古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2014年3月26日水曜日

日の丸自動車法勝寺鉄道のフ50

早朝の米子の街並み。
まだ寝静まっている街並みを早朝散歩しました。


14.3.11 米子

この古い米子の街並みの中に明治時代の貴重な客車が保存されています。
米子から法勝寺を結んでいた小私鉄・日の丸自動車法勝寺線の保存客車を久しぶりに見にゆきました(以前の訪問記はこちら⇒日の丸自動車法勝寺線の保存電車)。

フ50 14.3.11 米子(以下同じ)

そんな街並みの中にぽっかりと地上げされたかのような空間があり、そこに件の客車は鎮座しています。



しっかりとした説明看板があり、車両も綺麗に整備されています。
コンスタントに塗替えもされているのでしょう、以前訪問時よりも綺麗になっていました。




いかにも明治時代の客車らしいサイドビュー。
1887年英国バーミンガム製の古典客車と案内看板にも書かれています。


折角なので床下も覗きました。


手ブレーキの無い側から望む

床下の様子をじっくり見られるのも保存車ならではで、千歳一隅のチャンスです。

復元バネまわり

ブレーキ装置は空気ブレーキの装備は無く、手ブレーキのみです。

少し上から

手ブレーキハンドルから伸びたロッド(写真左上)がどのようにつながっているかが良く解ります。


下から

同じ部分を下から見上げます。

手ブレーキ付近

こちらは手ブレーキが床下に下りるところです。


3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

三浦綾子著「塩狩峠」を思い出しました。
明治時代に実際に起きた事件で塩狩峠で客車の連結が突如外れてしまい逆暴走する客車を車掌が手ブレーキと自らの体を犠牲にして止めて 乗客を守ったお話です。 明治期の車両の細部が観察できるなんていいですね。一度行ってみたいと思います。

chitetsu さんのコメント...

匿名さん
そうですね。
三浦綾子の塩狩峠、私も読んで感動しました。
どうしても作品の舞台に行きたくなり、塩狩峠も実見、三浦綾子文学館も行ってしまいました。
実車を見ていると加速が付いてしまうと手ブレーキはなかなか止まらないんだろうと思いました。

匿名 さんのコメント...

初めまして。
急なメール申し訳ございません。
掲示板を見てメールさせて頂きました。
uと申します。

ただ今、下山事件について調べているのですが、下山総裁関係の資料として当時[昭和24年もしくは20年代の頃もの、もしくは建て替え前の]国鉄本社の写真を探しております。
ホームページを拝見させて頂いたところ、国鉄本社の写真を載せられていたので写真がないかと思いメールさせて頂きました。

もしよろしければお返事頂ければと思います。
よろしくお願い致します。
umezu@5019.tv