古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2014年7月26日土曜日

栗原電鉄、最後の貨物列車

栗原電鉄が第三セクター化に合わせて非電化線となることから、非電化前夜(?)に最後の貨物列車が運転されました。
ワフ74+・・ED201 95.3.26 若柳

若柳駅でスダンバイ中の貨物列車。
この後、若柳から細倉までイベント走行で一往復、最後の貨物列車として運行されます。
ED201 95.3.26 鴬沢ー駒場

時折雪が舞う寒い陽気の中、鴬沢の先で貨物列車を待ちます。
身に余るパンタグラフを大きく張り上げて貨物列車がのんびりとやって来ました。

ED201 95.3.26 鴬沢ー駒場

同じ下り貨物列車をモノクロで追いかけます。

ED201 95.3.26 鴬沢ー駒場

冷たい風が吹き抜ける中を最後の細倉ゆき貨物列車が眼前を通過しました。
ED201は栗原電鉄が未だナローゲージの時に製造された電気機関車で、改軌に合わせて小振りな車体に大きなパンタを振りかざすようになりました。

ワフ74 とED201 95.3.26 細倉

細倉に到着した貨物列車を見に行きました。
構内では貨物列車の入れ換え中でした。


ワフ74  95.3.26 細倉

ワフは職員さんが人力で押して入れ換えます。




二枚ともED201 95.3.26 細倉ー駒場

上りの最終貨物列車は細倉を出たところで待ちました。
ED201 95.3.26 津久毛ー沢辺

途中で追い抜いてもう一回撮影しました。

M153 95.3.26 沢辺

貨物列車も最後の運転でしたが、長年走った電車達も最後の活躍中でした。
こちらは沢辺で交換する電車。
この駅はホームが構内踏切を境に上下線がズレて配置されていました。
電車同志が交換するこの風景もあと数日で見納めです。




M153 95.3.26 津久毛ー沢辺

午後からは、クハが増結されて二両編成が活躍を始めました。
登場時は地方私鉄の電車にしてはハイスペックだったこの電車も、あと何日かでお役御免です。



二枚ともC151 95.3.26 津久毛ー沢辺

最後の頃は乗客減でほとんど出番が無くなったトレーラーも最後のご奉公で駆り出されました。

周知の通り、この5日後の95年3月末で電車運転は施設の老朽化のために廃止となり、内燃化・、社名をくりはら田園鉄道に改称しました。
しかし、電化線の非電化という施策は過去の玉野市営や羽後交通雄勝線の例のようにその後長続きした事例はなく、くりでんもその後の輸送人員は減り続け、12年後の2007年3月末で廃止されました。
折角作った軽快気動車も12年の命で、他で活躍することなく幕を閉じました。

6 件のコメント:

M15も好きだがM17はもっと好きなmaru-ha さんのコメント...

くりでんオリジナル電車には放送設備がなかったと記憶してます。アナウンスはレチの肉声、それに車内ではパチパチと、レチが切符を切るパンチの音がしてました。吊りかけモーターを伴奏にして。
写真を見て”音”を思い出しました。



宵闇 さんのコメント...

栗原電鉄としての最終日、最終電車にも乗りましたが、その前にこんな臨時の貨物列車なんて走っていたのですね。
石越駅の外れにED351が寂しく置いてあったのを覚えています。

chitetsu さんのコメント...

M15も好きだがM17はもっと好きなmaru-ha 殿

HMが長いよ~。
そう言えば、くりでんの電車には車内放送装置なかったですね。
車掌さんの生声案内を思い出しました。
懐かしいですね。

chitetsu さんのコメント...

宵闇さん
最終日に行かれたのですね。
私はこの日が最後の訪問でした。
貨物列車は一回も見れていなかったので、万難を排して栗原へ向いました。
たまに雪が舞う寒い日でした。

伊豆之国 さんのコメント...

くりはら電園(←小学生の漢字書き取りで、3人に1人がこの字を書いたとか)鉄道は、乗ったことはもちろん無く、車両も見た記憶はなかっようです。この線が電化停止を経て結局廃線という運命をたどったのは、やはり鉱山の閉山が大きかったのはまず間違いないでしょうが、東北新幹線の「くりこま高原」駅が田んぼのど真ん中ではなく「くりでん」との交点に造られて乗換駅になっていたら、また状況も違ってきたのではないかと思うのですが、どうなのでしょうか。
電化停止になった路線というと、18年前に名鉄三河線の「山線」に、「香嵐渓」の紅葉見物のときに乗ったことがありましたが、使われなくなった電柱がまだ残っていたりして、また電車が走れるような雰囲気でした。「くりでん」「三河山線」のように電化を停止してディーゼルに切り替えた路線は、結果的に全て数年から長くても十数年の後に廃線に至っており、やはりこのような「節電による経費節減」という手法は「禁断」であるように思えます。先の大震災で「計画停電」を強いられるなど深刻な電力不足の状況下で、「節電」「延命」のためにこのような「禁断」の手段を使った私鉄は、結局無かったようでした。

chitetsu さんのコメント...

伊豆之国さん
第三セクター化の時の『・・・田園鉄道』という命名も?な印象を受けました。
仰るように過去も近年も電化路線の内燃化は必ず短命に終わっています。
この路線も嫌な予感したらやっぱりそうなってしまいました。