古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2012年4月8日日曜日

大井川鉄道 1977年

大井川鉄道に初めて訪問したのは1977年の6月のことでした。
私鉄巡りの旅は1980年以降本格化するまではどうも国電巡りのついでのことが多く、この時も主目的は金谷ー島田間で東海道本線の80系電車を撮ることのほうにありました。
配属車両についても知識皆無状態での訪問となっており、当時の主力電車であった名鉄3800系のお古についても、「なんだ名鉄と一緒で詰まらない」、程度の認識でしかありませんでした。
モハ3829 77.6.5 笹間渡
その「詰まらない」電車で、笹間渡まで行きました。
今見ると、なかなか味があると感じますが、そう感じた時にはとっくに鬼籍入りしています。
当時はどことなく安っぽさを感じたのは何故だったんでしょうか?
車内は確かクロスシートで、窓枠に観光バスみたいに造花が飾られていたのを覚えています。
クハ508 77.6.5 笹間渡ー地名
笹間渡から地名方向に歩いて河原に降りて電車を待ちます。
やってきたのは元愛知電鉄デハ3300形です。名鉄発足前に特急あさひ号として活躍した歴史を持つ電車で、堂々とした鋼製車です。仲間は他に同じく名鉄の息のかかった豊橋鉄道と北陸鉄道にも行っています。
モハ312 77.6.5 笹間渡ー地名


次にやってきたのは移籍して間もない元西武鉄道クモハ351形です。
地元でたくさん見ている電車なので、ここまで来てもこれか、と当時の私はため息をもらしたのでありました。
これもまた、今見るとなかなか西武時代とは違う魅力を感じますが。
モハ3822 77.6.5 笹間渡ー抜里
笹間渡の駅に戻り、ちょっと休憩してから今度は抜里側に移動したところで、もう一本の元名鉄がやってきました。同じ3800形ですが、二本で塗り分けに違いがありました。思いつき?
505 77.6.5 笹間渡ー抜里
今回の旅の締めはSL急行です。
SL急行はこの前年の76年7月から運行が始まったばかりで、客車もまだ十分な両数がなかった時代でしたので、電車を塗り替えた車両が、写真のように混ざっていました。
当時の私はこれにも編成が安っぽく感じ、ガックリした気がしますが、今見ると貴重な富士身延鉄道の残党です。

という訳で、初めての大井川訪問時の私の感想はあまり芳しい印象もなく終わってしまいました。
人間の好き嫌いなんてどんどん変わるし、アテにならないものですね。

0 件のコメント: