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2014年3月8日土曜日

1977年秋、高崎駅にて

新幹線開業前の高崎駅には色々な電車が行き来していて楽しめました。

クハ76020 77.10.3 高崎

高崎駅に両毛線の70系電車が進入してきます。

クハ86333 77.10.3 高崎

信越線のローカルは80系の6連が碓氷を越えて高崎までやってきていました。

クハ85102 77.10.3 高崎

こちらの80系の6連にはサハ87改造のクハ85が先頭についていました。
奥の70系電車は両毛線です。

181系 77.10.3 高崎

181系の『とき』も当然のように頻繁にやってきました。


クハ115(左)、クモユニ74205(左) 77.10.3 高崎

高崎線の主役であった115系。
クモユニ74と顔を合わせます。

キハ35905 77.10.3 高崎

ステンレスのまま千葉から八高線に転属してきたキハ35。

キハ20280 77.10.3 高崎

キハ20も当然のように編成に組み込まれていました。
所属表記は「金ナナ」のままで、転属したばっかりのようでした。

EF62 1 77.10.3 高崎

EF62のトップナンバーの牽引する信越線貨物列車。

EF62 2 77.10.3 高崎

同じくEF62牽引の客車列車。
この当時は上野まで普通客車列車が一往復設定されていました。

EF58 71 77.10.3 高崎

EF58の牽引する団臨。

EF12 16 77.10.3 高崎

少数派、EF12牽引の上越線貨物列車。




10 件のコメント:

maru-ha さんのコメント...

高崎駅で止まる信越旧客、懐かしい!!
ウロ覚えですが、上野~高崎は3271列車で朝早く運転し、高崎で結構止まって両数を短くして長野行321列車になるスジだったと思う。

30年以上も前ですが、妹が旅行中に安中市内の病院に救急搬送されたことがありました。迎えに行けと親に言われ時刻表を調べると、あさイチの特急で高崎まで行くと321列車に乗り換えできることがわかりました。
搬送の翌朝と退院日の2回、この列車に乗りました。なので、高崎停車中のEF62+旧客の写真を見ると、そのときを思い出してしまいました。。

EF12と70系に育てられた新busu-jun さんのコメント...

高崎を縄張りにしていた者にとっては涙モノばかりですね。

背景に写っている跨線橋や貨物上屋も懐かしいです。

この頃はニイガタ色の70系や上信電鉄の旧型車もいましたね。上信は丁度1000系が入線したばかりで、旧型車がウヨウヨいましたが、
こちらは撮られたのでしょうか。

つのすけ さんのコメント...

すべての写真が懐かしいです。当時まだ私は東京駅や上野駅で撮影する程度のひよっこでしたので、高崎まで遠征うらやましいです。
80系の信越ローカルはついに見られませんでした。上越線のクモユニは荷2041Mですね。
八高線に、ステンレス・警戒色のキハ35が入っていたこともわかりました。
16番模型で、この仕様のキハ35を組み込んだ編成を八高線仕様としているので(最近出たプラ製ではありません)考証上おかしくないことがわかり、安心いたしました。

chitetsu さんのコメント...

maru-ha殿
信越線の旧型客車列車は早朝上野発でEF58牽引だったと思います。
早起きして二度ほど乗った記憶があります。
親族の一大事でも客車列車を選択乗車するあたりは貴殿らしいですね。

chitetsu さんのコメント...

EF12と70系に育てられた新busujin殿
高崎は貴殿のテリトリーですね。
新潟色の70系はピンボケ写真が残るのみ、上信電鉄は何故かこの時は一枚も撮っていませんでした。
今考えると何やってたんでしょうね。

chitetsu さんのコメント...

つのすけさん
八高線のステンレスのキハ35は新鮮でした。
この時は行きは客車列車、帰りは八高線で東飯能経由で帰ったと思います。

原口 悟 さんのコメント...

5枚目の写真の左側の115系ですが、これは長岡運転所の車で、上越線内の運用で高崎まで足を伸ばしたものです。
上越線の水上以北の運用は長らく「新潟色」の70系でしたが、昭和51年の第1次の置き換えで小山、新前橋電車区より非冷房の115系0番台が長岡運転所に転属しました。写真の車はこの時に長岡運転所に転属した車です。腿フォンを見ると、助士席側のものにカバーがかかっているのがわかりますが、これは新潟ローカルのクハ76形とクハ68形に見られた円筒形で斜めに切られたタイプのカバーと同じもので、長岡への転属時に耐寒耐雪設備の強化改造として工事が行われました。
この第1次の新性能化より前は長岡の「新潟色」の70系が高崎まで足を伸ばしていたのですが、これ以降高崎までの運用は全て115系に置き換えられ、高崎で新潟色の車を見ることができなくなりました。
昭和53年から第2次の新性能化が行われ、115系1000番台が投入されたのですが、この時に先行転属した115系0番台も併せて置き換えられ、広島に転属して、同地新製投入の115系2000番台とともに80系と呉線のモハ71形を置き換えました。この時、独特の形のタイフォンは原型に復元されたので、写真ような「上越線タイプ」のタイフォンカバーは写真撮影される機会が少なく、非常に珍しいものになっています。

chitetsu さんのコメント...

原口さん
上越の70系の置き換えは一番最初でしたね。
この時は既に115系になってしまった後でした。
コメントいただくまでタイフォンにが上越仕様とは気づきませんでした。

風旅記 さんのコメント...

こんばんは。
高崎駅のお写真、大変興味深く拝見しました。
ホームの雰囲気は今も大きくは変わっていないように見えます。嵩上げされたり、新しい跨線橋ができたりはしていますが、各方面からの列車が集まり、発車していく様子、駅の片隅に八高線の気動車が止まっている様子、今に通じているように感じます。
旧型国電で碓氷峠を超えられた時代、今から叶うなら、私も体験してみたかったです。吊り掛け式の電車があちこちで唸っていたと思えば、本当に魅力的ですね。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

chitetsu さんのコメント...

風旅記さん
高崎駅は確かに橋上駅にはなりましたが、駅舎寄りのホームを除いては位置関係は大きくは変わっていませんね。
この写真を撮った当時は上越線は置き換え直後でしたが、それ以外の線には吊り掛け電車が走っていました。
今となっては信じられませんね。
コメント、ありがとうございました。