燕は洋食器などの産地としても有名な場所です。
燕駅では弥彦線と接続していました。
90.9.8 燕 |
ただし、跨線橋は共用で、中に入ってしまえば一緒でした。
90.9.8 燕 |
待合室の壁に『新潟行電車』と書かれています。
90.9.8 燕 |
地方私鉄の接続駅特有の雰囲気がありました。
93.7.17 燕 |
90.9.8 燕 |
構内にあったターレットトラック。
しっかり社紋が入っています。
90.9.8 燕 |
クハ39 80.9.5 燕 |
初めて燕駅に降り立った時に止まっていた古典電車、クハ39。
晩年の新潟交通電車では一番最初に戦線離脱した電車です。
クハ49(左)、クハ45(右) 90.9.8 燕 |
朝の増結用のクハが待機中。
クハ48 93.7.17 燕 |
左が弥彦線です。
93.7.17 燕 |
架線柱が右に左に威勢よく傾いています。
クハ49 90.9.8 燕 |
モハ16 93.7.17 燕 |
既に現役を引退してしまったモハ16が寂しそうに休んでいました。
モハ14とクハ45 90.9.8 燕 |
早朝の燕駅にて県庁前から単行できたモハがクハを迎えにゆくところを写したものです。
クハ47 90.9.8 燕 |
3両編成が完成、ホームに据え付けるところです。
その後の新潟交通の動きを総括して新潟交通シリーズを終了したいと思います。
1992年、まず最初に廃止になったのが白山前 - 東関屋間の軌道区間です。
この際には「レール&バスシステム」と称して東関屋駅と新潟駅の間を結ぶ列車接続連絡バスを運行する措置をとり、東関屋の駅がかなり大規模に改修されました。
しかしながらその翌年の1993年には利用者が少なかった月潟 - 燕間が結局は廃止され、他の鉄道路線と接続しない「孤立路線」となっってしまいました。
命脈が尽きる典型的パターンの相次ぐ路線縮小で残る東関屋 - 月潟間の存続も時間の問題となりつつありました。
残った区間は沿線の道幅が狭隘で、バスでの代替が難しいと判断されたことから存続したものの、利用者減少は食い止められず、結局は遂に電車線の全廃を決定に至ります。
そして、1999年、新潟交通電車線66年の歴史に幕を下ろしました。
8 件のコメント:
看板ですが弥彦線が長らくDC運行でしたので、電車によるフリーケンシーを強調したかったのでしょうね。
ところで国鉄の方ですが、一度山陽地区に転出した115系が新潟に配属のケースもあったかと思われます。
スリットタイフォンのままでは降雪期に支障生じると思われますが、カバーでも掛けたのでしょうか?
前回の灰方と今回の燕は、昭和55年にかのM井久明と2人で訪ね、撮影した場所です。そのときは日立電鉄→水郡線+磐越西線で新潟→
新潟交通→蒲原鉄道と撮りまわりました。
新潟交通の県庁前と東関屋は拙ブログに発表済です。
そのときのネガが何処を探しても見つからない・・・(泣)
燕駅も灰方駅も県庁前の次に廃止されてしまいましたね。両端を切り取った後は、車両も日車標準ワンマンだけだったと記憶してます。燕駅の廃止=新交の魅力が終了したような気がしたのを覚えています。(車掌が乗車券を発売しなお路線には食指がうごかない性格なので。。)
それはさておき、燕にターレットがあったとは!!モワ51が走っていた路線だから、不思議な感じはしないけど。。モワ51とターレットの組み合わせの写真があったら凄いな。
12号線さん
気動車時代の国鉄線は競争相手にはならなかったのでしょうね。
115系については詳しく解りませんが、どちらにしてもこの新潟色はごちゃごちゃしていて似合わなかった気がします。
Cedarさん
M井さんとの撮影行、かなりハードコースですね。私もそれのほぼ逆コースを日帰りでやってヘトヘトになった記憶があります。
昭和55年頃が、新潟交通がそれなりに頑張っていた最後の頃ですね。
maru-ha殿
両端を切られてからの新潟交通は確かに魅力半減、私も足が遠ざかってしまいました。
国鉄の駅からのアクセスできなくなったのも大きなハンディですね。
昔は大きな駅では早朝など盛大に音を立てながらターレットが活躍していたのを思い出します。
chitetsuさん
ラベル「新潟交通」をクリックしてスタートの「新潟交通最後の日」から最終回の「燕」まで改めて読み返してみると、まるで全線乗車したような気分でした。
一駅ごと丹念に探索された根気に脱帽です。新潟交通の燕駅や途中駅はネットでも見た事がなく大変新鮮でした。
こうして全線通して見ると、車中で写す全線記録とは全く違った地方私鉄の奥深さを感じてしまいます。
私が途中の一 駅ごとの記録に気付いたのは廃線間際の筑波鉄道でしたが、この頃はまだ新潟交通が生き延びていたのですね。
katsuさん
読み返していただき、ありがとうございました。
私も自分で読み返してみました。
お恥ずかしい内容ですが、全線乗った気分になって頂ければ嬉しいです。
新潟交通の駅は大半の駅が木造駅舎を持ち、あまり原型を崩していなかったのが魅力でした。
筑波鉄道もフォトジェニックな駅が多かったですね。
最後に一回全線を見ましたが、もっとじっくり撮ればよかったと後悔ののこった線区でした。
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