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2012年2月26日日曜日

惜別 長野電鉄『河東線』 (3)

二回目の訪問は大学一年の夏、 大学鉄研の恒例夏合宿が松代の国民宿舎で行なわれた時で、 クラブで正式行事で須坂の車庫にも訪問しました。現地集合、 現地解散で前後の行動は自由なので、一年生有志で飯田線豊橋口から北上し、 篠ノ井線経由で長野電鉄入りしました。

モハ1502(左)、クハ1052(右) 80.9.2 松代



クハ1052 80.9.3 松代
 既に長野の駅は地下化が決定し、私の趣味人生を決定的にした愛すべき電車達は赤ガエルに仕事を奪われ鬼籍に入っていました。もうダメだと思いながら須坂に到着したら、かのデッカーの仕事場にはまだ旧型電車が活躍していました。

モハ1012 80.9.3 岩野ー雨宮



クハ1052 80.9.3 岩野ー雨宮
 そこで元気回復、 現屋代線区を合宿初日から翌日にかけてカメラハイクに向かいました。
沿線は好適な撮影スポットが散在していましたが、この後上信越自動車道の工事によって風景は一変し、どこでとったのかわからないほどになりました。
先日の2000系撮影時に上のクハ1052の撮影場所を訪問しましたが、画面後方には今は高速道路が左右に跨いでおり、当時の面影はありませんでした。


モハ1003 80.9.4 須坂

翌日解ったのですが、既に引退していたのは戦前生まれの車両達中心で、1000系電車はまだ長野までの本線運用に使われていました。

 


モハ1012 80.9.4 須坂
 



モハニ131 80.9.4 須坂
保存目的で一両だけ構内に留置されていました。
  始めての合宿、 私を含む一年生は先輩からの酒攻勢に想定通り遭い、 翌日の公式行事の車庫見学会は惨憺たる体調で、写欲も沸かず、数枚写真を撮っただけで再び河東線に揺られて吐き気を抑えながら、屋代経由次の目的地の上田交通に向かったのでした。
この後の上田原の車庫で古豪達に再会できることになるとは思いもせずに。

2 件のコメント:

やじまん さんのコメント...

ブログ開設、お待ちしておりました。
chitetsuさんの情報発信、楽しみです。

そう、屋代線はもうすぐ終わりですね。
地元に居ると「いつでも行ける」と甘えてしまい、ついつい行けずじまい。松代駅はいい雰囲気だったので以前に撮りましたが。
あとひと月ですが、のんびりと乗ってみます。

chitetsu さんのコメント...

やじまんさん、 こんにちは。
近場はついつい安心して後回しになってしまうものですよね。
中堅私鉄の古き良き風景を是非もう一度見に行って下さい。
電車中心の展開ではありますが、弊ブログに今後とも顔を出して下さい。