します。

クハ76085 78.8.8 田町

颯爽と走り去る姿は昔日のスカ線を思い出させます。
正に最後の晴れ姿・・・・のはずが。。。。
可哀想に正面がちょっと凹んでいます。
何かあったのでしょうか?


クハ55402 78.6.7 新大久保

参考までに、こちらはこの列車以前に山手貨物線を回送された時の廃車回送列車です。
こちらは全て40系列の4連でした。

その上、何故か行き先は『高崎』ゆき!
回送列車、それも廃車回送でサボが入っていることは通常考えられません。
疎開留置時代にはサボは入っていなかったのを確認していますので、わざわざ回送時に装着したとしか思えません。
担当者の花向けでしょうか?
おふざけだったのでしょうか?


クモハ60010 78.6.7 新大久保

中間にはノーシルノーヘッダーのスマートなクモハ60010が入っていました。
できればこの電車が先頭で来て欲しかったです。

クハ55431 78.6.7 新大久保

殿はサハ57改造のクハ55431がくっついていました。

こちらのサボは更に・・・・
『渋川』ゆき!
大船なんか、逝きたくないですもんね。




18 件のコメント:

スカ犬カラー さんのコメント...

78年・・・
こんなチャンスがあったのですねー。
ラストチャンスだったのでしょうがうらやましい。見たかった。
しかし、78年・・・・
ついこの間のことのようですが昔の景色ですなあ(糞)!

12号線 さんのコメント...

同じ高シマの165系が上武鉄道線でひっそりと消えたのとは対照的です。
また「新前橋」サボ入れられたまま、京急線を自力回送した車両もあったそうですね。
働きは地味でしたけど、最後を飾ることができたのはせめてもの花道でしたのでしょうか。

Cedar さんのコメント...

東京上野ライン、ネーミングといえないダサい命名ですね。二重高架もウザくってあの区間を通過するのが嫌になりました。新幹線が東京まで来る時に二重高架が地元の反対にあったという話はどうなったのか?時代の変化で握り潰したのでしょうか?
〜なんて、記事と関係無いボヤキですみません。

nnishi1968 さんのコメント...

こんばんわ。

鉄道ファン誌で、留置中の両毛線の旧型国電の
記事を見たときから気になっていたのですが、
クハ55403は、片側のテールライトが無い状態
ですね。留置中に盗まれてしまったのか、何か
の都合で撤去されたのか、よく分かりませんが、ちょっとカッコ悪いですね・・・

chitetsu さんのコメント...

スカ犬カラー殿
お誕生日オメデト!
この頃はファーストチャンス=ラストチャンスな日々ですた〜。

chitetsu さんのコメント...

12号線さん
そう言えば、この頃は京急線沿線工場でもバラバラ作業やっていましたね。
神武寺駅に佇むスカ形電車の
画像見た記憶が蘇って来ました。

chitetsu さんのコメント...

Cedarさん
想定通りのコメント、ありがとうございます!
まさに私の感想もさそれに尽きます。
この醜態を是非皆さんと共有したくて記事をアップしました。

chitetsu さんのコメント...

nnishi1968さん
こんばんは〜。
この電車のテールライトは高崎疎開留置時代からそうでした。
理由は分かりませんが、可哀想な最期でした。

C6248 さんのコメント...

う~ん、これ、今でしたらものすごい数のマニアが襲来、そこかしこにカメラの放列ができてもおかしくないレベルですなあ…。
103系にかぶられた写真、私は逆に「103系とクハ76が顔合わせしたことあるんだ~」と言う訳で興味津々でした。クモニ13共々、凄い面子ですな…。私は103系というと、古参となりながらも、常磐快速で轟音と共に駆け抜ける姿や、武蔵野線や京葉線で元気溌溂と幅を利かしていた姿を思い浮かべるだけに、こうした国鉄時代の写真は新鮮そのものであります。

元・いきもの部長 さんのコメント...

ニュースでも報道された樽沢トンネル最後の日にタイムリーなネタですね。、
旧国の走る吾妻線は、尾小屋鉄道の行きがけにを訪ねました。
夜の高崎駅では、4連+2連+4連という長編成が見られました。
しかし、こんな回送が都心を走ったことは知りませんでした。
見たかった‥‥
編成中程に組み込まれているのはクハ77でしょうか?
東海道線を走行したということは、改造・転属前の横須賀線時代にサロ85として走り続けた線路が、変わり果てた姿でたどる最後の旅路になったわけですね。
「東京上野ライン」は本当にダサい命名ですね。
各方面から反発を受けないようにすると、こんな名前しかなかったのかな?
北関東まで行くのに「湘南新宿ライン」なのだから、まあ似たようなもんか。
ところで、東京駅を発着する定期列車は新幹線との接続改善のためと言われていました。
当時、ブルトレ撮影のついでに「とき」を撮ったことがありました。
また、上野の高架ホームを通過する貨物列車(おそらく秋葉原行き)を何度か見かけました。
走行線の貨客分離が行われていた山手線内では珍しい光景でした。

chitetsu さんのコメント...

C6248さん
そうですね、今なら大変な人出で大変でしょうね。
この当時は情報が限定的だったので、この時もこの場所には数人しか居なかった気がします。
103系に被られてチッっと思いましたが、これもまた記録だと最近は思えるようになりました。
103系の高速運転も随分昔の話になって来ましたね。

chitetsu さんのコメント...

元•いきもの部長さん
吾妻線のあのトンネル区間もいよいよ水没ですね。
尾小屋訪問途中で吾妻線とはマニアックなコースですね。
中間に挟まれたクハ77もどんな気持ちで東海道線を下ったのでしょうか?
因みに今年のKBMCのテーマは尾小屋鉄道です〜

宵闇 さんのコメント...

まだまだ地方では旧国が走っていたとは言え、東京駅の近くでこんな廃車回送が見られたというのはある意味感動的ですね。

もしこれが現代に実現したとしたら、今の鉄道趣味の世界がひっくり返る程の大騒ぎになりそうですね。

奇しくも昨日は吾妻線の例のトンネルの最終日。不思議なご縁を感じさせました。

chitetsu さんのコメント...

宵闇さん
山手貨物線を走る旧形国電の廃車回送は南武線をはじめ結構見られましたが、東京経由の廃車回送は私はこれしか見ていません。
他にもあったのかもしれませんが、あったとしても、数は少なかったと思います。
今だったら大騒ぎですね。
この当時は内部の好き者からの情報が無いとなかなか分かりませんでしたので、たまに入ってくる情報は正に千歳一隅のチャンス状態でした。
吾妻線の付け替えは結構話題になっていますね。
ちょっとは旬な話題になりましたでしょうか。

SATOK さんのコメント...

が~~~~ん~~~~

何が始まったかとお思いかもしれませんので説明させていただきますと、

田町から浜松町方面に向かいますと、進行方向左手に公園が見えてまいりす。

その奥側、今はマンションがでーーんとそびえ立っていますその一帯にそれがしの生家がかつては存在していたんでござります。

つまり、物心ついたころからそれがしは件の公園に遊びに行っては、当時おあつらえ向きに高ーい滑り台がありまして、そのてっぺんからchitetsu先生のお撮りになったあの写真の風景(ただし旧型国電抜き)を日常茶飯事のように見ながら育ったわけでございます。

あ~つかれた^^;

そんなわけもあってここに鉄ヲタ中年が一匹出来上がったわけですが、

話を戻しまして、確かにそのころそれがしは小学校の2年生でしたので、もしこの風景を見ていれば記憶に残っているはずなんですが、日付が悪かったですね。
というのも、このとき埼玉の親戚の家へ泊りがけで遊びに行ってまして留守してたんですよ。(T_T)

で、この時は蜂に刺されるやら腕挫くやら散々な目に遭いましてひどい夏休みになってしまいましたが、30数年過ぎた今になってさらにダメージくらうとは……(T_T)

SATOK さんのコメント...

すみません。

3行目
(誤)まいりす(正)まいります

これがほんとの「ま」ぬけ(^_^;)

chitetsu さんのコメント...

SATOKさん
この頃のこの種の列車の情報は今と違ってかなり狭い範囲にしかわからなかったと思います。私も、たまたまこの時は情報が入手できただけで、撮り逃しも多いです。
当時はそんなもんだったのではないでしょうか?

風旅記 さんのコメント...

こんにちは。
上野東京ラインと名付けられた東北縦貫線ですが、鉄道に詳しい方以外で、ここに元々は東北本線の線路が敷かれていたことを知っている方は少ないのではないでしょうか。
北関東の車両の廃車回送とのことですが、ネットでの情報検索が当たり前になった今、どのようにして情報を得られていたのか、想像もできなくなってしまいました。
ただ、簡単に情報が入手でき、行かなくてもネットでのいくらでも見ることのできる今よりも、お目当の列車を捉えた際の嬉しさは大きかったのではないかと思います。
そのような思いを胸に今の上野東京ラインの風景を見れば、感慨深いものになりそうですね。
貴重なお写真、楽しく拝見させて頂きました。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/