2006・5・29 いずみ中央 |
このモニ2019の前身は戦災で焼失した国電を出自としています。最初は叩き直しの車体だったものを車体更新したものですので、すでに足回りを中心にかなりのご老体でした。旅客営業終了後も荷物電車として残り、最後のお仕事は架線検測でした。
2006・7・31 鶴ヶ峰 |
架線検測電車は基本、月に一回全線を走行していました。
動く日については毎月のタイミングは大体決まっていたものの、実際には一週間ずれてしまうこともあり、スカを喰らうことも結構ありました。
2006・5・29 大和ー相模大塚 |
毎回、予想をして会社の午後休暇を取った時期がありましたが・・・
結果は1勝1敗ぐらいのペースでしか会えませんでした。
毎月都合良く休める訳もなく、チャンスは限られていました。
そんなわけで、首尾よく休めた日の午後の通過時間が近づくといつもドキドキでした。
その分、やってきた時にはかなり興奮して追い駆け回しました。
何回か追い回してしているうちに、いよいよ後継車が完成、自分にとって間近で出会える電車らしい最後の電車は鬼籍に入ってしまいました。
6 件のコメント:
祝!開設であります!
相鉄の黄色い電車、懐かしいです〜!
末期の頃は運転出来る人も少なかったとかで、偉くなった方が久々ハンドルを握ったとか・・・。
そのような訳も有ってか、引退してしまったそうです。。。
近いのになかなか見てない相鉄線!
免許書き換えの時ぐらい(違反有りなので)
kondouraさん、早速にありがとうございます。
徐々に体を馴らしながらアップしてゆきたいと思います。
ご支援ください。
黄色い電車はおっしゃるように、末期は自動ブレーキを扱える運転手が限られており
たまたま若手運転手が運転した時に、ブレーキが緩まず立ち往生して運転中止になったのを
見た経験があります。
昔の電車は勘が必要だったのでしょうね。
開設おめでとうございます。
相鉄の黄色い電車、自宅が近所であったこともあって、営業時代には度々乗ったはずです。
昔のことですので曖昧ですが何となく覚えているのは小学生の時の遠足で、
大塚本町駅(これは駅そのものが無くなってしまいましたが)から海老名までこれに乗ったことです。
黄色い電車は無くなってしまいましたが
いろいろな疲れがたまってくると、私は
かしわ台に保存されている汽車会社1C1タンク機と2軸客車を見てボーっとしながら
鋭気を養うことにしています。
私事を長々と失礼いたしました。
地鉄電車のお話、楽しみに読ませていただきます。よろしくお願い致します。
栂森鉄道さん、ようこそ。
コメント頂き、有難うございます。黄色い電車に乗っていらしたお話、自分には羨ましく感じます。残念ながら黄色い電車にはモニになってから中を覗いた経験しかなく・・・
かしわ台の二軸客車、確か別府鉄道から買い戻したのですよね。別府時代に一回乗った記憶があります。南部縦貫のレールバスと都合二回しかない二軸車体験でした。
模型の話と実物の話を今後もランダムに展開したいと考えています。
次次回から数回、私の地元の西武線の古い電車のお話を書きたいと思っています。
今後ともお付き合いの程、よろしくお願いします。
相鉄の2000形が元祖ですが、私の世代ですと「イズッパコ」と言うイメージが強い車両です。
東急車輛の「車体形態統一工事」が有っても、買収国電なども混じった出自のせい(台枠長の元々の違い)で「各車が微妙に車体長が違っていた」ような・・・。
イズッパコ撮影⇒鶴見でクモハ12⇒蒲田で東急3000 と言うツアーが組めた昭和末期が懐かしいです。
「電車とバスの博物館」にあった東急3450のシュミレーターが結構好きでした。
こもり気味の吊り掛け音で田園都市線のシュミレーションができるのが良かったでした。
SMEさん
相鉄の2000は結構な数が伊豆箱根に移籍しましたね。
私も何回か見に行きました。
伊豆箱根の電車は古くても綺麗に整備されていて気持ちよかったです。
昭和の終わり頃はまだ旧型電車があちらこちらに残っていて、今考えるとそれなりに楽しめましたね。
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