前回は名鉄築港線、臨港線との平面クロスの場所までをご紹介しました。
本日はそこから先のお話です。
92.1.14 東名古屋港 |
何とも素っ気ない駅です。
電車はここが終点ですが、線路はこの道路を越えてこの先海べり迄続いています。
ク2852(左)、キハ8203(右) 92.1.14 東名古屋港 |
そこは名鉄電車の墓場、廃車車両の車体解体が行われる場所に行くまでの留置場所でした。
そこに留置されていたのは戦後華々しくデビューした特急車、3850系と最盛期は立山まで乗り入れていた名鉄もうひとつの看板列車、キハ8200でした。
奇しくも名鉄のそれぞれひと時代を築いた車両が、こんな場所で顔を並べて最期の時を待っていたのでした。
ク2852 92.1.14 東名古屋港 |
こちらは3850系の制御車、ク2852。
固定クロスシートながら明朗な広幅窓と精悍な顔つきは格好良かったです。
後年の更新で随分とイメージが変わってしまい、後継の3900系の方がオリジナルの姿に近い状態を維持していました。
キハ8203 92.1.14 東名古屋港 |
こちらはキハ8000系の増備車、キハ8203。
キハ8000系は見た目はキハ82系の流れを組んでいそうな感じですが、下回りはキハ58と同等の装備の『急行形』でした。
キハ8200形は立山直通に際して不足する駆動力を補強するために増備された車両で、走行用エンジン2基以外に電源用エンジンまで搭載したため、他のキハ8000系列車よりも長く、名鉄の車両で最長の車両であったそうです。
モ3852 92.1.14 東名古屋港 |
3850系の電動車、モ3852。
窓ガラスも悪戯で割られて可哀相な姿を晒していました。
除籍は1990年のようですので、随分と永く放置されていたのかも知れません。
キハ8205 92.1.14 東名古屋港 |
こちらのキハ8200は搬入されて間もなかったのでしょうか、現役のままの姿で留置されていました。
1990年にJR西日本エリア内への乗り入れを中止、初期の高山駅までに短縮したのも束の間、後継のキハ8500系に置き換えられ全車運用離脱したのが1991年。
その後、増備車のキハ8200形だけは譲渡を前提に残されていたものの、結局譲渡は実現せずに解体されたとのことです。
私が見たこの姿はその最期の姿だったようです。
モ3852 92.1.14 東名古屋港 |
モ3852、最期の姿です。
ク2852 92.1.14 東名古屋港 |
ゲルリッツ式のFS107台車、造形がChitetsu好みです。
このタイプの台車は重く、これを履いたこのモ3850はAL車では一番重い電車となってしまいました。
この台車は後に3300系・6750系へ転用され、更にはえちぜん鉄道へ譲渡されて、つい最近まで現役の台車でした。
モ3852 92.1.14 東名古屋港 |
荒廃していますが、元特急車の香りを残したままの車内。
寂しいですね、こんな姿見るのは・・・。
見ないで済むなら見たくないような、それでもやっぱり見てみたいような微妙な場所でした。
8 件のコメント:
その線路の先はどんな光景でしたか?
常夜燈さん
じつはこの先は見ていないのです。
時間がなかったのか、どこか踏み入れにくい雰囲気があったのか、どっちだったのか忘れてしまいました。
今考えると惜しいことをしました。
名鉄キハは家族旅行で泊まった、宇奈月温泉で見ことがあります。ファースト・インプレッションは、下膨れであり”おかめ”をイメージしてしまいました。
こんな、解体前の姿を見たのは初めてです。
閑話休題(芥川龍之介は、この漢語を”それはさておき”とルビを振ってます)
吊りかけブロク番外編(ディーゼルの部)というのも良いのでは?!!!
期待してます!
シカゴの牛さんやブタさんを載せてきた貨物列車が出口でハムやソーセージを積んで帰る話をなぜか思いだしてしまいました・・・・
ちーん
いすみ52は一般色の方が好きなmaru-ha殿
だんだんHNが長くなってる~、短くしましょう~!
名鉄キハは下膨れで独特な姿をしていました。
結局は一回も乗らずじまいでした。
わん公殿
う~む、何となくその話、シュールでこの場所に合ってる気がしちゃいます。
みやごわけいは一見大味に見えますが曲線断面の荷棚など小味が効いていますね。他線に譲渡してもよかったのに、軸重が災いしたのでしょうね。
カメラデーさん
私も実車見たときに勿体ないという気持ちになりました。
確かにちょっと重いかもしれませんね。
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